Invitation to W★ING

<東日本大震災>で被災された皆さまに心からお見舞い申し上げるとともに一日も早い復興をお祈り申し上げます。

あの時から27日……柴田勝久さん急逝!

2010-01-17 03:30:12 | 日記
◇昨年12月20日のW★ING露橋大会を前に,何回か名古屋に足を運んだ折り……ある時に中スポーツ・センターに於いて,思いも寄らぬ”懐かしい人”にお会いした。
この時には,『DEP』が名古屋市の出身で,6月に亡くなった”テッド”田邉哲夫氏の追悼大会という事でもあり,地元・名古屋のレスラーが総出演といった感じだった。
”誠心会館”青柳館長のタッグマッチで,館長が”試合中”に,レフェリーと”口撃”しあって,お客さんの間からはドッと笑いが漏れていた。この時には,このレフェリーが「誰」なのかは,まだ全く分かっていなかった。
一番後方から見ていたという事もあるが……後から館長と話しをしていて,初めてあのレフェリーが「誰」なのか分かった!
柴田勝久……大相撲から22歳の時にプロレス入りし,『日本プロレス』を追われたアントニオ猪木により旗揚げした『東京プロレス』でデビュー。以後,アントニオ猪木と『日本プロレス』,『新日本プロレス』と,行動を共にしたが,肩の怪我が原因で僅か”10年間”で,プロ・レスラー生活に別れを告げた……。
このブログで〇〇さんと何年振りの”再会”などといった事を何度となしに書いてはきたが,柴田さんと前に会ったのは,一体いつの頃だったのかさえも思い出せない程である。
引退後は新日プロでレフェリーをやられていたが……ここ数年,名古屋ではしばしばレフェリーをされてるという。中スポーツセンターで”再会”した時には,即座にW★INGでのレフェリーをお願いしたのは言うまでもない!
W★ING露橋大会から僅かに27日後……昨16日の朝,ゴミ出しに行って中々戻って来ないので奥さんが心配をして見に行くと,柴田さんが倒れていたという……。心筋梗塞だったという。
決して親しかった訳では無いが,今まで私が接してきた数多くのレスラーの中でも,柴田さんほど物静かで穏やかな人は余り見た事が無かった。およそレスラーらしからぬレスラーだった様な気がする。
それゆえ,レスラーとしては”大成”しなかったが……私が,ちょうど「プロレス&ボクシング」誌で,この世界に足を踏み入れた頃,柴田さんは”シバタヤマ”のリング・ネームで,メキシコで暴れ捲っており,最も気になる”レスラー”の一人だった。柴田勝久 三重県桑名市出身,享年66歳。 合掌。<茨城>

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