![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/5b/d3ab230417e1054a322da32791532982.jpg)
(写真は「羽二重団子」)
このところ、だんだんと暖かくなってきました。
先日、この陽気に誘われて、谷中界隈の散策に
出掛けて来ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
横浜から京浜東北線に乗って、日暮里駅の北口を出ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_train.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6f/d6/305858910da1860411d80a33f1e5f1ae_s.jpg)
駅の前の緩やかな御殿坂を少し上がった右手に、
下の写真の「本行寺」があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/f9/ed8a9a05803cc9ccb9ac5ee4af660b88.jpg)
本行寺は、江戸時代には、観月の地として有名
だったので、別名、”月見寺”とも呼ばれ、
俳人が多く訪れました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/2e/88d146f90ae60a4fd2b20c9ad18c52bb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/50/a1a00206058ba990ba84513ddf42d3b6.jpg)
お寺の門には、彰義隊が敗走する際に、ヤケクソ
で、槍で穴をあけたという跡が残っています。
境内には、太田道灌が築いた斥候台の跡も残って
おり、また小林一茶や種田山頭火の句碑なども
あります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/f8/fb21340750b60561d76616b5aa340f04.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/ec/1c346b82c87896c20d3f8bfb4fa839fe.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/5b/73aea0a9a9dbbf53689f929caceb5ad2.jpg)
本堂の裏の墓地には、下の写真の外国奉行・永井
玄番守の墓があり、説明版が建っています。
それによると、永井は、長崎海軍伝習所で勝海舟
などを教えましたが、幕末には、最後の戦いまで
幕府軍に忠誠を尽くしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/45/4b6528d459a1a3086748b01c631e32d8.jpg)
本行寺の前の道路を挟んで「谷中霊園」があり
ます。
その谷中霊園を奥へ進んでゆくと、写真の
「天王寺」があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0038.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/d9/4080b6cb92445830b4432c3bd4a1c3a5.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/49/41bba673938bf4e6c1849610d3e5f2e9.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/b6/61e462ed504370fc54e2ef937f2384de.jpg)
天王寺は、江戸時代には「江戸の三富」の一つで、
湯島天神、目黒不動と共に「富くじ」を売って
いました。
幕末の上野戦争で大半が焼失し、現在は寺の敷地
の多くが谷中霊園になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/76/7dfbc0adfe9ce6217c8c2d629d5af592.jpg)
天王寺の境内には、上の写真の沙羅双樹の木が
あります。
天王寺の境内を出ると、谷中霊園の桜並木です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/f6/10dadba61005ec42d0ca09ec69849c28.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/71/02b25c4300b040e356f68c5b47811986.jpg)
「谷中霊園」には、歴史上の人物、俳優など、多数
の有名人が眠っています。
公園管理事務所の前に徳川慶喜の墓の矢印が出て
いますので、その矢印に沿って、苦労しながら
進むと、下の写真の「徳川慶喜の墓」があり
ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/98/117cd9d1c04044201d51abdccd632edb.jpg)
墓は鉄柵に守られ中に入る事は出来ません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/84/db8996734abf3f43020ac8e8e4001b32.jpg)
慶喜は、明治35年に公爵を授与されたのち、
大正2年に亡くなり、葬儀は神式で行われ
ました。
上の写真は、墓所の中央が慶喜の墓で、右が
妻・美賀子の墓です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/d2/572935f01ca0c5485018a897c335fd50.jpg)
(慶喜の墓)
墓は円墳の様な形をしていますが、これは、一般
皇族と同じ神式の土葬の墓です。
谷中霊園のこの辺りは寛永寺の管轄ですが、神教
だった慶喜が、寛永寺からこの墓地を買い取って
神式の墓を造ったため、寛永寺の管轄から外れて
しまったそうです!
そして、何と!、
慶喜の墓の後ろには、2人の側室の墓も仲良く
並んでいます・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_shock_s.gif)
もっとも、側室の墓は、慶喜の妻が亡くなった
あとに造られたらしいですが・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7d/a1/27e83bee12e0154cec3c3d6f05735323_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/97/233fc4b12e6441d09deaeeffbc4e2bbc.png)
上の写真は、慶喜の墓の前のタイルの歩道ですが、
硬貨が埋め込まれています。
これは、この墓を造った職人が、縁起を担いで、
歩道のタイルに硬貨を埋め込んだのだそうです!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
私が慶喜の墓を見学している間に、二組の外国人
がガイドブックを片手に慶喜の墓を見学に来ました。
”ラストエンペラー”の墓として外国人にも人気があるらしいです!
しかし、私ですら、この墓にたどり着くのに苦労
したのに、この墓まで迷わずにたどり着く彼らは凄い!
なお、谷中霊園の慶喜以外の墓については、
歴史上の人物、俳優など、有名人が多く話が
長くなりますので、別の機会にご紹介する
ことにします。
天王寺の脇の芋坂を下りてゆき、山手線を跨ぐ
歩道橋を渡ると、1819年創業の「羽二重団子」
(はぶたえだんご)があります。
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夏目漱石、田山花袋、司馬遼太郎などの小説
にも登場する有名なお店です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0070.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/5a/4235c43b3b74c9beda3c43b20bb1ecca.jpg)
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写真の羽二重団子と抹茶セット(702円)で、
一休みします。
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店で作られるのは、米の粉を挽いて丸く固め、
串に刺して焼いた素朴な団子です。
上の写真の様に、創業当初と同じ生醤油で味付け
された焼き団子と、さらし餡を巻き付けた餡
(あん)団子の2種類があります。
”キメが細かく羽二重(絹の織物)の様に
すべすべして滑らか”だ、と絶賛されたのが
由来で、そのまま団子の名前となったそうです。
店の中には当時使われていた食器や帳簿が今も
残されています。
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幕末の上野戦争では、彰義隊が戸板を破って
この店に逃げ込みましたが、更に追われて、
店に刀や槍を置いて逃げたそうです。
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これらの武具が店に飾ってあります。
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(創業期の羽二重団子屋)
「羽二重団子」の前の道路を挟んで正面のお寺が「善性寺」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0038.gif)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/88/f160ef2875df44e0d4e746d54374b7be.jpg)
(不二大黒天)
このお寺の前の道路は、昔、音無川が流れていた暗渠です。