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とらわれについての説明(神経症になる原因)

2017-08-16 15:43:53 | メンタルヘルス

 黒=森田正馬博士の言葉              青=直人の蛇足解説
森田正馬全集第5巻で森田博士は「とらわれ」ついて、以下のような事を言われている
とらわれとは、あることに注意が向き、それを嫌悪して無くしようと、工夫努力をして時間を使う事を言います

 どんな事をすれば、病気が治るだろうかとそんな事ばかりにとらわれて、その悪知に災いされているからであります。それがこの悪知を捨てて、心槻一転すれば、すなわち病気が治るのであります。(73)
この自分の力で病気を治すとの発想、努力が病気を作る悪知なので、これを捨ててしまえば、囚われは無くなり、病気は治癒します。完全放棄するだけで自然治癒があります

「はからいのない心」というのは、「あるがままの心」という事で、これも言葉にとらわれると、かえって間違いのもとになる。「あるがままになれない」とか、「はからいの心を捨てる」とかいえば、既にそれは「はからいの心」であり、「あるがまま」ではないのである。実際の体験による習得でなければ、理屈にあてはめて決してわかるものではない。(522)
「はからいのない心」とか「あるがままの心」になる事は治癒には重要なことだが、自分の力で自分をその様にする事は出来ない、日々の生活の中で症状を相手にせず、辛くとも現実をコツコツと生きる事で、はからいのない心、あるがままの心になれる訳でです、この体験をを通じて、これらの心は理解できるのです。

精神的の事についても、恐怖心にとらわれて、飛躍的によくなろうする欲を起こす事が多くて、それがために、さまざまの工夫をして変な態度をとり、苦痛を逃れようとして、ますます強迫観念になる。・・・逃れられないという事を早く知って、これを我慢する。正々堂々とやっていって、自然に健康になる。(489)
精神的苦痛を、自分で良くなるを考え努力の時間が悪い訳で悪化を招くだろう、厳しいが、逃れられないとい覚悟して、苦痛を我慢するとか、正々堂々と苦痛の道を生きる態度になると、自然に心の病気は治癒する。

神経質は、机上論の庇理屈を押し進めているうちに、病の悩み、死の恐怖という一面のみにとらわれ動きもとれなくなったものが、一度覚醒して、生の欲望・自力の発揮という事に気がついたのを心機一転といい、今度は生きるために、火花を散らして働くようになったのを「悟り」というのである。(P705)
病の悩み、死の恐怖とか言った事は相手にして思考するべきものでは無いのです、そういった人の心の有り方を自覚して実行できると、本来自己の備わっていた、向上発展の意欲が実行されて生き甲斐のある人生となる。

恐怖ばかりを見つめて、これにとらわれる時は、常に生の欲望の溌剌たるもののある事を忘れて、いたずらに迷妄を脱する事ができないようになる。(625)
この「とらわれ」がなくなれば、全治するのである。とらわれを離れれば非常に便利で、生活が自由自在になります。
恐怖を無くなる道を探すに努力するのではなく、恐怖と同時に自己の中にある生の欲望に目を向けこれに乗っていきれば心の病気は治癒するでしょう、全治するとより良人生となります。


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