君と歩んできた道

いつかたどり着く未来に、全ての答えはきっと有る筈。

第六章 黒髪の魔女 4

2015年08月16日 | 第六章 黒髪の魔女
 あたしは首を横に振った。そして、その推測や疑いを振り切るように体に力を入れる。

 でも違う!

 あたしは剣を手に取らなかった。だって、それ程までに強い気持ちだったから。

 だって、違う・・・。

 彼の言葉が、蘇る。

 ――必ず、守ります。

 いつも言葉少なめで、必要なこと以外何も言ってくれなかった。

 ――大丈夫ですから。

 あたしの方を向いてくれなかった。

 ――空。

 何も言ってくれなかった。教えてもくれなかった。でも。

 ――おやすみ。

 彼はいつも、いつも・・・。

「さあ、空姫」

「あたしは・・・」

 あたしの、望みは・・・。

 ――足下、気を付けて下さい。

 そんなたった一言に、彼の気持ちが含まれていた気がする。ずっと疑っていたけれど、ずっと不安で、そんな事に気付かずにいたけれど。でも、ずっとだ。ずっと。

 ――こんなもんしかないけど。

 そう言ってマフラーをかけてくれた彼。あの時から、本当は最初から、ずっと・・・。

「空姫!」

 ずっと、あたしを守ってくれていた。忘れかけていた、その事実。
 でも事実はそれだけ。

「彼の・・・」

 あたしは思い出した。一番大切で、あたしの中で一番本当のこと。

「願いを、叶えて」

 その声は、あたしの声は、小さかった。あたしの迷いと弱さが声に表れた。

 その弱さを振り切るように、あたしは手を強く握りしめる。それがあたしの選択なの。あたしはこうしたいの。

「空姫・・・」

 魔女の声が聞こえてくる。小さな声で、驚いたように。
 詰るようにも聞こえた声。

 でも、もう迷わない。
 決して揺るぎない程に強い気持ちだったから。たった今、そうなった。

「これが」

 あたしは魔女を見ると言った。

「あたしの選択なんです」

 その声は強かった。顔を上げたあたしは、真っ直ぐに魔女を見る。もう目を逸らすことはなかった。

 そうよ・・・。あたしは彼に助けられた。あたしは彼がいたから生きていられた。彼に救われた、この命。

 嘘とか騙されていたとか、そんな事どうでも良い。それが真実でも良い。彼はここまで、あたしを守ってくれた。その事実は変わりない。だから、あたしは彼に。

「・・・ふん」

 魔女が鼻を鳴らした。馬鹿にしたような態度が戻ってくる。
 彼女の態度は豹変した。それでも、あたしは動じない。あたしの気持ちは、それ程までに強かった。

 彼に、少しでも報いたかった・・・。

「こんな短い時間で、何をどうやったら、こんな男の為にそこまで言えるのか聞いてみたいね。馬鹿な女だ。本当に」

 魔女は、あたしを歪んだような顔で見ると言う。
 あたしは目を逸らした。でも逃げたんじゃない。彼女を見る必要が無くなったからだ。ただ、それだけだ。さっきまでの、あたしとは違う。

 馬鹿だと言われても良い。彼の願いが、どんなに下らなくても良い。あたしの気持ちは、もう絶対に動かないから。
 そう頑なに思うあたしの耳に、魔女の声が聞こえてきた。

「お前がその男を殺してしまえば、もっとお前が苦しむところを見れたのに。私は心底残念だよ。でも、まあ・・・」

 魔女は、そう言って笑った。あたしは驚いて顔を上げる。彼女は、彼を見て言った。

「どちらにしても、もう長くはなさそうだね」

 え?

 あたしは彼の方に視線を移す。
 そのあたしの視線の先で、彼はゆっくりとした動作で膝を折ると床に手を着いた。肩が大きく揺れている。左手から、床に血が滲んでいるのが遠目にもハッキリ分かった。

「・・・え?」

 息苦しそうな咳が、彼を襲った。それに耐えきれなかったか、彼は蹲るように倒れてしまう。その体からも血が滲んできた。

 何で・・・!?

 あたしは目を疑った。しかし思い当たる節はいくらだってある。鞭で傷付けられた傷。斬りつけられた肩。それから、もしかしたら犯されているかもしれない熱病。
 でもそんなこと、思いもしなかった。彼は何も見せてくれなかったから。

「あ・・・」

「動くんじゃない!」

「!」

 彼に向かって走り出そうとするあたしの足を、魔女の声が止めた。まるで魔法にでも掛かったかのように、あたしの足は停止してしまう。

 だって・・・。

 ここで反抗したら、彼がどうにかなってしまうかもしれない。そう思って。
 でも、彼をそのままにしておく自分にも、そしてその足を止めた魔女にも我慢が出来なかった。あたしは魔女を睨み付ける。そして、泣きそうになるのを堪えた。

 魔女は憎々しげに、そんなあたしを見ると言う。

「なんだい、その目は。私はお前の望み通り、こいつの望みを叶えてやろうと言っているんだ。有り難く思いな。ま、その望みを叶えたところで、お前は更に不幸を抱え込むだけだろうがな」

「・・・?」

 魔女の言葉の意味は、あたしには掴みきれなかった。彼と魔女を、見比べるように視線を動かしたあたしに、魔女は言う。

「記憶を戻してやろう。空姫」

 魔女が言った。そしてあたしを指差す。その指先に小さな光が灯った。

「・・・え?」

 魔女の光は、どんどん大きくなり、あたしを包み込む。そして光の向こうには、旅の始めに見た乳白色の海が見えた。あたしは空に浮かんでいる。

「・・・?」

 しかし、それは以前見た時とは僅かに違っていた。光の線が無数に入っている。

何? あの、光の線は・・・。

 あたしは、その海に向かって降下を始めた。どんどん眩しくなってくる。固まったような水面。当たったら痛そうだ。

 ・・・望み?

 降下の速度はどんどん速くなり、あたしは髪の毛が後ろに引っ張られるのを感じた。
 それを見ながら、あたしは全く別のことを考えていた。そんな光の線など、凍ったような海など、それにあたってどうなるかなんて、どうでも良かった。

 彼の望み。彼の望み。

 あたしは目を細めた。海から漏れてくる光が眩しくて。

 彼の望み。あたしを連れてきて、彼が叶えて貰おうとした望み・・・。

「記憶が戻ったら、後悔するだろうよ」

 魔女の声が聞こえてきた。

 そう。彼の望み。それはあたしの記憶を取り戻すという・・・こと?
 あたしの記憶。あたしの為? あたしの・・・?

 あたしの眼前に、海が迫ってくる。それはやがて光となって、あたしが触れると粉々に砕け散った。







 声が聞こえる・・・。





「空。七歳の誕生日おめでとう」

「おめでとう」

 男の人の声と、女の人の声・・・。

「ありがとうー」

 思い出した。これは、あたしの・・・七歳の誕生日だ・・・。この時は絵本を貰って、何度も読んで貰ったっけ。

 八歳、九歳・・・。あたしの誕生日に、いつも二人の声が優しく響いていた。

「空」

「空・・・」

 あたしの誕生日を、祝ってくれる声。特別なことは何もなかったけれど、心の底から祝福してくれる二人の笑顔。嬉しかった。

 これは・・・。

「空も、もう十歳ね・・・」

「大きくなったなー」

 お父さん、お母さんの・・・声だ・・・。

 思い出した。お父さんとお母さんの顔、声。



 それから・・・。

「空姫様」

「おはようございます」

「ご機嫌いかがですか? 空姫様」

 あたしは、一国の王女ということも・・・。







 記憶が、あたしの横を通り過ぎていく。とても速い速度で通り過ぎていくのに、あたしはその全てを見ていた。

 十一歳。花が好きなお母さんの横にくっついて、よく庭でお茶をしてた。庭師がよく手入れしててくれてた城庭。いつも綺麗な花が咲いていた。

 十二歳。お父さんとお母さんの結婚記念日に何かしたくて、ケーキを作ろうとした。でも手際が悪くて、スポンジは全然膨らまなかった。それを、ニコニコしながら食べてくれた両親。情けないような、嬉しいような。

 十三歳。今年こそはと思って、コックに頼んで一緒にケーキを作ってもらった。出来るだけ自分で作りたくて、でも生クリームは最後まで泡立てられなかった。二人で両親に届けに行って、二人の嬉しそうな顔が嬉しくて抱き合っちゃったりしたな。

 十四歳。本が好きで城の書庫にずっと入り浸ってた。早朝から夜遅くまで本を読みふけっていたら、あたしの姿が見えないって大騒ぎになったこともあった。

 十五歳。この年は、あたし一人でケーキを作り上げた。出来たケーキをコックにも上げたら、涙ぐんで美味しいと言ってくれたっけ。

 十六歳。あたしに付き人が出来た。白い髪と髭がフワフワしてて、いつもニコニコしている爺。あたしが悪いことしたら怒ってた爺。悲しい時には一緒に泣いてくれた爺。大好きな爺。

 十七歳。明るい内だけという約束で、爺と城下町を見に行った。あたしは初めて見る景色に夢中だったけれど、爺は神経質になっちゃって、あたしの側をピッタリくっついていた。そんな爺が可笑しくて、あたしはその後しばらくからかってた。

 記憶の中のあたしは、どんどんあたしに近付いてくる。

 十八歳。鏡を見ている自分。メイドが化粧をしてくれた。身につけているのは舞踏会用のドレスだ。あたしはこの年に初めて、社交界デビューしたんだ・・・。





「・・・?」

 あたしは周囲を見回すように記憶を見た。流れていく記憶。それは自分の意志で、止めることも戻すことも出来る。どんなに細かい場所も、信じられない程鮮明に見える。でも。

 彼がいない・・・。

 まだ、あたしは今自分が幾つなのか、思い出せない。でも、記憶の中の自分は、確実に今の自分に近付いている。殆ど変わりないほど。なのに彼がいない。

 どうして・・・?

 あたしは、困惑の中で彼を捜した。どの時代にも、どの記憶にも、彼の姿はない。

 何で・・・?

 あたしは泣きそうだった。何よりも思い出したかった、彼がいない。

 貴方は誰なの・・・?

 十九歳。あたしの目の前は、真っ暗になった。



 戻る 目次 次へ 

コメントを投稿