劇画家の平田弘史氏を御存知の方はMSX世代では少ないかと思います。「黒田三十六計」「薩摩義士伝」などが代表作ですが、書家としても有名であり、パソコンゲーマー的にはX68000版「イース」のタイトルロゴを書いた方、と言ったほうが通りがいいような気もします。
さてそんな平田氏とMSXは一見してまるっきり関係なさそうなのですが、氏の作品の中でも異色のエッセイマンガである「平田弘史のお父さん物語」の中にMSX・FANが出ている、というので探してみました。この本はたまたま持ってたんで、さすがにMSXのために買ったわけではありません。
で見つけたのがこの画像。「VOL.4 スケベエの巻」中で平田氏のご子息がそれらしき雑誌を読んでいるコマがありました。「X」らしき文字と「FAN」と読めます。これが描かれたのが1989年10月~1990年10月の間で、当時MSX・FANは存在していましたけど・・・。これだけでは何も分からず長いこと考えが止まっていました。
しかし最近になって、竹熊健太郎氏のblogたけくまメモ中の平田弘史先生訪問記(其ノ四)の中にMSXについての言及を発見するに至りました。
これは平田氏がフルデジタルで劇画を描いた後で手描きに戻った、という話の中で「全然お話にならん」マシンとしてMSXが出てきているに過ぎません。まあMSXの性能的に(印刷に耐えうる)漫画、ことに緻密な絵を描くのは無理に決まってます。
とはいえそれはMSXの性能を知っているから言えることであり、平田氏は「いじってみた」後で結論を出しているわけです。「お父さん物語」の時点で53歳であった平田氏がMSXに向かって新しいチャレンジをした、というそのことがにわかに信じがたいことであります。
前の引用ではMSXを「いじってみた」時期は確定できませんが、「お父さん物語」の時期と考えるとまだMSXturboRはリリースされておらず、環境はMSX2か2+にマウス・・・くらいでしょうか。おそらくはご子息の持っていたMSXをそのまま使ったものかと思われます。グラフィックツールも何を使われたのかも分かりません。後に定番となる「グラフサウルス」はまだ一般的でなかったので、「F1ツールディスク」あたりでしょうか。いずれにしても無茶度120%です。でも平田氏はとにかく使ってみている。まずはその事に頭が下がります。それからPC-9801を経て、Macは59歳くらいから使い始めたことになるわけで・・・。
なんだからまとまらなくなってしまいましたが、年齢が半分以下の我々MSXユーザーももっと頑張らないとな、という話でありました。
さてそんな平田氏とMSXは一見してまるっきり関係なさそうなのですが、氏の作品の中でも異色のエッセイマンガである「平田弘史のお父さん物語」の中にMSX・FANが出ている、というので探してみました。この本はたまたま持ってたんで、さすがにMSXのために買ったわけではありません。
で見つけたのがこの画像。「VOL.4 スケベエの巻」中で平田氏のご子息がそれらしき雑誌を読んでいるコマがありました。「X」らしき文字と「FAN」と読めます。これが描かれたのが1989年10月~1990年10月の間で、当時MSX・FANは存在していましたけど・・・。これだけでは何も分からず長いこと考えが止まっていました。
しかし最近になって、竹熊健太郎氏のblogたけくまメモ中の平田弘史先生訪問記(其ノ四)の中にMSXについての言及を発見するに至りました。
「Macはいつからお使いですか」
「96年か97年からだ。そのときはじめて使ったんだ。それまではMSXとか、NECのPC-98をいじってみたが、全然お話にならん。それでMacにしたら、おお、これはいいと。仕事では『新首代引受人』で本格的に使ったかな。いろいろやって、今は手描きに戻っているのだが」
これは平田氏がフルデジタルで劇画を描いた後で手描きに戻った、という話の中で「全然お話にならん」マシンとしてMSXが出てきているに過ぎません。まあMSXの性能的に(印刷に耐えうる)漫画、ことに緻密な絵を描くのは無理に決まってます。
とはいえそれはMSXの性能を知っているから言えることであり、平田氏は「いじってみた」後で結論を出しているわけです。「お父さん物語」の時点で53歳であった平田氏がMSXに向かって新しいチャレンジをした、というそのことがにわかに信じがたいことであります。
前の引用ではMSXを「いじってみた」時期は確定できませんが、「お父さん物語」の時期と考えるとまだMSXturboRはリリースされておらず、環境はMSX2か2+にマウス・・・くらいでしょうか。おそらくはご子息の持っていたMSXをそのまま使ったものかと思われます。グラフィックツールも何を使われたのかも分かりません。後に定番となる「グラフサウルス」はまだ一般的でなかったので、「F1ツールディスク」あたりでしょうか。いずれにしても無茶度120%です。でも平田氏はとにかく使ってみている。まずはその事に頭が下がります。それからPC-9801を経て、Macは59歳くらいから使い始めたことになるわけで・・・。
なんだからまとまらなくなってしまいましたが、年齢が半分以下の我々MSXユーザーももっと頑張らないとな、という話でありました。
し・・・知らなかったです・・・おどろいた☆
それがもしMSXに関係する本だとしても右綴じだったMSXの雑誌は無いから、あったとしても単なる同人誌って考えるのが妥当。
>娘々さん
どもども。元々しょうもないことなので、御存知なくても仕方ありません。
>禿さん
本当だ!すいません全然気付きませんでした。
ちなみに極初期のMマガ(0号~10号まで)は右綴じだったんですが、時期的にも見た目にも全然関係ないですね。
次男が小学5年ごろMSX欲しいというのでプログラム作る意志があるなら買ってやると言ったら 作るからと言うので ホームセンターへ買いにゆきました。CASIOのMSX-1でした。この時 時間以外はゲームをさせない為に 仕事部屋に置いたので夜は弘史左衛門が、いじくっていました。(^^)
円や線などのプログラうを組んでましたね。DRAW文などでも描いてウンウン成程...なんて遊んでましたね、やがて次男は6年生の終わりごろMSX誌に応募して賞金5万もらったり10万円をもらったのでSONYのMSX-2機を買ったりして ゆきました。この頃は彼の友達のPCも弘史左衛門は触りましたが、これらは まだまだ劇画の役には立たぬと諦めて、その後10年?くらいはパソとは縁なしになりました。はじめて触ったMacはLC630でした。これには驚きましたが、まだまだ役には立たぬと知っていましたが勉強のつもりでした。4ヶ月後にはPowerMac8500を買い「怪力の母」のカバーのカラー画を描きました。64MBしかなくて
苦労したので10万円も出して32MBのメモリを買ったものでした。バカ高い時代でしたねえ。