ある時、先生に「あなたたちはお父さんに関わり過ぎた。そろそろプロの手に任せてもよい時期だ」と言われたことがありました。施設へ入れるべきだということです。
私たちのことを思っての発言だったとは思いますが、色々考えるきっかけになった言葉でした。
関わり過ぎるってなんだろう? 一人では生きるのが難しくなった人を可能な限り家族が手助けするのは当然だと思ってきたし、何よりいっしょに過ごしたかったのです。
頑なにそういうことを否定してきたつもりはありませんが、その時その時の自然な感情で考え、自分たちにとってベターな選択をしてきたように思います。
そうは言っても介護生活とはなかなか厳しいものでした。ちょっとした気の緩みが命取りとなるような緊張の毎日…
目が離せず、家の中でさえ違う部屋で一寸何か用事を…ということも難しく、自分たちがトイレに行くことも大変な時もありました。遠出はもちろん、ちょっとそこまで…の外出も難しくなってきて、どんどん世界が狭まる寂しさもありました。
周囲の人たちは私の将来を思って「こんな生活していてはだめヨ」とよく心配してくれました。正直心が揺れ、焦りと不安でしんどい時期もありましたが、でも「今」すべきことってある。何でも適齢期ってあるのかもしれないけれど、それは一人一人違うのではないだろうか?とここ最近よく感じていました。どう考えても今私がすべきことは、やっぱり父と向き合うことでした。
父が患ってから十三年間、一つのこと、一人の人間と深く全力で向き合い関わって、色々な感情を持ちました。憎しみのようなものを感じる瞬間もありましたし、他のことでは得られない種類の喜びも沢山感じました。ほんの数秒、目が合って何か通じたような感じのするとき、ぞくぞくとするくらい心底嬉しかったものです。そして「老い」とか「病」というものを目の前で見続けていると、これを意識せず生きてゆくことの恐ろしさのようなものも感じていました。
大学を卒業した直後から介護生活で20代がドタバタと過ぎてゆき、変化を期待して迎えた30代… パッとした明るい気分で過ごした日って無かった気がしますが、今思うと、きらきらとした本当に大切な愛しい十三年間です。
8月5日の午後、病室で母と二人、小さな鋏で父の髪の毛を切り揃え、熱いタオルで顔を拭き、髭を剃り、口も耳も鼻も綺麗にし、お湯で手を温めた直後、旅立つ準備が整うのを待っていたみたいに、そっとその時がやってきて、最後の呼吸をはっきりと見届けることができました。
病室に夕方の穏やかな陽の入る3時53分でした。
こんな荘厳で穏やかな瞬間に立ち合うことができ、何かが解けるような、不思議な清涼感がありました。もしかしたら神様からの、父と私たちへの最高のごほうびだったのかな。
自宅へ連れて戻る道中には、晴れた空から優しくて強い雨がずっと降り続けていたのです。何も話せなくなっていた父が一生懸命何かを話してくれていたように感じ、なんだか心が落ち着き嬉しかったです。
帰宅するとご近所さんが早速に炊きたてのご飯を父のために届けてくださったり…と色々な方に助けていただきながら、無事に父を見送ることができました。
「悲しい」という当たり前の感情は大いにありますが、父も私たちも13年間精一杯頑張り濃く生きたので、悔いはありません。毎日父の命を守るために必死でしたから事故回避のためには酷く怒ってしまったことも何度もありましたし、やり場のない感情をぶつけて甘えてしまったこともたくさんありましたが、解ってくれていたはず…と信じています。なぜならば「大好きですよ!」という絶対の気持ちがいつも心の底にありましたから。
実のところまだ実感がわかず、現実に心がついていけていないフワフワとした日々なのですが、育ててくれた父に感謝し、いっしょに暮らした日々をゆっくり大切に思い出しながら受けとめていけたらと思っています。
diaryを見ていつも気にかけて心配くださった方々、いつまでも変わらず支えてくださりありがとうございました。