カレンフェルト。(Karrenfeld)

2006-04-29 23:43:37 | 旅行記

アウトドア系引きこもり。
まだまだ軽度(のはず)ですが、十分その素質を備えていると自覚はしてます。

一人でふらりとお出かけすると、話し相手が居ないので、車内ひとりカラオケ大会するか独り言の応酬になるか、延々黙って運転するか。
時折ラジオに向かってつっこんでみたりもしますが。
その様子、人にはきかれたくないです;

さて、先日四国を訪れた時は、珍しく牛兄に同行したので、いちおう独り言の応酬にはならなかったんですが、牛がアスファルトの上に転がるかんきつ類を見て「うぉ!すげぇ!転がってるよ!たくさんあるよ!うぉぉぉ!!」と叫びまくってたらば、「おまえ、ミカン見て『うぉー』って何だよそれ;」と冷ややかに言い放たれました。
いや、だってさ、牛にとっては非日常な日常だなぁと感動してさ。

そんな牛兄にもご満足頂いたのが、四国カルストの風景でした。

カルスト台地というのは石灰岩の溶食地形です。日本で有名なのは山口県の秋吉台のほうかもしれません。
牛兄のロングドライブは、走ることと目的地への到達そのものが目的なので、有名な観光地や名物をターゲットにしているわけではありません。そのため四国へ行く事は決めてても、上陸「四国のどこ行くか」というのはほぼ無し。せいぜいうどんを食べたい、くらいだったようで。
それで牛が行き先希望として挙げたのが四国カルストにある天狗高原です。

<カルスト地形ができるまで>
数億年前、海の中でさんご礁が発達。

たまりにたまって石灰質の地質ができる

数百万年前、地殻変動やらプレートの移動やら隆起やらで、石灰質の部分が陸地になる。四国の場合はそのまま山のてっぺんに。
その間、雨風にさらされて浸食される。

できあがるのがカルスト地形。

カルストに見られる地形のうち、台地の一部分がすり鉢状にへこんだのがドリーネ。
点在するドリーネがいくつかつながり、小さなくぼ地になったのがウバーレ。
ウバーレがつながって、広い盆地になったのがポリエ。
そのほかにも形状によっていくつかの名称がありますが、石灰岩が地表に露出しているのをカレンといい、中でも柱状の石灰岩が無数に点在しているのが「カレンフェルト」と呼ばれます。
地理とか地学とかで出てくるので、聞いたことあると思います。

無駄に書きましたがつまりこういうのがカレンフェルト。
P4180172
よく「羊の群れのような」とたとえられるようですが、そのとおりです。
広い高原を利用して放牧もされてるようです。牛も車の中から黒牛さんを見つけました。
牛のカメラの拙い写真じゃぜんぜん迫力が伝わらないと思いますが、ここの道路の逆側をパノラマ状態にしてみましたので(繋ぎ目がアレですが;)よっぽど興味のあるかたはこちらからダウンロードを。
「Karrenfeld.jpg」をダウンロード
何億年も前はこれが海の底にあってあーんなそーんなこーんなサンゴだったに違いありません。探すと化石も出るそうな。
牛兄のほうはどちらかというと鍾乳洞好きです。
あれは基本的に地下水に含まれるカルシウム成分が地中の水路である洞窟内に蓄積するもので、そもそもカルシウム分は主として石灰質の地層から供給されるわけですから、牛は石灰岩な地質に鍾乳洞アリだと思い込んでます。
実際、ドリーネから地下に雨水が流れ込む地形にも名称があり、ちゃんと調べてませんがその地下から鍾乳洞が発達している可能性はアリアリな筈です。
知識として持っているのと実際に目の当たりにするのは本当に大違いです。受験で地理専攻で必死に地形の名称覚えてるヒトも、この情景を目に焼き付けつつ太古の海に想いを馳せれば、知識なんて後からついてくるはず。
フヒヒ、こりゃ大人の特権だな。w

今回、徳島から上陸して香川、高知、愛媛と、蛇行して四国を走ったんですが、やはりそれらしい地形が多く、高さがほぼ均一の長い山が延々と続いていたり、小山の上に、生えてきたような切り立った岩盤が乗っかっていたり。
もちろん高知から愛媛にかけて、カレンフェルトが見られる天狗高原をぬける前後はかなりの標高のある峠越えです。(カロゴン、よくがんばったなぁと思う程。。。)

「僻地」と呼ぶにふさわしい山間の集落を通るたび、ここに住む人達の食料の供給状況や、医療は十分なのかとか、教育やライフライン、救急や消防などはどの程度整備されているのかなどなど、(地元の方には余計なお世話でしょうが、)色々考えてしまいます。
もし自分がここに住んでいたら、とかね。
(ちなみにそういう所に行くと、必ず「地元の商店」を探したくなるのですが、今回だいぶ時間が押してたので寄れず。残念。)

でも、走ってる途中に大規模な黒煙を見つけ、路肩にたくさんの人が集まっていて、実際に火事と思われる現場を目撃しましたが、しばらく走ってから、サイレンを鳴らしながら走る消防車とすれ違いました。
地元の消防団もいるでしょうが、どれだけ離れた隣町からの応援だったんでしょうか。
もし火元が民家だったら・・・住民にとってはただでさえ時間は長く感じられるでしょうに。
それでもそこに生き続ける人がいるわけで、むしろ都市には無い生活や時間や夜があるんでしょうね。

太古の地形とその麓に住まう人々に、リスペクト。