◇昨日は一年中で一番寒いと言われる”大寒”だった。が,全国的に暖かくてまるで春の様なポカボカ陽気であった。
偶然にも金村から電話が掛かってきた。何でも,愛知県下にいるとの事であったが……ちょうど昨晩は久々に国際プロレスのDVDを見ようと思い,1974(昭和49)年5月に愛知県豊田市で行われたグレート草津 VS ラッシャー木村の<日本人エース対決>を見る事にした。
元々が,いま病床に伏せている”ゴング”誌の竹内宏介さんが当時よく撮ってた8ミリ・フィルムから作製してる事でもあり,ダイジェスト的な色合いが強いが……この戦いはストロング小林の離脱にともなって”空位”となっていた<IWA世界ヘビー級選手権>の”日本人代表者決定戦”であり,この勝者がビル・ロビンソンと,ベルトを争う事になっていた。
そして,迎えたチャンピオン決定戦……草津を抑えて”日本人代表者”に勝ち上がってきた木村とロビンソンによる戦いだが,これは<TBS>から<東京12チャンネル>(現テレビ東京)へと放送局が移り,テレ東がレギュラー放送を前に”特番”(それも生中継)を組んで行ったみたいだ。
みたいだ……と,断言して書いたのには理由があるのだ。”確実”に,この戦いを私は見ていないのだ! 4年間に渡って”在籍”したベースボール・マガジン社の『プロレス&ボクシング』誌を離れ,この時にはフリーとなって渡米……ミネアポリスに住み着いて,取材活動をしていたからである。
木村とロビンソンの戦いは……久々に日本へ”戻って来た”ロビンソンが再びチャンピオンとなった訳だが,アメリカに持ち帰ったベルトはロビンソンから”スーパースター”ビリー・グラハムを経て,マイティ井上へと移動して行った。
国プロ担当だったという事もあって,ロビンソンとはよく話もしていたが,ミネアポリスでも試合場やテレビ・マッチが行われてたスタジオでも顔を合わせていたし,お宅にお邪魔した事もあった。
ロビンソンが”スネーク・ピット・ジャパン”のコーチとして来日をして何年になるのだろうか? 国プロが”欧州路線”になって,手薄な日本陣営の一員として人気を博した”青い目のニッポン人”も既に70歳になる……2年前に作製されたDVDにおける流 智美さんとのトークでも,映像を見ながら当時の思い出を懐かしそうに語っていたが,話が自身の”必殺技”に及ぶと的確な”技への入り方”(決め方)を,実演を交えながら熱弁していた。「なるほど」と納得する説明だ。
”人間風車”スープレックスにしろ,コブラツイストにしろ,今では試合の流れの中での一つのバリエーションであって”必殺技”では無くなってしまった。現在(いま)のプロレスも確かに凄い事をやってはいるが……昔の”重厚感”には程遠い。このDVDを見ていたらロビンソンに会いたくなった。<茨城>
偶然にも金村から電話が掛かってきた。何でも,愛知県下にいるとの事であったが……ちょうど昨晩は久々に国際プロレスのDVDを見ようと思い,1974(昭和49)年5月に愛知県豊田市で行われたグレート草津 VS ラッシャー木村の<日本人エース対決>を見る事にした。
元々が,いま病床に伏せている”ゴング”誌の竹内宏介さんが当時よく撮ってた8ミリ・フィルムから作製してる事でもあり,ダイジェスト的な色合いが強いが……この戦いはストロング小林の離脱にともなって”空位”となっていた<IWA世界ヘビー級選手権>の”日本人代表者決定戦”であり,この勝者がビル・ロビンソンと,ベルトを争う事になっていた。
そして,迎えたチャンピオン決定戦……草津を抑えて”日本人代表者”に勝ち上がってきた木村とロビンソンによる戦いだが,これは<TBS>から<東京12チャンネル>(現テレビ東京)へと放送局が移り,テレ東がレギュラー放送を前に”特番”(それも生中継)を組んで行ったみたいだ。
みたいだ……と,断言して書いたのには理由があるのだ。”確実”に,この戦いを私は見ていないのだ! 4年間に渡って”在籍”したベースボール・マガジン社の『プロレス&ボクシング』誌を離れ,この時にはフリーとなって渡米……ミネアポリスに住み着いて,取材活動をしていたからである。
木村とロビンソンの戦いは……久々に日本へ”戻って来た”ロビンソンが再びチャンピオンとなった訳だが,アメリカに持ち帰ったベルトはロビンソンから”スーパースター”ビリー・グラハムを経て,マイティ井上へと移動して行った。
国プロ担当だったという事もあって,ロビンソンとはよく話もしていたが,ミネアポリスでも試合場やテレビ・マッチが行われてたスタジオでも顔を合わせていたし,お宅にお邪魔した事もあった。
ロビンソンが”スネーク・ピット・ジャパン”のコーチとして来日をして何年になるのだろうか? 国プロが”欧州路線”になって,手薄な日本陣営の一員として人気を博した”青い目のニッポン人”も既に70歳になる……2年前に作製されたDVDにおける流 智美さんとのトークでも,映像を見ながら当時の思い出を懐かしそうに語っていたが,話が自身の”必殺技”に及ぶと的確な”技への入り方”(決め方)を,実演を交えながら熱弁していた。「なるほど」と納得する説明だ。
”人間風車”スープレックスにしろ,コブラツイストにしろ,今では試合の流れの中での一つのバリエーションであって”必殺技”では無くなってしまった。現在(いま)のプロレスも確かに凄い事をやってはいるが……昔の”重厚感”には程遠い。このDVDを見ていたらロビンソンに会いたくなった。<茨城>
投げる前に相手の頭を自らの脇の下にはさんで
投げるのに対し、ドリー・ファンクJR流は
相手の後頭部をへそにあてて投げますよね。
ロビンソンのワンハンドバックブリーカーの
継承者、同じクオリティーで使える人間
が現れなかったのは残念です。
ところで来週帰って来るみたいだけれど,時間がある様だったら会いましょう!