数年前に旅行で、北海道の神威岬に行ったことがある。
駐車場から岬まで、歩いて前に進むほどに景観に感動が増してきた。
ついに岬まで行き満足感にひたりながらUターンして来た道を戻った。
行きも帰りも見事な眺めに北海道に来たよかった。
神威岬に来てよかった。そう思った。
旅行から家に帰り復習をしていると、ガイド本と、景観が一致しない。
神威岬の肝心な場所を見物していなかった。
カメラで動画を残していたで見てみると、
約半数以上の人が、同じように、肝心な場所を眺めないまま岬を去っていた。
徒然草の有名な話、「仁和寺にある法師」は、
たぶん誰でも二~三回は、同じような体験があるように思う。
(仁和寺にある法師が見た八幡宮)
旅の場所・ 京都府八幡市男山 石清水八幡宮
旅の日・2015年2月18日
書名・徒然草
原作者・吉田兼好
現代訳・「徒然草・方丈記」島尾敏雄 世界文化社 1976年発行
(仁和寺にある法師が見なかった八幡宮)
「徒然草」
仁和寺にある法師
仁和寺に居た或る法師が、年をとるまで石清水八幡宮に参詣したことがなかったので情ないことに思い、
或る日思い立ってただひとり歩いてお参りをした。
麓の極楽寺や高良社などの末社を拝み、これだけのものと思いきめ、山上の本社には行かずに帰ってしまった。
さて、仲間に会って、「長いあいだ思いつづけてきたことがやっと果たせて、やれやれだ。
聞きしにまさる尊いものであった。
でも参詣の人がみんな山の方に登って行ったのは何があったのだろう。
自分も行ってみたかったけれど、神詣でこそ本筋と思い、山の上までは行かなかったよ」と言ったという。
些細なことにも先達はほしいものだ。
(第五十二段)
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