君と歩んできた道

いつかたどり着く未来に、全ての答えはきっと有る筈。

第七章 彼の名は

2015年08月22日 | 第七章 彼の名は
 緑が溢れている。そして色とりどりの花達も。

 春だった。穏やかな春のある日。

 城の中庭に、青いドレスを着た女が座り込んで何かしている。本来は肩まである栗色の髪の毛は、繊細な細工が施された髪留めで綺麗に結われていた。見えるうなじは白く細く、とても華奢な後ろ姿だ。咲き乱れている花達に勝るとも劣らない、可憐な後ろ姿だった。

 しかし彼女の小さな肩は、プルプルと震えていた。そして彼女の唸り声が聞こえてくる。

「うー・・・」

 彼女は食いしばっていた。その手には、銀色の切り枝鋏が握られている。彼女の目の前には細枝の、見事なピンク色の花が良い香りを放っていたが、その花は彼女の肩に比例して僅かにユラユラと揺れていた。どうやら、枝を切ろうとしているらしい。しかし彼女の手にした鋏は、その枝に僅かに食い込んではいるが、その先は一向に歯が立たないようだった。

「・・・駄目だぁ・・・」

 女は鋏から手を離すと、自分の右手を左手で揉みながら呟いた。腱鞘炎になりそうだ。手の平が赤くなっている。離した鋏は、枝に引っかかったまま、宙ぶらりんになっていた。

「無理かなぁ・・・」

 彼女はため息混じりに呟いた。
 そして鋏をジッと見たまま、腕を組んで考え始めた。そして一つの結論を出したらしい。

 暫しの後、無言のままもう一度、その鋏を手に取る。そして今度は両手でその鋏を持つと、顔を真っ赤にしてその枝に挑み始めた。

「うーん・・・」

 彼女の肩が、さっきまでよりも大きく揺れている。そして花も大きく揺れている。しかし、鋏は全然食い込んでいかなかった。どうやら圧倒的に力が足りないらしい。

「・・・やっぱり・・・」

 彼女はため息をつくと、地面に手をついてギブアップした。そして参りました、とでも言いたいのか、ガックリと項垂れる。

「駄目だー・・・」

 無力。そんなことを思う。
 だからだろうか? 近付いてくる足音に全く気付かなかった。

「・・・空姫様?」

「・・・?」

 自分の名前を呼ばれて、彼女は振り返る。暖かい、ウトウトとした眠りを誘うような気候。しかし空の頬は僅かに紅潮していた。

「どうかしましたか?」

「・・・」

 空は視線をゆっくりと上に移動させた。振り返った瞬間に目に飛び込んできたのは、腰に下げた長剣だったからだ。兵らしい。空は体伝いに彼を見上げると、最終的には半ば上を向くような形で彼の顔を見た。

「?」

 一方、彼は不思議そうにそれを待っている。空と目があっても、そのままだった。
 真っ直ぐに伸びた背筋。服の上からだと割と細く見えるが、程良く体を包む筋肉。精悍そうな顔立ち。それを際立たせるような黒髪。凛とした雰囲気が彼を纏っていたが、空を見る目は穏やかだ。そして不思議そうだった。

 空はそれを見ながら。

「いや・・・その・・・」

 と言って気まずそうに笑う。

 やっぱり兵士さんだ。ひえー・・。

 そして肩を竦めた。

「?」

 兵士はそれを見て、また不思議そうに首を傾げた。その仕草はまだ若干幼さが残っていて、彼の雰囲気にそぐわない感さえあった。いや、ここにいる兵士に、と言った方が正確かも知れない。

 彼のように城に通う兵士は、主に護衛任務が仕事である。国の中心である城、そこにいる国王、貴族等を守る任務が課せられている為、当然の如くエリートが選抜されている。そして時には政治的な関与も含めて、貴族以上の発言力を持つこともある。国は彼等の能力や知識を決して軽んじていない。

 そんな彼等に社交界デビューしたばかりの空は、全くと言っていいほど面識が無い。公開演習の際に彼等の立ち振る舞いや行進等を見ているが、なかなか近寄りがたい雰囲気を感じるのみだ。そんな印象を持っている兵士に声をかけられて、空は思わず強張った。

「・・・えっと・・・」

 どうしよう・・・。

「切れないんですか?」

 不意に、兵はそう言って笑った。可笑しそうだ。兵士のこんな顔は、空にとって初めてだった。空は思わず目を丸くする。

「え?」

 そして兵の視線を追って、空は後ろを向いた。そこには枝に噛み付いたまま、宙ぶらりんになっている切枝鋏。彼は、これを見て笑ったのだ。それを察して、空の顔色は一瞬で真っ赤になる。そして、それを見せないように俯いて空は答えた。

「はあ・・・」

 城に通って仕事をしている者に、当然だが暇人は居ない。特に兵士達は仕事が終わったからと言って、気を抜いていられない。大きな反乱や他国の侵略レベルの騒動が無くても、国の中で争いが有ればすぐに召集される。そういう意味では、彼等は政治を司っている大臣以上に休まる時がないと言っても過言ではなかった。
 そんな彼が声をかけてきて、こんな間抜けで呑気な理由。当然呆れられるかと思った空に、彼は意外な声をかけてきた。

「良かったら、切りましょうか?」

「え?」 

 その空の視線の先で。
 彼は、ゆっくりとした動作で膝をつくと、鋏を取って難なく枝を切り落とした。そして。

「はい、どうぞ」

 そう言って空の前に枝を差し出す。

「・・・」

 空はその花をしばし呆然として見ていたが、やがて大きく息を吸い込んだ。彼は不思議そうに首を傾げる。

「? どうかしました?」

「すごーい・・・」

 空はその疑問には答えず、感嘆のため息を漏らした。そして兵を見上げると笑顔で言う。

「どうもありがとう。あたし全然切れなくって・・・」

 そう言うと空は、いそいそとその花を受け取った。そしてその花を見つめ、目を細めると呟く。

「綺麗・・・」

「・・・」

 そんな空を、兵は半ば驚いたように見ていた。しかしやがて、嬉しそうな空を見て彼も口角を持ち上げる。

「どう致しまして」

 そして鋏を閉じると言った。

「一本でいいんですか?」

「あ・・・」

 そう言われて、空は恐縮そうに肩を竦めた。そしてそのまま彼を見上げると、小さな声で言う。花に顔を隠すようにして。

「出来れば・・・あと二本お願いしたいんだけど・・・」

「え?」

 そんな空の姿を見て、彼は可笑しそうに笑った。そして頷いて言う。

「いいですよ。どれにします?」

 その言葉に空がパッと笑顔になった。そして花を覗き込むと。

「これがいいかなー・・・」

 彼の前の枝を指さした。





「姫様、お食事をお持ちしました」

「ありがとう」

 爺の声に空は振り向いた。ワゴンに乗せた食事が運ばれてくる。

 いつもは出来るだけ両親と食事を共にしているが、今日は二人とも不在だった。三日ほど他国の会議に出席していて、もうすぐ帰ってくる予定だ。だから空はしばらく自室で食事をとっていた。

「おや? 良い香りがしますな」

 食事の用意をしていた爺が、顔を上げて言った。

「うん」

 空は、その反応に嬉しそうに頷く。そして、その元を見た。爺も、つられるようにそれを見る。

 出窓の中央に、水晶の花瓶に飾られた一枝があった。ピンク色の花が零れるように咲いている。それは、暗い窓の向こうにも映っていた。

「ああ、春咲の花でしたか。もう暖かくなってきましたからね・・・」

 爺はニッコリと笑って頷く。空は席について言った。

「二枝、お父さんとお母さんが疲れて帰って来るんじゃないかと思って、寝室に活けてきたの」

「それは良いことをされた。お二方ともお喜びになるでしょうな。疲れもとれることでしょう」

 爺のその言葉に、空は嬉しそうに頷く。そして爺の入れる茶を見ていた。爺は入れ終わると、気付いたように言う。

「それにしても、よくあんな固い枝を頑張って切りなさいましたね」

「え? ・・・うんー・・・」

「?」

 空の嬉しそうな顔に、爺は瞬きをした。空は肩を竦めると、白状するように言う。

「実は、切って貰っちゃったんだ。通りかかった兵士さんに」

「? そうですか・・・。何だか姫様、嬉しそうですね」

 爺はポットを置くと言った。空は、言葉で答える代わりにニッコリと笑ってみせる。

「?」

 爺はその笑顔に対し、不思議そうに首を傾げた。



 確かに嬉しかったのだ。彼がくれた親切が。

 空は花に触れた。小さな花びらが僅かに揺れる。そして良い香りが放たれた。

 吸い込むと、綿雲に包まれるような、じんわりとした幸福感が空を包む。それに酔いしれるように、空は目を細めた。

 幸せ者だなー・・・。あたし。

「空、ありがとう」

「ありがとう。ぐっすり眠れるわ」

 さっき両親に言われた言葉。嬉しそうだった二人を見て、自分も嬉しかった。

 ありがとう、か・・・。

 そんな気持ちを持つ度に、渡す度に、胸に溢れる暖かい気持ち。空はそれを噛みしめた。



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