
H.G.ウェルズの原作を、トム・クルーズ主演、スピルバーグ監督でリメイク。異星人の地球侵略を大スペクタクルで描く。
2005年 アメリカ、SF サスペンス
2005年6月29日 川崎チネチッタ
監督 スティーブン・スピルバーグ
原作 H.G.ウェルズ
出演 トム・クルーズ、ダコタ・ファニング、ティム・ロビンス、ジャスティン・チャットウィン、ミランダ・オットー
ニュージャージーに住むレイ(トム・クルーズ)は、平凡な港湾労働者。分かれた妻(ミランダ・オットー)との間に息子ロビー(ジャスティン・チャットウィン)と娘レイチェル(ダコタ・ファニング)がいる。
異変は突然起こった。
子どもたちが面会に来た日、不気味な雲が現れ、強風の中で稲妻が繰り返しとどろく。雷が落ちた場所の地面が割れて、地下から巨大なマシーン=トライポッドが出現して人々を襲う。
街は破壊され、パニックになって逃げる人々・・・・
公開間もないので未見の方のためにネタバレに配慮します。
以下はネタバレです。
↓↓↓↓↓↓
レイは子どもたちを連れて妻の家の地下室に逃れるがそこも安全ではない。恐怖のあまり不安がるレイチェルをなだめ、反抗期のロビーと行動を共にすること自体が、レイには大変なことである。
次第にトライポッドはレイが見た1台だけではなく数え切れないほどあり、全米を襲っていることが分かる。そして、人類が地上に住み着く前から、計画的にトライポッドが埋められていたのだろうと推測されるのである。
技術的にも物量的にも、人類の軍隊では歯が立たない。
レイは再び二人を連れて裏道から妻のいるボストンに向かうが、唯一動いていた自動車も暴徒に奪われ、徒歩での逃避行となる。人々は避難する中で自己中心的になって、殺伐としていたのである。
ロビーは若者らしい正義感から自分たちだけが助かることを由とせず、軍隊と共に戦いたいと父親から離れていく。止めるすべもないレイ。
ある家の地下で身を潜めていた男(ティム・ロビンス)に助けられ、レイはレイチェルと共に何とか生き延びようとする。しかし男はレイと違って、地下活動をしながら敵と戦いたいと言う。
異星人が彼らが隠れている地下まで探索に来たときにも、その考えの違いが決定的になる。
地上の人々は異星人によって害虫のように駆除されていく。トライポッドは人間の血液を吸って、奇妙な糸を張り巡らせて地上を覆っていた。
レイがレイチェルとボストンに到着する頃には、ますます人間たちは攻撃され、追い詰められて行った。
しかし、ボストンの街中でレイは不思議な光景を目にする。
トライポッドが倒れてビルに激突しているのである。他のトライポッドにもシールドがなくなり、軍隊に攻撃されて中の異星人も死んでしまう。
軍隊にやられたのではなく、これは異星人たちが地球の空気を吸い、地上の食べ物を摂取したことにより微生物に犯されて自滅していったのであった。
レイとレイチェルは元妻たちと再会し、新しい家族の絆が確かめられるのだった。
異星人来襲を描いた原作に加えて、アメリカ人の好む家族の絆を描いた物語でもある。
1953年当時には、無邪気に信じあえる隣人としての人々が描かれていたが、今回の避難する人々は自己中心的に自分を守るために、他の人の所有物を盗り、命さえも奪う。
それは、主人公のレイでさえそうである。
彼は英雄ではない。港湾労働者として優秀だが、平凡な男である。
自分と子どもたちの命を守るために利己的な行動に出るが、誰も彼を責めることは出来ない。観客はレイに自分を重ね合わせ、なるほど、自分も場合によってはこんなことをしかねないと思うのである。
また、レイは父親としてはダメな部類でさえある。
生まれてからずっとのアレルギーを知らず、歌って欲しいといわれた子守唄を知らない。子どもに腹ごしらえをさせようとするが、子どもたちに食欲がないことさえ思いが至らない。そしてかんしゃくを起こす。
レイは異星人からの逃避行の最中に、自分の父親としてのありかたを改めて見せ付けられるのである。トム・クルーズは平凡でありながら、人間的に存在感のあるレイを演じ切っていた。彼にもこんな面があるのではないかと感じさせられるほどに。
何につけても反発するロビーだが、彼には若者らしい気概があって、そんな息子にも心を動かされるレイである。
軍隊と共に戦いたいという無謀な行動を止められないのも、その気概を理解できないわけではないからである。このあたりの父と息子の葛藤が、とても良く描けている。
ダコタ・ファニングは父親とイマイチしっくり行っていない娘・レイチェルを演じ、人間たちの恐怖を代表して表現した。
小さな女の子はこのパニック状況では絶望的に無力で、何回となく大きな悲鳴を上げ、おびえ、不安に震える。可愛い服は無残に汚れ、顔も真っ黒。
大きい青い瞳だけが異様に光り、恐怖に満ちていた。
1953年版に敬意を表したのか、異星人の外観や結末などを大きく変えずにいたのが印象的である。結果的に、伝統的な「タコ型異星人」を採用していて、これが凶と出るか吉と出るかと言ったところ。
ストレートな展開で特別な仕掛けは何もないが、安定した脚本で多少の矛盾もナンノソノである。(どうしてあんなにたくさんの人々がやられているのに、レイはいつも無事なのか?など)
ティム・ロビンスの演じる男も、人間たちの異星人に対する態度の類型的な一つであり、上手い演技が光って存在感抜群である。
1953年版では、主人公たちが教会に集まる場面があったが、今回は最初に破壊される建物が教会である。交差点の中央に空いた穴からトライポッドがアスファルトを突き破って出てくる過程で、頑強なレンガ造りの礼拝堂が破壊される。
まさに神不在の現代を象徴しているかのようである。

2005年 アメリカ、SF サスペンス
2005年6月29日 川崎チネチッタ
監督 スティーブン・スピルバーグ
原作 H.G.ウェルズ
出演 トム・クルーズ、ダコタ・ファニング、ティム・ロビンス、ジャスティン・チャットウィン、ミランダ・オットー
ニュージャージーに住むレイ(トム・クルーズ)は、平凡な港湾労働者。分かれた妻(ミランダ・オットー)との間に息子ロビー(ジャスティン・チャットウィン)と娘レイチェル(ダコタ・ファニング)がいる。

異変は突然起こった。



公開間もないので未見の方のためにネタバレに配慮します。
以下はネタバレです。
↓↓↓↓↓↓
レイは子どもたちを連れて妻の家の地下室に逃れるがそこも安全ではない。恐怖のあまり不安がるレイチェルをなだめ、反抗期のロビーと行動を共にすること自体が、レイには大変なことである。

次第にトライポッドはレイが見た1台だけではなく数え切れないほどあり、全米を襲っていることが分かる。そして、人類が地上に住み着く前から、計画的にトライポッドが埋められていたのだろうと推測されるのである。

技術的にも物量的にも、人類の軍隊では歯が立たない。


ロビーは若者らしい正義感から自分たちだけが助かることを由とせず、軍隊と共に戦いたいと父親から離れていく。止めるすべもないレイ。

ある家の地下で身を潜めていた男(ティム・ロビンス)に助けられ、レイはレイチェルと共に何とか生き延びようとする。しかし男はレイと違って、地下活動をしながら敵と戦いたいと言う。


地上の人々は異星人によって害虫のように駆除されていく。トライポッドは人間の血液を吸って、奇妙な糸を張り巡らせて地上を覆っていた。


しかし、ボストンの街中でレイは不思議な光景を目にする。



レイとレイチェルは元妻たちと再会し、新しい家族の絆が確かめられるのだった。

異星人来襲を描いた原作に加えて、アメリカ人の好む家族の絆を描いた物語でもある。

1953年当時には、無邪気に信じあえる隣人としての人々が描かれていたが、今回の避難する人々は自己中心的に自分を守るために、他の人の所有物を盗り、命さえも奪う。




また、レイは父親としてはダメな部類でさえある。



何につけても反発するロビーだが、彼には若者らしい気概があって、そんな息子にも心を動かされるレイである。


ダコタ・ファニングは父親とイマイチしっくり行っていない娘・レイチェルを演じ、人間たちの恐怖を代表して表現した。



1953年版に敬意を表したのか、異星人の外観や結末などを大きく変えずにいたのが印象的である。結果的に、伝統的な「タコ型異星人」を採用していて、これが凶と出るか吉と出るかと言ったところ。


ティム・ロビンスの演じる男も、人間たちの異星人に対する態度の類型的な一つであり、上手い演技が光って存在感抜群である。

1953年版では、主人公たちが教会に集まる場面があったが、今回は最初に破壊される建物が教会である。交差点の中央に空いた穴からトライポッドがアスファルトを突き破って出てくる過程で、頑強なレンガ造りの礼拝堂が破壊される。


感想は ももままさんとほとんど同じです。
思ったより 押えて描いてありましたね。
それが良かったと思います。
アクション中心にすると 娯楽だけの映画になってしまうので。
音の演出が 恐怖を倍増させます。
見えないとこで トライポットの起動する不気味な大きな機械音。
恐怖を感じました。
僕はウェルズの原作を読んでないし、'53年の映画も見ていないのでその関係はわかりませんが、とっても楽しめました。
なんで彼らは人類と戦いたかったんですかねぇ。人類が誕生する前だったら、もっと余裕をもって地球を支配できたのにね。細菌ともきっと上手く付き合えるようになっただろうし・・・
もしかすると異性人たちは地球を守るためにやって来たのかなぁ?? 地球をぐちゃぐちゃにしてしまう人類をやっつけるため? もしそうなら彼らは悪者じゃなくって良い者ですよねぇ~。
それとも単に誰かとケンカしたかっただけかなぁ? サバイバルゲームとして・・・。
僕は映画の演出法についてぜ~んぜん知識がないのでたいそうなことはいえませんが、一つだけももママさんと感想が違うところがありました。
僕はこの映画を見ていて仕掛けの多さと、スピルバーグさんの徹底したこだわりぶりに感動しました。流れをつくりだす仕掛けがいっぱい散りばめられていたように感じたんですが、僕の満足レベルが低すぎるのかなぁ・・・
まあ、別にそれはどうでもいいんだけど、僕は観客と知恵比べをするかのように伏線を張り巡らせている映画よりも、この映画みたいに観客の感情を揺さぶることをただひたすら追い求める純粋なエンターテイメント映画が好きです。
私もかな~り期待して、公開初日の朝イチで観ました。(レディースデイでラッキー!)
おっしゃるとおり、異星人の来襲という部分ではストレートな展開で、ややこしい話にしなかったのは成功だと思います。親子の話にしたところは、どちらかというとアメリカ人好みかな~と思います。父と息子の葛藤などは、私的には好みですが・・・
音の演出は書き落としましたが、見事でしたね。不安と恐怖を掻き立てられる不協和音の機械音で、最後が不気味に半音上がったりするんですよね~。こわ~っ!
traumさん
演出については私もど素人。お恥ずかしいです。でも、異星人来襲の物語としてはストレートでは?そこがこの映画の良いところであり、弱みでもあるような気がします。
そして、いくつかある矛盾点の一つが「なぜ太古の昔から狙っていて、今地球を乗っ取ろうとしたのか疑問」という点。原作は突然の来襲であり、大昔から大掛かりに狙っていたという話ではない。なぜこのような疑問を生む改変をしたのか?突然の来襲という原作どおりでは恐怖が足りないのかしら?
映画の宣伝に意義があることがありますが、今回も首を傾げました。ちょっと「愛」を連発しすぎですね~
ロビーがあっさりボストンの家に到着していたのには、「あの結末」以上にがっくり来ました。
さすがにレイの評価は女性ならではの視点ですね。原作に忠実であるのなら仕方ありませんが、あの結末にはちょっと物足りなさを感じました。地球人には一発逆転の知恵をしぼって欲しかったです。
重点を置いてるので、こんな風な映画に
なるのでしょう。
おいら的にはいい感じでしたよ
あまりに、とってつけたようにわかると
好きじゃないんですねーおいらはw
あの結末は賛否両論ですね。オリジナルの言いたいことはあの結末でないと伝わらないと私は思っています。しかし、100年も前の原作なので、時代感覚が違いすぎなのかな。
辛いところです。
いるかさん
私も結末はアレでよかったと思う一人です。これが少数派ではないことを祈ります。
こちらのレヴュー、なるほどと頷きつつ読みました。
オリジナルとの違いも、わかりますよね~~。
当時の「いい人で、なすすべも無し」とは違う宇宙人の侵略に対する恐怖だけではないのですよね。
TBいただきます~。
異星人の来襲も怖いですが、パニック時の人間同士のエゴのぶつかり合いや暴動って怖いですよね~。1953年版では避難する人たちのエキストラは全員白人でした。今回は黒人もアジア系も本当に多種多様。リアリティがありました。