冬来たりなば。その6。
http://blog.goo.ne.jp/ohisama_maruzo/e/440eed148246d4c6a2fbf12251c796a8
▼真の国益とは何か
このまるぞうさんの考察を読んで、いまこのタイミングを迎えてみると、日本は先の大戦で「歴史上一度だけの大敗」を喫したことが、やはり結果的には良かったのだと思いました。
もちろん、世界を裏から支配する勢力の謀略に乗せられてしまったことや、戦後の日本人が目隠しをされ続けてきたことは悔しくもありますが、逆に勝ってしまっていたらどれだけの「負の因子」を積み上げていただろうと怖くもなります。
打ちひしがれることもあったし自信を失うことがあっても、過去の間違いを反省して謙虚に戦後70年間を「究極の下から目線」のスタンスで国際社会に復帰し貢献したことは、国家としての「善徳」を積む要因となっていると思います。
あの敗戦・占領を経て独立を回復した直後のまだ復興途上の1954年から、当時のビルマとの平和条約、賠償・経済協力協定を皮切りに、アジア諸国に対する賠償を開始し、さらに1958年にはインドに対して初の有償資金協力=円借款供与で、本格的な経済協力を開始したことを、先日読んだ元ウクライナ大使の馬渕睦夫さんの著書で知りました。(馬渕睦夫『そうか、だから日本は世界で尊敬されているのか!』ワック刊:2015年)
当時、「日本は世銀やアメリカから借金している立場なのに、なぜインドに180億円もの援助をするのか」との国会質問に対して、「アジアには日本よりも貧しい国があり、それを同胞として助けることにこそ意義がある。日本の援助はいわば《貧者の一灯》である」と時の政府は答弁したそうです。
いま日本でも、グローバリズム権益勢力が振りかざす、ポリティカル・コレクトネスという《自由と人権》の仮面を被った「言葉狩り」による、議論の封殺が問題視されるようになってきました。
一方に振れすぎた振り子が戻るこの時代だからこそ、私たち日本人は「中道・公正・誠実」を意識して、生きていかねばならないとあらためて考えました。