もなぴの徒然メモ

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◆安倍総理の「蘭・英訪問」の興味深い視点

2019-01-11 15:40:39 | 時事ネタ

新年早々の安倍総理の海外訪問、その訪問先はオランダとイギリスですが、ネット上にはこの2国を同じタイミングで今回訪問していることの「意味」について、いくつか興味深い指摘を読みました。

興味深い点は、国家としてのオランダは現在の国際政治の表舞台では、プレーヤーとして注目される存在ではありませんが、実際に世界を動かしている「国際金融グループ≒グローバリスト」の本拠地のひとつであり、発祥の地であるという指摘です。

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1602年:オランダ・東インド会社設立。(世界初の投資事業形態)
1609年:オランダ・アムステルダム銀行創立。(世界初の公立振替銀行)
1694年:英国・イングランド銀行創立。(世界初の中央銀行)

◆引用元:無題のドキュメント まるぞう備忘録
 2019-01-11 09:17:15 / 今日のひとり言
 https://blog.goo.ne.jp/ohisama_maruzo/e/875cc9a0ccc914ec9dbba9d4749b0a31
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17世紀初頭に、当時のヨーロッパにおいてもっとも早く「近代市民社会」が成立した(と私たちが歴史として知らされている)オランダで発明されたのが、現在に至る「株式会社」という、国家や王朝とも対抗することのできる「不死の主体」と、それに実力を与えるための「貨幣経済」のしくみだったということです。

そのおよそ100年後にイギリスが次の実験を展開する拠点となり、それが100%民間会社の「中央銀行」という仕組みの発明=イングランド銀行の創設だったと。つまり「紙幣を発行する権利=利権」を一手に握ることで、国家の経済の根本を事実上、手中に収めてしまうという仕掛けです。いまも各国の中央銀行は、民間会社か民間資本が入っている存在です。もちろんFRBも日銀も。

私たちが習った世界の歴史では、オランダの次に世界の覇権を握ったのは、そのイギリスです。やはり国力=経済力≒軍事力ということなのだなあ・・・と気づきます。さらにその後は第二次世界大戦によるヨーロッパの疲弊から、国際金融決済機能としての「基軸通貨」の地位を、ポンドから米ドルに移すことにより世界の覇権はアメリカが握り、いま現在、チャイナが共産党政権の存亡をかけてそれに挑戦しています。

また、オランダ発祥の「国際金融グループ」は、イギリスを拠点とするグループと、もうひとつスイスを拠点とするグループがあり、それぞれが世界で受け持つ国の地域を住み分けている、との指摘もあります。アジア地域では、イギリス拠点グループが受け持つのは日本だけで、それ以外はスイス拠点グループが担当しているとも。

1つのエリアを2分して、その両方を裏から別々に支援することは「両建て」の投資となり、対立と紛争で何らかの動きが生じれば、結果として必ず利益を手にできる、という巧妙な仕掛けです。そう、株や為替で相場が「乱高下」すれば、上がる局面でも下がる局面でも、ブローカーが必ず利益を得られるのと同じです。そして彼らにとって利益の追求とは、世界を支配(コントロール)するための力を「持ち続けるため」ということなのでしょう。そう、個人の利益追求とは別次元のところにあるのです。

先の大戦では、日本は「負け側」に入れられてしまいました。その後の「奇妙な」冷戦も、半島の分断も、その冷戦終結後のチャイナの異常な台頭や、強気の北朝鮮・金正恩の振る舞いなどなど。。。近現代の「世界大戦」や「紛争」について、通り一遍の説明に誤魔化されないで、巧妙に隠されている仕組みや構図・構造を知ることは、ものごとの本質を理解するためにとても重要な作業です。

私は、よくご紹介するブロガーの「まるぞう」さんや、元外交官の馬渕睦夫さんの「見立て」は、戦後から現在、そしてこれからの世界と日本の方向性を考えるうえで、非常に参考になると感じています。

そして、このオランダ・イギリス訪問の後に、安倍総理はロシア訪問を挟んで今月下旬に「スイス」でおこなわれるダボス会議に出席されます。安倍総理の努力と、決して表に出ることのない交渉や取り引きが、日本の将来を左右しているのかもしれません。


◆やはり【言霊の幸ふ国】

2019-01-11 13:03:04 | 日記

明けましておめでとうございます。
日本は「ことだま‐の‐さきわう-くに」【言霊の幸ふ国】ですから、新しい年の始まりは、やはりこのご挨拶の言葉がしっくりときますね。

この【言霊の幸ふ国】とは、多くの人の口の端に上るので、私のような無知蒙昧な者でも、門前の小僧的にすぐに思いつくのですが、出典が万葉集の「言霊の幸ふ国と語りつぎ言ひつがひけり」〈万葉集・八九四〉であることは、このブログのために検索して知りました。とても便利な時代ですね。

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万葉集 巻五・八九四 山上憶良

神代(かみよ)より 言ひ伝(つ)て来(く)らく そらみつ大和(やまと)の国は
皇神(すめかみ)の厳(いつく)しき国 言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国と
語り継(つ)ぎ 言ひ継(つ)がひけり (抜粋)

神代の昔から言い伝えるには 大和の国は
神が威厳を持って守る国 言霊が幸いをもたらす国と
語り継ぎ 言い継いできた
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(それにしても1300年以上前の人が遺した文を、こうして当時の雰囲気を感じ取れる形で、いまの私たちが受け取れること自体が、日本の国が途切れることなく存続し、文化や伝統が継続していることの証左ですね。)

日本は「言葉の霊力が幸福をもたらす国」。その意味する本当のところを日本という国土に暮らす私たちが、ときどきに思い返してみることにこそ、とても深い意義があるのだろうと感じているこの頃です。

よく「言霊信仰」として「悪いことを招き寄せないために」と【リスク想定を忌避する日本人の姿勢】を揶揄することがありますが、これは【言霊の幸ふ国】の意味を理解していないゆえの誤解ですね。

「情けは人の為ならず」を「人に情けをかけることは、その人のためにならない」という意味だと、まったく反対のトンチンカンな解釈で誤解しているようなものだと思います。

憲法学者でありラーメン店経営もされている、作家の竹田恒泰さんが「正月はなぜめでたいのか」という話の中でされている、正月というのは、実は外形的な事実として何かめでたい事象があるわけではなく、人々が「新しい年を、良き言葉と良き思いの、目には見えない霊的エネルギーの蓄積からスタートさせるもの」という、極めて宗教性の高い習慣がその本質という趣旨の指摘には、深く納得します。

そう、だから特定のめでたいことがあるわけでもないのに、新年に会う人会う人に対して、私たちは挨拶の言葉として、一年分の「言祝ぎの言葉=おめでとうございます」を、お互いに交し合うわけです。なんと素晴らしいことではないでしょうか!そんなせっかくのチャンスなのに、形式的だからとか恥ずかしいからと「本年もよろしくお願いいたします」だけの挨拶では、ちょっともったいないのですね。

ですから、本当の言霊の力とは「よき思い・よきことば」が、私たちを生かしている神々への感謝となって、その威力をいや増すためのものなのだと、私は思います。あえて人が悪い思いを持ち=悪意の言葉を使う場面というのは、それはそもそも神々とは切り離れた状態でしょうから、本来の言霊の力とは無関係ですし、むしろ全くの別物である「呪い・呪詛」そのものです。

平成最後の年、皇紀2679年は、また時代が大きく動く気配が濃厚になってきました。来るべき国難・リスクへの備えは、皆様くれぐれも怠りなきよう、私も今年1年を、自分にできる精一杯で頑張っていきたいと思っています。