weekly なんとなく again

身のぐるりの出来事をゆっくりと

@夕陽@ただいま!北の国の春@スイセン@ニリンソウ@ヒマラヤユキノシタ@エンレイソウ@ショウジョウバカマ

2017-04-24 | 日記

           

春ならではのシートをかけた畑、ビニールハウスに夕陽が落ちてゆく様は、ひとの営みを象徴してるような気がする、なんたって始まりが肝心、といえば、



                          

            

手入れが行き届いてるその石の積み方が気にいって、人生も小石をキチンと積んでくればそうそうわるくないんじゃないの ̄と思えるような、桜もいい

             

                                

                         

根性桜といえば在り来たりだけどやはり目がいくものです、北の国での暮らしは老いとの暮らしですから、私ゃ若いね~と思ったけど、東の国では完璧

に、立ち位置が婆様そのもの、なんだかその思いのギャップが腹立たしくなって、結局はいつもの東北道帰宅、

その景色の変化を山山の木々で感じながら、あーーーやっぱ農婆なんだな~と気づいていくわけよ、海っぺりにも憧れるけど、農家の血が濃いのです。

まあそれでいいんですけどネ、子らがこの暮らし方を敢えて批判しないだけでもありがたい、それもそうだし、何だかんだと言ってはみてもこの暮らしが、

イヤなわけじゃないな~と、またまた思って、まぁ~いっか~と、短絡的といえばそれまでだけど、こうして気分で動けるうちが華!と思った次第だわ。

書きたいことは山ほどあるので、ここ何週間かは思い出しながらネタをご披露 ̄できる範囲でね、なにせ面も割れてることだし(笑)

                                 



      

隣家の畑は起こされ整然とし、家の裏の水仙は咲き揃いと同時に雑草も、寒い中にも春はしっかり北の国にも来てて、漸く帰って来た!という実感が。

                 

                     

スイセンも清楚に咲くのもあれば、奔放に咲くのもあって、これまた花の世も面白いものだと捉えられる心の余裕が得られたのがラッキー!!!


                 

朝のニリンソウ    の姿はひと際可愛らしく、

         

         

 日中の咲き盛る様も ↓ これはこれで眩しくもありなかなか見応えがあってよろしいわ。

     

ニリンソウも先ずは一輪づつ咲き、連れの花はその茎元に咲きますわよ~と、 親子の飲み会も送られ旅もなかなかのもんで、お互いに大人になった!

     



                         

ヒマラヤユキノシタ  も堂々の開化で春!

 

母と娘というものは蟠ったり諍ったり時には距離を置いたりのくり返しだと、母と私を思えばよく分かる、そこを経て後に労わり合ったりするということだ、

けど、なかなか私はそこに気づくのは遅かった、私、60代になってからかしらね~

娘それぞれだろうけど今回は私、娘の優しさのかけら(こういうところが私の可愛げのないところ)に触れてけっこう感に入ったわ、お母さん、肌荒れてる

とマッサージをしてくれた、それは娘の生業じゃあないから尚更かもしれないけどいい気分だった、

それだけ心もざらついてたということだけど、やはり肌がすべすべすると、心もちもすべすべするもんだわね~

そして息子らは違った意味で私の老いを感じたのだろうか、労わりのかけらをくれた、72歳おめでとう!と乾杯はして飲んで食べた、美味しかったし楽し

それでも、何だかめでたさも中ぐらい・・のあの心境だった、孫も大きくなれば興味は違う方向へいくもんね。

そして今問題になってる70代の運転の件、すったもんだはしたけど思い通りに続行することとなり、私ゃやっといい気分!!!


            

地味目なところで  エンレイソウ、朝陽を背にして透かしてみましたがこの方が葉もきれいだわ。

 

家族と離れて介護だなんて恰好つけちゃって!と言われることも多いけど、家族だからいつも寄っちゃばって(分かって貰えるかしら?地方ことば)居よう

そういうことばかりではないわけだし、縦しんばそういう労働という分け方をすれば、女手のない都下には文言もあろうし、

娘にも言い分も、息子にも言い分はあろうことぐらいは百も承知だけど、そこを老い母に譲ってくれないだろうかと思ったのよ、娘しか産まなかったから、

と自分に言い聞かせて独居20年は上出来じゃあないか?母は、

そう思えば、余力があると思える私の家族に、ここを、ここを今だけ、煩い母が(今度は私です、私のことよ)居なくて、もしや息抜きが出来てるなら、

頑張っておくれと言いたい、

寿命が延びたなら、介護の仕方もそれぞれで、同じ方向じゃあなきゃということにはならない時代になったのだから、ベストと思える方法で老いを護ろう


              

花の命は短くて・・・とはよく言ったものだが、ショウジョウバカマ  も色褪せて、けれど、枯れ色には枯れ色の色っぽさがないわけじゃあない のよ。

さて70代の車の運転について、家族の反応はそれぞれで、Dは都会に暮らしてるから車の必要性も感じないらしい、子ら3人


                     

あれほど早春から青空を、曇天を彩ったマンサクの萼片  が、色どりを際立たせて最後の命を指し示してた、とは大げさだけど花を愛でるには手入れ

それは当然だけど花の終わりをも見届けたいものだ、

ひとの命もそうであるように、いかなる事情があったにせよ、老いたひとを労わり気遣いを出来ないようではちょっとねぇ、悟ったわけでもきれい事を言う

わけじゃあないけど、

花にも傷やシミや終わりそうな姿を見てるとしみじみそう思う、休養明けというのはなんとなく、ひとらしい心を持てるものだな~なんちゃって。


        

すべすべ咲いてたフクジュソウも また今は  これで私の希求心を満たしてくれるから花の一生も尊い。

「私、誕生日ですから~」と言いながら、それが家族が暮らしてる家だからってちょっと 私ファーストと思わないでもなかったけど、大人の休日倶楽部の、

序だし、畑が忙しなくなればそんな暢気なことも言ってられないし、この辺りが妥当かな?と思って動いてよかったわ、

先ずは家族がいた!という実感を得、そこの微妙な食い違いがあったとしても、今回は特に、ある面で優しくして貰ったなぁ~と、つくづく思ったのだよ。

それが何かと問われれば、本音をぶっつけあっても、飲めば(呑むとも含めて、だって飲めないひともいるからさ)それで気が済んでそれぞれの暮らしに、

向かえるギア・チェンジのような。

どのように老後を過ごすかなんて、先行きは分からないんだから、まあ目先を一心に見つめて、少し心もちをゆったりとして、時間を過ごすことが大事だと

今更ながら感じた日々だった。

黙って飲んでれば肴を出してくるなんて、そんな奇特なオトコはそうそうざらには居ないだろうと思えば、その点だけでハイハイありがとうございますぅ~と

 


                   

孫の③ ④ 大きい孫には予定もあろうしなかなかスケジュールを合わせられずに会えず仕舞い、そのうちね~と言っておいただけ。

顔も貸さない(孫)になっちゃってせめての後ろ姿のみ、思えばこれも成長の証しだから。

たった2人の私ら夫婦から子が3人、孫が4人となったんだし、夏にはこっちにも来れるようだから、賑やかしということで楽しみにして農婆は励みます。


 

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