ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

中山道を歩く(03:浦和) 5km  2012.11.16


(写真は「野菜を売る女性のブロンズ像」)

現在の浦和は大都会ですが、江戸時代には、本陣1、
脇本陣3、旅籠15の小さな宿場町だったそうです。
・浮世絵

英泉作の浮世絵は、浦和宿を臨む浦和台地からの
眺めで、噴煙は浅間山です。
「木曽路名所絵図」によると、「空晴れたるときはここ
(浦和宿)よりも 浅間山見ゆる」とあるそうです。
う~ん、浦和の街から、浅間山の噴煙が見えた、
 とはね~!

 浮世絵の中央の小さな橋が高台橋、橋の向こうに
 更に小さく見える家並みが浦和宿です。
 右手の二人の人物は、刀を差した侍と荷物を担ぐ
 供の者です。
 左手は、荷を乗せて馬を引く馬子(まご)、そして
 馬の後ろにいるのは、肥料にする馬糞を掻き集める
 村の子供だそうです。
 馬糞集めネ~!

 江戸時代は、徹底したエコとリサイクルだったん
 ですね~!
 浦和宿の名物は、当時、二・七市で売られていた焼米
 と織物だったそうです。

・玉蔵院(ぎょくぞういん)

 関東10壇林(だんりん:仏教の学問所)に数えられた
 という有名な真言宗の寺です。

・浦和本陣跡

 浦和本陣は、明治時代に建物は取り払われ、現在は上の
  写真右の白い案内板のみです。

  囲いの中の石碑は本陣跡の碑ではなく明治天皇の大宮氷川
 神社行幸の際に行在所となった場所としての記念碑です。
(「中山道 浦和宿」の碑)

・二・七市
 2と7のつく日の月6回、浦和宿では、市が立って
 賑わっていたそうです。

 その市が立っていたという常盤公園の入口に、写真
 の「野菜を売る女性のブロンズ像」がありました。
(常盤公園)

・郭信寺(かくしんじ)



 郭信寺は、本堂、地蔵堂、鐘楼などがあり、木造の
 鎌倉時代の阿弥陀如来像で知られます。


 寺の入口に「さつま芋の紅赤発祥の地」の案内板があり
 ました。
 この辺で、盛んに芋が栽培されていたということは、
 江戸時代は、この辺り一帯は畑だったんですね~。


・針ケ谷の庚申塔

 大原陸橋東の交差点の中の三角形で囲んだガード
 レール?の中に、上の写真の庚申塔がありました。

・一本杉碑

 ここにあった一本杉は、江戸時代には、高さ18メートル
 の巨木で、遠くからの目印だったそうです。
 写真の一本杉の碑と、その案内板がありました。
 案内板によると、1860年に、水戸藩士・宮本佐一郎が、
 丸亀藩浪人・河西祐之助に口論の末殺されます。
 この際、負傷した河西は、同じ年に起きた桜田門外の
 変(大老・伊井直弼への襲撃事件)の逃亡者と間違われ
 て捕えられ、その取り調べを知った宮本佐一郎の息子・
 鹿太郎は、河西の居所を突き止めます。
 1864年、仏門に入ろうと江戸へ向かう河西を、鹿太郎
 と3人の助太刀が、ここ一本杉で待ち伏せ、父の仇を
 討った、とあります。
 この仇討ちは、幕末最後の仇討ちとして、当時、かわら
 版、はやり歌などで中山道界隈に広まったそうです。
 へ~! 
 江戸時代の最後の仇討ちなんだ~!
・女郎地蔵

 当時の刑場跡であることを示す「三界万霊」の供養塔です。
 さいたま新都心駅の前の歩道上にひっそりとありました。
浦和宿から大宮宿までは、約5キロです。


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