君と歩んできた道

いつかたどり着く未来に、全ての答えはきっと有る筈。

第十九章 最後の夜 2

2017年04月09日 | 第十九章 最後の夜
 相変わらず荒野の前に、陸はいた。見慣れた、けれどいつまでも見飽きないこの風景。

 陸は、最早定位置となった「屋根のない部屋」に座って外を見ていた。今日は月が明るい。殺風景な筈の荒野が、幻想的な夜を演出している。

 陸は微動だにせず、それを見ていた。

 大地の声が聞こえてきた。それはやがて、陸の髪を揺らす風となる。じっと動かなかった陸は、その風に目の渇きを覚え、強く目を閉じた。そして小さなため息を付くと、夜空を見上げる。月の周りだけが鮮明に丸く、光の円を作っていた。陸にも光が降って来る、明る過ぎる程の夜。

 陸は、月から目を逸らして俯いた。そして組んでいた手を見る。その瞬間、月の光が雲に遮られ、陸の手は僅かに色を失った。その手を、陸はじっと見つめる。

「・・・」

 急に、空の手を取って歩いた日々を思い出し、陸はそこからも目を逸らした。明日、帰るという未だ実感のわかない現実が、急に陸の中で大きくなり始める。

 空は元気だろうか・・・。

 それは否応なく思考を掻き乱す。自分の手を、弱々しくも求めてきた細い指。泣きながらこの手を握った、空の声が脳裏に浮かぶ。

 俺は、何をしてやれたんだろうな・・・。

 迷いつつも、陸は時間に迫られ決断していたことを、今更ながらに思った。魔女の言った通り、自分のせいで他人を死なせていたら、空の心は大きな傷を負っただろう。それだけでなく、魔女の言葉に従って自らの手で自分を殺したりしたら、それこそ空の一生は滅茶苦茶になっていた。

 でも、あの時自分は何も出来なかった。それだけじゃない。結局彼女を守ることも救う事も・・・何も。その無力感が、現実への帰路を前に、急に自分を責め立てる。

 雲が去り、再び月の光が強くなった。陸はそれに呼ばれたかのように、もう一度天を見上げる。月の光は、強く陸を照らしていた。





「御馳走様でした。・・・どうもありがとう」

 空は静かに言った。爺がここに来た時よりも、ずっと落ち着いたように見える。

 実際、そうなのだろう。空の表情から緊張が抜け、本来の柔らかい雰囲気が戻っていた。

「今度は、眠れそうですか?」

 爺も、ゆっくりとした口調でそう言った。

「うん」

「それは良かった」

 爺は嬉しそうに頷く。
 そして手早くカップを片付けると、それをゆっくりと持ち上げ、僅かに頭を下げて言った。

「それでは、お休みなさいませ」

「あ・・・」

「?」

 不思議そうな顔を上げた爺に、空は微笑んで言った。

「あの・・・コック長にも、どうもありがとうって伝えておいて」

 それから少しだけ肩を竦めて「本当は、あたしからちゃんと言えたら良いんだけど」そう言って、空は笑った。その言葉に、爺も柔らかく微笑む。

「はい。確かに伝えます。・・・ああ、そうそう。すっかり忘れていました。彼からも伝言を預かってきたのです」

 両手で持っていたトレーを左手に乗せ、爺は右手を下げながら言う。その仕草に、年齢を感じさせるものは何もない。

 そう言って爺は背筋を伸ばし、空を見た。その手元を見ていた空は、再び爺を見上げる。

「何?」

 そして首を傾げた。
 その空を優しく見つめて、爺は囁くように言う。

「明日のお式には、腕を振るって美味しい物を沢山作ります、だそうです」

「・・・」

 空は一瞬、言葉を失う。そして、まるで何が起こったか分からないような表情をして固まった。
 しかしその言葉の意味を理解した後、やがてゆっくりと頷いた。

「うん・・・」

 式、と聞いて高鳴った胸。再びある種の緊張が空を襲う。

「明日は、晴れると良いですね」

 爺は、それを宥めるように優しく言う。そして返事に困っていた空に、もう一度声をかけた。

「姫様の、とても大切な一日です。爺も楽しみにしています」

 しかし空はその言葉にも気持ちが治まらないのか、戸惑うように視線を泳がせている。

 ・・・が、やがてコクンと小さく頷いた。どう答えたらいいのかは分からないまま、ただ、彼の気持ちを受け取った意味だけを示して。

「コック長も、父上様や母上様も、そして陸殿も、きっと楽しみにしているでしょう」

「・・・」 

 その言葉に、空は明らかに動揺して、素直に救いを求めるように爺の顔を見上げる。その動揺を全て受け止めるように爺は大きく頷いた。

「彼は、姫様の幸せをきっと喜んでくれる筈です」

「・・・でも・・・」

 空は堪えきれずにそう言った。しかし言葉は続かない。爺はしばらく待っていたようだが、やがてその言葉の意味を理解した証に、もう一度頷いて言った。

「姫様の、そのお気持ちは良く分かります。彼は、もしかしたら姫様に対して余所余所しい態度をとるかも知れません」

「・・・」

 その言葉に、空は泣きそうな顔をした。不安は唯一つ。たった一つだけ。彼に、拒まれたくない。彼を、困らせたくも迷わせたくもない。たった、それだけ。

 でも、それはどんなに大きな不安だろう。大切だからこそ、比例して大きくなるその不安。こんな風になって、どんなに大切な人だったかを思い知らされる。

「でも」

 例えそうなっても、それが全て空にとって辛いことでも。

 爺は小さな声で、でもハッキリと正直に思ったことを口にした。

「姫様の幸せを一番喜ぶのは、彼だと思います」

 これは多分、紛れもない真実。

「そしてその全てを、きっと快く受け止めてくれる筈です」

 当事者である空には分からないかも知れない。けれど外から見ている者には、手に取るように分かる。それ程までに、垣間見える二人の気持ちは痛々しいほど素直だった。

 泣きそうなままの空が、爺の目をじっと見ている。そこから爺の言葉の意味を、そして爺が本当にそう思って言ってくれているのかを、まるで探るように。

 だから爺は目を逸らさなかった。心の底から、そう思っていると無言で空に語りかける。

「・・・ありがとう」

 やがて空はそう呟いて俯いた。爺の気持ちは、空にちゃんと通じたようだ。

「・・・うん・・・」

 空は、やっと肩の力を抜く。そして爺から目を逸らすと小さく頷いた。



 今日が、最後の夜。


 戻る 目次 次へ

コメントを投稿