君と歩んできた道

いつかたどり着く未来に、全ての答えはきっと有る筈。

第十六章 一人きりの帰路

2016年04月10日 | 第十六章 一人きりの帰路
 手が、泉の中から生えるように出てきた。細く、白いその指が何かを捜す様に曲がり、動き、そして泉の縁に生えている草に触れる。
 ぴくり、とその指は反応する。しかし何度かその感触を確かめ、そしてやがて、その草の上に手の平を置いた。
 しばしの沈黙の後、もう一本の、対になっていると思われる手がその横から生えてきた。そして揃えるように草の上に手を置く。
 その手は二本とも、全く水が触れた跡が無かった。その不思議な光景は誰にも知られることなく、ひっそりと静かに動いていく。

 やがて、背伸びするかのような格好で「本体」が現れた。

「・・・!?」

 彼女は水に浸かったような状態のまま、辺りを見回して目を丸くする。そして息を吸い込むと、それを一度体内に留めてからゆっくりと吐き出した。
 緊張に唇が震えてる。彼女に向かう冷たい風が、その熱を奪った。

 シンとした、冬の天の下。
 音は何も聞こえてこない・・・。

 やがて空はそこから上がる為、腕の力で体を引き上げると、泉の縁に膝を着いた。しかしその体は、やはり全く濡れていない。服に汚れはあっても、それはカラカラに乾いていた。
 そんな事にも構わない様子で、空は辺りをもう一度見回す。そして泉の脇に生えている、小さな木に目を留めた。
 それに見覚えは、確かにある。取り戻した記憶の中に。

「あ・・・」

 嘘・・・。

 空はそれを見て、表情を歪めて肩を落とした。
 信じられない、この光景。これは迷いの集大成。

 嘘でしょ・・・?

 空は自分を責めて項垂れる。

「これから、貴女を帰します」

 ついさっき聞いた魔女の言葉が、脳裏に響いた。



 背中を向けたまま、魔女は言った。空はその背中に付いて歩く。

「出来れば、そうですね・・・あなたの部屋がいいでしょう。移動の面倒もないし、国王に話もしやすい」

 いきなり現れて、誰かを驚かす心配もない。そう呟いて、魔女が噴水の前で立ち止まった。

「・・・はい」

 空は横に並ぶ。二人で噴水の前に立つと、魔女が言った。

「貴女の記憶を辿って道を繋ぎます。強く、イメージして・・・」

 空は、目を閉じて言った魔女の横顔を見て、そして噴水の水に視線を移した。そこには自分が映っている。けれど、何も変わったことはない。ただの水たまりだ。

 部屋・・・。

 空は自分の部屋を思い出そうと、魔女と同じく目を閉じた。

 陸が切ってくれた枝を活けた出窓。そこから見える、町の風景。それらは鮮やかに、空の中に蘇ってきた。部屋の細部まで、ハッキリと脳裏に浮かぶ。

 爺がいて、お父様やお母様がいて。
 本を読んだ書庫。ケーキを焼いた厨房。
 花を愛でた庭。そこから抜け出して町に出る、緩やかな坂道。
 鮮やかに色付いた、記憶という名の帰る場所。
 それは多分「弱さ」を映す場所でもある。

 それから・・・。

 魔女はそっと目を開けて空を見た。
 空は目を閉じたまま、魔女の視線には気付かない。
 蘇る記憶に身を委ねたまま。
 やがて無意識の内に、記憶は一番「引き」の強い方へと流れていく。

 陸がいて・・・。

 全てが繋がっている、記憶という名の帰る場所。
 それは「弱さ」の逃げ道でもある。きっと。

「空姫」

 呼ばれて空は、ゆっくりと目を開いた。見ると、目の前の水面が僅かに光っている。そこに自分の顔は、もう映らなかった。
 すぐそこに見えていた底も、今は光に隠されてしまっている。

「行きなさい」

 空は魔女を見た。そして魔女が頷いたのに答えて小さく頷き、もう一度水面を見てからそこに触れてみる。

「・・・?」

 水に触れている感触がない。そして空は、どんどん深くまで手を入れた。どこまでも腕は飲み込まれていく。しかし肘まで入っても、やはり何の感覚もない。大きな箱の中に手を入れているような感覚。

 手を左右前後にずらしてみる。触れたのは、ゴツゴツとした固い感触。冷たい、表面の滑らかな布の切れ端を触った気がした。

「・・・!?」

 それを感じて空は、驚いたように瞬きをした。これは、一体何だろう?
 それは、動かない。何だか分からないまま何度かその感触を確かめ、それがしっかりとした固いもの、自分の体を預けられるだけの強度があると認識し、その感触の上に手を置いた。そしてもう一方の手も、同じように入れて同じモノを触る。
 行かなければならない。ここで、お別れだ。
 すぐ一人になる。もう誰も傍にはいてくれない。

「・・・」

 不安気に振り返った空をどう思ったか、魔女は小さく頷く。
 空はその魔女の後押しに、僅かに目を逸らした。

 一人。
 たった一人。
 でも、心に思うのはその不安ではなかった。

 陸に・・・。

 不安が足を止める。空は、そこから動けなくなってしまった。

 もしかしたら、陸に。

 もう、二度と会えない? 彼に、もう二度と会うことが出来ないかもしれない?
 もしかしたら、これが最後? もう最後なの? それが怖い・・・。

 ここで離ればなれになることを、決して後悔しない。この行動を恨んだりしない。
 でも、気持ちは正直に後ろ髪を引く。頭で分かっていても心は治まらない。
 どうしようもない。

「魔女様、あの・・・」

 その状態で空は口を開いた。自分でも、何を言おうとしているのか分からないまま。
 だから怖かった。どんな弱音を吐いてしまうのか。
 その言葉に自分は平常心を保っていられるか。

 言わなきゃ良い。何も言わなきゃ良いのに。
 止まらなかった。
 止められない。自分では。

 不安が空の口から出てくるのが分かったのだろう。それを止めて欲しいことも分かって、魔女は先に口火を切った。

「また、三人で再会する日まで・・・」

 大丈夫。そう伝えるように、静かな声で。

「・・・」

 空は言葉を飲み込み、そして体に力を入れる。

 不安を口にしたところで、変わるものは何もない。
 分かっていた。止めて貰えて、良かった・・・。

 空は、その言葉に返事をするように頷き、ゆっくりと目を伏せた。
 そしてやがて顔を上げると、顔を水の中に入れる。

 体はすぐに飲み込まれた。

 魔女は、空の消えた水面を見て目を細める。
 彼女の記憶がどこに繋がったか、魔女は知っている。そこに行き着く理由は分からなかったけれど、うまく過去を引き出せなかった空を痛ましく思った。

 彼女の手に、小さな光が灯る。それはやがて伸び、形になり、宙に浮いた。
 何もして上げられない。
 けれど彼女の向かう先に手を差し伸べたくて、魔女はその光を静かに水面に落とした。



 そして道が繋がったのは、陸と近付いた場所。そして別れた場所でもある。
 二人の秘密の場所。二人の思い出の場所。
 嬉しかったこと、辛かったこと。
 楽しかったこと、悲しかったこと。
 その始まりがここにある。全て。

 ここで。
 彼の腕の中で、未来を誓った。そして別々の道を歩き出す、筈だった。

 だけど再び道は重なって。
 二人で歩いた僅かな時間。

 全てを忘れても彼に惹かれた旅路。
 何も出来なかった自分を、命がけで守ってくれた彼との旅路。
 そのきっかけを実らす小枝。

 ここは今に繋がる全ての。

 始まりの場所。
 旅立ちの場所。

 強く思った場所に道を繋ぐ。
 さっき、魔女はそう言った。

 が、ここ?

「違う・・・」

 あたし、ここを思った訳じゃない。ここに来たいと思った訳じゃ・・・。

 自分に言い訳をしながら、空は崩れるように膝を着いて泣き出した。

 だって・・・。こんなのないよ・・・。

 まるで火に触れた指のように、心は想い出に過敏に反応する。
 堪えきれなくて、空は顔を覆って泣いた。

「陸・・・」

 呼んだら、いつも答えてくれたこの場所。

「陸・・・」

 呼んだら、いつもあたしを見てくれたこの場所。

 貴方のことを思ったら、ここに来るのは必然だったのかも知れないね・・・。

 空は息を切らして泣きながら、そんなことを思った。脳裏に浮かんでくる記憶達が、今は悲しい。

 ここに戻ってきて、やっと思い出した。貴方の笑顔を。思い出したかった、あなたの優しい声。

 そして尚のこと不安は強く、胸を締め付け息苦しくさせる。
 理屈じゃない。五感の様に、当たり前の様に。
 だから抗えない。

「お願い・・・神様・・・」

 陸を、助けて・・・。

 胸が痛くて、痛くて。
 零れる涙は余りに熱くて。
 眩暈を覚えた。意識を失ってしまいそうになる程、強く。

 でも、その僅か一瞬後。

「・・・?」

 不意に、何かが近くで動いた気がして空は顔を上げた。

 泉の中から影が飛び出してくる。
 しかしあまりの早さに、それが何なのか分からなかった。天に向かって、それは飛んでいく。

 何?

 ピィールルルル・・・。ピィールルルル・・・。

「・・・」

 空は呆然と天を見上げた。そこに、一匹の鳥が自分の頭上を旋回して鳴いているのが見える。

 ピィールルルル・・・。

「あ・・・!」

 空は瞬きをして体に力を入れると、無意識の内に立ち上がろうとした。鳥は「人」を呼んでいる。頼りない空のために、魔女が送ってくれたのだろう。鳥の声に包まれながら、やっとそう気付いた。

 目が覚めた。

 いけない・・・!

 魔女の好意は有り難いが、自分が目を覚ます以上の期待は出来ない。自分で「ここ」を出なければ。
 鳥の鳴き声に気付いても、ここには誰も来ないだろう。だからここで、陸と会う意味があったのだ。
 空は涙を拭って行くべき先を見る。決して長くはない。けれど、それはもしかしたら陸と歩いた道のりよりも辛いかもしれない、一人旅。
 でも、そんな孤独に躊躇いはない。不安もない。彼が使命に忠実であったように、自分も目標に忠実であろうと強く思うから。
 だから空は顔を上げる。あたし、ここで座り込んでいる場合じゃない。

 行かなきゃ・・・っ。


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