(写真は、ボロボロに錆びているガス橋の手すり)
多摩川大橋の先から、堤防の上の土手道に上がり、写真の
「御幸公園」で一休みします。
更に歩いて行くと、「ガス橋」が見えて来ました。
ガス橋の手前に、写真の「平間の渡しの碑」がありました。
上の写真の「ガス橋の歴史」の説明版によると、元々、
この橋は、東京ガスが、鶴見製造所でつくったガスを、
都内に供給するためにつくった「ガス人道橋」でした。
つまり、当初は、車両通行ができない人道橋でした。
しかし、昭和35年、交通量の増大に対応するために、車道と
人道の間に柵を設けて、車両も通行出来る様にしました。
橋の幅はそのままで、2車線を確保したので、歩道は
ギリギリの幅になってしまいました。
現在は、このギリギリの幅の歩道のままなので、先方から来る
自転車や人とすれ違うときには、どちらかが脇に避けなければ
なりません・・・
橋の車道は、一般道の位置づけになりましたが、元々は、
ガス管を通すための橋だったので、橋の名前は「ガス橋」
のままです。
現在も、橋の下には、東京ガスのガス管が通っており、通行と
エネルギー供給の2つの機能を持っています。
写真の様に、橋の手すりは、錆て老朽化しているので、
寄り掛かかったら外れそうな気がします・・・
川崎側から東京側へ橋を渡って行きます。
橋を渡り終えると、正面の左手には、下丸子のキャノン本社
ビルがありました。
橋の反対側の歩道を東京側から川崎側へ戻ります。
橋の下は、「ガス橋緑地」です。
写真は、「上平間排水樋管(ひかん)」で、浄化された下水を
ここから多摩川に流しています。
上の写真は、「中丸子」の信号ですが、多摩川の対岸は
「下丸子」です。
多摩川の両岸には、「等々力」や「丸子」などの同じ地名が
点在します。
例えば、世田谷区の「等々力渓谷」と、川崎市の「等々力
競技場」は、江戸時代は同じ等々力村でした。
等々力村は、江戸時代には一つの村だったのですが、多摩川の
氾濫により、村の中央を流れる様に流路が変わり、村が分断
されました。
上の写真は、「山王排水樋管(ひかん)」で、浄化された
下水をここから多摩川に流しています。
JR横須賀線と東海道新幹線の鉄橋です。
鉄橋の脇には、ゴルフ練習場があります。
上の写真が「海から13キロ」の道標で、下の写真が
サイクリングロードの地面に表示された「13.0」です。
丸子橋と橋の手前のゴルフ練習場が見えて来ました。
丸子橋を渡ります。