ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

中山道を歩く(60:柏原) 滋賀県米原市 6km 2015.11.13   


(写真は、伊吹モグサの老舗「伊吹堂かめや」)

柏原宿は、近江の国(滋賀県)に入って最初の宿場です。

柏原宿に入り、右手の立派な鳥居の八幡神社の先を右に
入るとJR柏原駅です。





駅前に「中山道柏原宿案内」の大看板が建っています。

柏原宿は、宿場町らしい雰囲気の家並みが続きます。










下の写真の様に、「問屋場」跡と「東の荷蔵」跡の説明板
が立っています。


説明版によると、荷物を次の宿場まで運ぶために、中山道の
「問屋場」は、馬50匹と人夫50人を置くことが義務付けられ
ていました。

そして、「荷蔵」は、その荷物を一時保管する蔵です。

問屋場の先には、下の写真の「脇本陣」跡の説明板が立って
います。


街道沿いの家には、写真の様に、当時の職業と名前を記載
した板が立てられています。

下の写真は、2軒並んだ「本陣跡」で、その先には、連子
格子の「旅籠屋跡」も点在し雰囲気があります。






少し歩くと、小さな橋の手前の常夜灯の横に、「高札場跡」
の立て札がありました。


伊吹山の麓にある柏原宿の名産は、”お灸(おきゅう)”の
原料である「伊吹艾(もぐさ)」でした。

江戸時代には、長旅に出掛ける時は、足のツボに、必ずお灸を
据えるのが常識だったらしいです。

下の写真は、創業350年を超えて、昔のままで、現在も営業
を続けている、伊吹艾(もぐさ)の老舗「伊吹堂かめや」です。



時間が早くて開店前だったので、江戸時代のままで店に
置かれているという等身大の「福助」人形を見ることが
出来ませんでした。
残念!

「福助」は、江戸時代に、この店に”実在した番頭”で、
働き者で知られ、店を繁盛させた功労者だったそうです。

後に、その評判が全国に広まり、「福助人形」として有名に
なりました。

「福助」は、御存じの様に、足袋・ストッキング・下着などの
製造販売の会社です。
これは、江戸時代に有名だった福助人形を、明治時代に商標
登録したのが現在の福助株式会社ということなので、「伊吹堂
かめや」との直接の関係はなさそうです。


(福助人形:インターネットから)



浮世絵「木曽街道69次乃内 柏原」で、広重が描いている
のは、この「伊吹堂かめや」です。

絵の右端には、等身大の福助人形が置かれており、その横
では、店員たちが紙に包んで並べられた「艾(もぐさ)」を
売っています。

「かめや」は店の左側で、茶屋も兼業していて、金太郎あめ等
も売っています。

店の前では、人足たちが、荷物を杖で支えて休憩しています。

更に進むと、その右手に次の写真の「柏原宿歴史館」
( 国重文)がありますが、時間が早くて開館前でした。


残念!

(柏原宿歴史館)
次の機会に、柏原宿歴史館と福助人形を見るために再び訪れたいです。
柏原宿歴史館の前で、近所のおばさんから街道歩きについて
聞かれたので、暫くの間、立ち話しをします。
おばさん曰く、”私は、この柏原周辺から、ほとんど出掛けた
ことがないのに、東京から京都まで歩いて旅をするなんて
羨ましい。”
そう言われれば、確かに、私は、今、羨まれる様な贅沢な旅を
しているのかも知れません。

宿場町を更に進んで行きます。







(軒下の干し柿)

やがて、左手の「やくしえのみち」の道標を過ぎると、街道の
交差点の右手に「お茶屋御殿」跡があります。



「お茶屋」とは、徳川家康が、将軍専用の休息・宿泊施設
として作らせた建物です。

案内板によると、このお茶屋は、家康・秀忠・家光が、14回
利用したとあります。
お茶屋御殿跡は、小公園になっていたので、ここで一休み
して、水分を補給します。

お茶屋御殿跡の先に、「郷宿(ごうやど)」跡の案内板がありました。

その案内板によると、「郷宿」とは、脇本陣と旅籠屋の中間
クラスの旅館で、武士や庄屋などが使用したそうです。

郷宿跡の先に、「柏原の一里塚」があり、「西見付」跡の
説明板もありました。




この「西見付」跡の辺りで柏原宿は終わりです。

柏原宿を抜けると、街道は、やがて、ほとんど人家が
なくなり、田園風景に変わります。







暫くすると、中山道は、「鶯(うぐいす)が原」という所に
出ました。

案内板によると、太田道灌は、江戸から京都への旅日記「平安
紀行」の中で、ここ「鶯が原」で、
”聞ままに かすみし春そ しのばるる 名さへなつかし 
 鶯が原”と、詠んだとあります。

やがて、中山道が、長沢(ながそ)集落に入ると、左手に
「やくし道」への道標があり、明星山薬師寺への道を示して
います。


更にその先に、「小川(こかわ)の関」跡の古い石碑と、
「歴史街道 柏原宿 枝郷 長沢(ながそ)」の新しい石碑が
同じ場所にありました。

「小川の関」は、不破の関よりも以前に設けられた関所です。
そして、小川の関跡の先には、「菖蒲(しょうぶ)が池」跡の
石碑と案内板がありました。



案内板によると、大納言俊光が、ここ菖蒲が池で、
”君が代の ながき例(ため)しに 長沢の 池のあやめは
今日ぞ 引かるる”と詠った、とあります。

また、案内板には、昔は、ここに大きな池があり、源氏ホタル
で有名な天野川の水源だった、と書かれています。

しかし、江戸時代に田地になって消滅してしまったらしいです。

菖蒲が池跡を過ぎると、中山道はやがて杉林の道になります。


杉林を抜けると、右手に「歴史街道 中山道 東山道 横川駅
跡 梓」と刻まれた大きな石碑と、道祖神がたくさん入って
いるお堂がありました。



そこから、中山道は、国道21号と名神高速を左手に見ながら
平行して進みます。





ここにも、上の写真の様に、道祖神がたくさん入っている
お堂があります。



梓河内のバス停を過ぎて、梓集落を抜けて行くと、松が少し
ある並木道になりました。





やがて、街道は、国道21号にぶつかるので、案内板に従い、
国道21号を横断して、国道21号の反対側の歩道を歩いて
行きます。





中山道は、国道21号から左の細い道へ入ると、直ぐに一色
集落で、「一里塚の跡」の碑がありました。




一里塚の先に、古くて長い塀の立派な家があったので、覗いて
みると、下の写真のツルベの付いた古い井戸がありました。



間もなく、醒ヶ井宿に入ります。

柏原宿から醒ヶ井宿までは、約6キロです。


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コメント一覧

更家
柏原宿を再訪
ありがとうございます。
柏原宿は、柏原駅の前に位置し、交通の便利もよいので、次回、福助と歴史館のために、少し戻って再訪するつもりです。
ついでに、ご紹介頂いた成菩提院など、中山道から余り外れないところも回ってみようと思います。
Komoyo Mikomoti
追伸
http://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
「歩いて行ける」と書きましたが、
歴史館はともかく、上に書いた場所を全部回ると半日必要かもしれません。
Komoyo Mikomoti
柏原宿
http://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
柏原宿は、好きな宿場町の一つです。

福助も歴史館も見られなかったとは残念です。
特に歴史館は展示も充実しているので是非、再訪してくださいね。

少し街道を外れますが、
佐々木京極家の菩提寺や、北畠具行の墓など、
太平記関連の史跡も歩いて行ける範囲にあります。
戦国の諸将が宿泊したという成菩提院というお寺もあります。
更家
律儀さが滲み出る福助人形
ええ、福助人形に実在のモデルがいたというのは、私も今回始めて知りました。
ホントに、福助人形のお辞儀姿は、律儀さがにじみ出ていますよね。

そう、伊吹堂の福助が、足袋を売らずにモグサを売っていたとは、意外でした。
もののはじめのiina
福助
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/fc0e0ff6fd7675baab999c4abe09a78f
福助人形に実在のモデルがいたとは、初耳でした。
福耳の福助人形が深々とお辞儀する姿は、律儀さがにじみ出ていて かわいいです。
老舗「伊吹堂かめや」にいた福助は足袋を売らずに伊吹艾(もぐさ)を売っていたとは、時代ですね。

     福助は 油売らずに もぐさ売る / iina川柳

やはり江戸小路まで行くには、余裕の時間が必要です。
きょうは、伊豆の旅の第一歩として箱根の山中城跡を散策しました。 更家さんも、東海道ですから寄っていることでしょう。

更家
丹波の國さんへ
前回は、番場宿まで歩いてから帰京しました。
従って、現在、番場宿までの写真整理と文章作成をしています。
(だいぶ、記憶が薄れた場所もあり、苦戦していますが・・・)

近江八幡の近江商人の屋敷は、東海道踏破の際に、大きく寄り道して立ち寄りました。
安土城は、これから寄り道する予定です。

横川駅の近くには、中山道歩きの人のための旅館があるみたいですよ。
私は、高崎のビジネスホテルに宿泊しましたが。

いよいよ、中山道踏破も大詰めですね。
関東は、4月初旬まで雪が降る可能性がありますので、寒さ対策にはお気をつけて歩いて下さい。
丹波の國から
近江路
ブログの目次は番場宿まで載っていましたが、近江商人の屋敷や、安土城は行かれたのでしょうか?

私は、軽井沢までの宿泊は予約したのですが、碓氷峠を越えた後、横川の茶屋本陣まで歩き、横川駅から18切符で川崎、横浜近くまで行き宿泊、翌日東海道線で帰るか、松井田宿まで歩き、高崎で宿泊、翌日熱海行を乗り継いで帰るか楽しみながら、悩んでいます。
更家
福助人形
そうなんですかあ、私の様に、福助人形の写真を撮りにくる旅行者が多くて、商売に支障がでる程有名なんですね。
お灸は、現在でも、未だ結構、愛用者が多いので、商売も忙しいかも知れませんね。
hide-san
福助
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
福助人形の写真を撮りにくるお客さんが絶え間なくあるため、
商売でない方は立ち入らないでください、
のようなニュアンスの張り紙があったような気がします。

それで通りの反対側から覗き込んだ記憶です。
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