あたしは寒さに目覚め、彼が側にいてくれる安心に眠りに落ち、そんな風にして朝を迎えた。
眩しい・・・。
瞼の裏が白くなって、あたしは目を覚ます。そして、すぐに目を閉じた。眩しい。
朝・・・?
山の割れ目から、日の光が射し込んでくる。あたしは何度か瞬きをして、その眩しさに慣れた。
・・・朝だ・・・。
体は疲れ切っていたけれど、未だ眠かったけれど、朝日を見たあたしは起きようと思った。いつまでも寝ている場合じゃないって、そう思ったのも嘘じゃない。自分よりもずっと大変だった彼よりも、遅く寝ていたら情けないから。それなのに。
あ・・・。
あたしの方が絶対に早いと思ったのに、彼はもう起きていた。もしかしたら眠らなかったのかもしれない。木により掛かって朝日を見ている、見慣れた横顔。その顔が眩しそうに目を細めたのを見て、そんな変化にもあたしの胸は何故か高鳴った。
体を起こすと、彼はあたしに気付いてこっちを見る。そして口を開いた。
「・・・おはようございます」
しかしそう言った彼は、すぐに目を逸らした。あたしは彼の体の黒ずんだ汚れを見て、小さな声で言う。
「おはようございます・・・」
夢じゃなかった・・・。
現実が、重くのし掛かってきた。ここ何日か夢なんか見なかったくせに、あたしは夢であることを願っていた。昨日の事が、全て夢であったらいいのにと思っていた・・・。でも、
・・・都合良すぎるよ、あたし。
それは叶わぬ夢だった。明るい所で見た彼の体は、思っているよりも深く傷付いているように見える。固まった血の色が、その量を物語っていた。黒ずんだ血が生々しい。
大丈夫、ですか?
そう言いたくて、でもあたしは言えなかった。項垂れたあたしの目の前で、彼は立ち上がる。そして言った。
「起きたなら進みましょう。いつまでもここにいる必要もない」
頭の上から聞こえてくる声。あたしは彼に、何か言って欲しかった。でも。
「・・・はい・・・」
あたしはそう言って、項垂れたまま立ち上がった。
何も言ってくれない彼。それに慣れた訳じゃない。何も言わない事は彼の優しさなんだと、今更そう思ったから。
山を下りきると、やがて細い道に合流した。あたし達はその道を横に並んで歩いた。
あたしは昨日と同じく彼の左側を歩く。彼の傷付いた半身が、ちょっと横を向くとあたしの目の前に現れる。あたしは何度も見ては目を逸らし、そして見て、を繰り返した。
「・・・」
しばらくして、あたしは彼を見上げる。彼の横顔、いつもと同じだった。あたしの方を向こうとしない。何の感情も表れない。怪我をしているという以外は、いつもの彼だった。
でも、あたしはいつものあたしじゃなかった。その彼から目を逸らし、彼と同じように前を向く。僅かに視界に入る、彼。彼の視界にも、きっとあたしが僅かながら存在しているんだろう。
『守りますから』ふと、昨日言われた言葉を思い出した。そういうことだったんだ。
あたしの、馬鹿・・・。
今になって気付いた。彼があの町で、どうしてあたしの横を歩いていたのか。
常に視界に入る、その意味。
あたしの事を、守っていてくれたんだ・・・。
あたしは唇を噛んだ。
それを、あたしは何も気付かずに宿を抜け出して、彼を傷付けてしまった。
彼は体に傷を負った。そして、あたしは心に傷を負った。全部自分のせいだ。痛む心を抑えて、あたしは黙って歩き続けた。
畑が増えてくる。あたしはそれを見て、村が近いことを察した。でも、何かがおかしい。
「・・・?」
あたしは、その畑に目を奪われた。そして段々進む速度が遅くなり、あたしの足は止まる。
何? この畑・・・。
あたしの目の前に広がる、貧困な畑。土が乾ききっている。細い作物が辛うじて土に根を張っているが、色も白っぽく実もなっていない。冬のせいだからではない。この畑は、明らかに人の手入れが不足しているのだ。
でも、ここまで育ったのだから、種を植えた時には多少なりとも手入れがされていたはず。それが、どうして今は散々な状態になっているのか。
思わず彼を見上げる。彼も畑を見ていた。当然その違和感を、あたし以上に感じただろう。けれどあたしの視線を受け止めると、彼はいつもの無表情に戻って横顔を見せた。そしてゆっくりと歩き出す。
「・・・」
あたしは、何も言わずに彼の横を歩き始めた。
空気が、痛い。そう思ったのは気のせいだろうか? ここは、とても乾燥している。
村だ・・・。
思った通り、ろくに歩かない内に村に着いた。踏み固められて出来た道は繋がっていたが、手入れされていないのか形は崩れ、乾ききった土がでこぼこになっている。
これは・・・。
あたし達は、さっきと同じように村を目の前にして足を止めた。そこに入るのを躊躇うなんて、旅を始めてから初めてだ。
・・・何なの・・・?
小さな家が、くっつくように建っている。まるで、寒さを耐える子供達の集まりのようだ。昨日の昼間に抜けてきた村も小さかったが、それ以上に何だか・・・貧しく見えた。風が入り込みそうな隙間が出来ている家の壁。屋根は傷み、穴が空いているところもある。あれでちゃんと住めるのだろうか?
いや、それよりも人が見えない。昼間なのに。ここは何なんだろう? 本当に村なんだろうか?
「・・・あ・・・」
人影が、一番手前の家の中で動いた気がした。あたしは思わず声を漏らす。
「・・・」
当然彼も見ただろう。あたし達はじっとその家を見ていた。
やがて、その影が僅かに動いて軋むドアを開ける。そして人が出てきた。
・・・え?
あたしは目を疑った。
そこから出てきたのは女性だった。土気色の肌をしている。唇の色も黒っぽくなり、髪に艶もない。でも、そんなことよりも・・・。
何て細い・・・。
骨と皮だけとよく言うけれど、骨と皮だけになると本当に人はこんなに細くなってしまうのか。こんなに小さくなるものなのか? そう思った。だって内蔵も血管も、その中にはあるはずなのに?
「・・・」
あたしは動くことが出来なくなって、そこに立ち尽くしていた。そのあたしの視界で彼女はドアを閉めると、肩を落としてため息を付く。そして、ゆっくりと顔をこちらに向けた。
「・・・!?」
彼女はあたし達に気付いた。そして飛び出たような目を大きく見開く。頬にも肉が全くと言っていいほど付いていない。まだ三十前の女性だろうに、彼女からは女性特有の丸みは全く感じられなかった。まだ子供のように見える。しかも、男の子の。
「・・・あの・・・」
あたしの隣から、彼の声が聞こえてきた。あたしは彼を見上げる。彼の横顔。今日は何だか違って見えた。
「この村に入っては駄目です!」
彼女は彼の言葉を全く聞こうとせずに、まずそう言った。焦っているような声。そして強い口調。彼女の体から、こんな大きな声が発せられるとは思わなかった。
「・・・?」
あたしは彼女に視線を戻す。彼女は一定間隔を置いたまま、真っ直ぐにあたし達を見ながら言った。
「この先に進みたいのなら大きく迂回して下さい。早く離れた方が良い。早く・・・急いで!」
それは拒否や恐怖ではなく、懇願に聞こえる。そして真剣だった。
言葉の意味よりも声に違和感を覚え、あたしは彼女を真っ直ぐ見つめる。彼女は声を出す為に体に力を入れて、大きく息を吸い込んだ。
「早く! ・・・この村は今・・・っ」
「一つだけ」
彼が、彼女の言葉を切って言った。彼女は言いかけた言葉を飲み込み、不思議そうに彼を見る。
「・・・?」
あたしも彼を見上げた。そのあたし達の視線の先で、彼は言葉を口にする。
「質問に答えて下さい。この村に、五人組の兵士達が来ませんでしたか?」
「?」
五人の兵士?
あたしには、その質問の意味が分からなかった。呆然と彼を見上げる。
「!?」
でも彼女は違ったようだ。視線を戻すと、彼女は明らかに動揺した様子で目を丸くしている。そして困ったように俯いた。言葉による返答はない。しかし、それはあたしにすら分かる程明確な返事だった。
「・・・来たんですね」
彼は急くように言った。いや、彼も少し動揺しているように感じる。
あたしは二人を見比べる様に交互に視線を移した。でも、彼等はお互いをじっと見つめ合ったまま動かない。
「・・・?」
あたしの中に疑問が生まれ、消えぬまま次の疑問が生まれ、頭の中は疑問でいっぱいになった。しかし彼等の中には入れない。あたしは何も出来ずに、二人を見ていた。
何なの・・・?
五人の兵士達とは何だろう? それが彼と、どういう関係にあるのか? 彼等は何なのか? 彼等は今どうしているのか? 彼女はどうして驚いているのか?
あたしには、何も分からない。あたしだけ、蚊帳の外だ。
ただ一つだけ、あたしの中に答えが生まれる。彼は行く先々で、きっとこのことを聞いていたのだ。彼は彼等を捜しているらしい。
「教えて下さい。彼等は?」
彼は待ちきれなくなったのか、彼女の返事を待たずに言った。あたしから見ても間違いなく肯定の表情だ。彼女に確認を取る必要もない。
「・・・」
彼女は言い辛そうに視線を逸らす。けれども、いつまでもそうしていられないと思ったのか、小さな声で答えた。
「・・・今・・・この村は・・・」
彼女の背中を、弱々しい風が通った。砂埃が上がる。相変わらず誰も通らない。誰も出てこない。まるで死んだような村だった。彼女がいることの方が違和感を覚える程だ。乾き切った大地。誰も居ない家。命の気配が感じられない。
「・・・熱病に侵されているんです」
彼女の声が、風に乗って僅かに聞こえてきた。それ程までに彼女の声は小さかった。
「感染力が強く、あっという間にこの村に広がり、殆どの人が発病しました。一度掛かって免疫が出来れば病人の側にいても大丈夫なのですが、多くの人は・・・そのまま・・・」
彼女は決定的な一言を口にするのを避けた。けれど分からない訳がない。
そのまま、死だ。
その熱病に感染、発病すれば高確率で死亡する。そういうことなのだろう。あたしは、その言葉に身を固くした。彼女は顔を上げると、あたし達の方を見て思い切ったように言う。
「確かに数週間前、五人組の方がいらっしゃいました。貴方の言っている五人組の方がその方達なら・・・」
そこまで言って彼女は唇を噛み、頭を垂れた。そして絞り出すように言葉を吐く。
「・・・ほとんど・・・お亡くなりになりました・・・」
「・・・!」
その言葉に、彼の表情が明らかに変わった。久しぶりに見る彼の感情。息を飲み、唇を噛みしめ、目を見開いて彼は彼女と彼女の後ろに広がる村を見ている。それは驚いている風にも、そして何かを堪えているようにも見えた。
「・・・」
あたしは、そんな彼をじっと見ていた。彼から伝わってくる感情が辛かった。
そんな顔、しないで・・・。
あたしは、そう思ってしまった。いつも無表情でいることは、ある意味優しさで、そして強さなのかもしれない。表情を見せないと言うことは、我慢なのかもしれない。あたしはそんな強い彼しか知らなかったから、彼の表情に彼の弱さを感じて動揺してしまった。
でも、それは束の間の出来事。
「案内して下さい。まだ、生きている人もいるんでしょう?」
彼は強い口調で、しかし無表情に戻って言った。そして歩を進めようとする。
「村に入っては駄目です! 貴方まで・・・」
彼女はヒステリックな声で叫んだ。
「貴方まで感染してしまいます! やめて!!」
しかし彼は全く動じずに返事をした。
「構いません。空姫」
「・・・」
あたしは彼を見上げた。彼は、もう何も映さない瞳であたしを見て言う。
「貴女はここにいて下さい」
「・・・」
あたしは彼の目を、じっと見ていた。止めることも、一緒に行くことも、何の言葉も思いつかない。彼は何をしようとしているんだろう? 彼はどうして、もっと自分を大事にしてくれないんだろう? 思ったのは、そんなことだった。
「駄目です! ここから先に行かせるわけにはいきません! もうこれ以上人を感染させたくないんです! そこにいるだけだって・・・本当は危ないのに・・・っ」
彼を見上げていたあたしに、彼女の声が聞こえてきた。最後の方は声が詰まって、言葉が震えていた。あたしが彼女の方を向くと、彼女は耐えられなくなったのか、顔を覆って泣き出してしまう。
彼女は今まで、辛い目に遭ってきたのだろう。惨い現実を見てきたのだろう。そして、これ以上の犠牲を心底恐れている。それが、ありありと見て取れた。
あたしはその感情に目を覚まし、自分の行き先を決めた。
「あたしも・・・連れて行って」
そして彼を見上げる。彼は、あたしの視線をキチンと受けてから冷たく答えた。
「駄目です」
それは動かぬ意志を表している。当然、彼はそう言うだろうと思っていた。そう言って彼は顔を逸らす。もう、あたしと話す気も無くなったようだ。
そして彼の中で、その話は終わってしまった。いつもの対応。数日しか一緒にいた時間はないのに、彼の行動や彼の言いたいことが、あたしには微かに分かるようになっていた。だから、いつもは先回りして諦めていたけれど・・・。
「でも・・・」
でも今回は引かなかった。
「ここにいても、危ないって・・・彼女も言ってる」
横顔の彼に、あたしはその言葉をぶつけた。
「・・・」
彼は動かない。それはつまり、あたしを振りきって進まずにいてくれるということだった。あたしの言葉を聞いてくれている。
あたしはその事実に、彼は、本当はずっと、あたしが気持ちや言葉をぶつければ、答えてくれなくても聞いてはくれたのかもしれない、そんな風に思った。今までは先回りして諦めてしまった自分。この時は譲れなかった。あたしは必死に、言葉と気持ちを彼にぶつける。
「それに貴方が行くなら、そして感染したら・・・」
あたしは、それを一番恐れていた。彼がここに帰ってきてくれなかったら。
「・・・同じ事じゃない」
あたしは一人になってしまう。
彼に、寄り掛かって生きていこうと思っているつもりはない。いつまでも彼に守って貰おうと思っている訳でもない。でも、だからあたしは、あたしの選択を通したかった。一人きりになっても、生きていく為に。
「・・・」
彼は、葛藤しているようだった。逆に言えば、それ程までに危険を冒してでも、中に入らなければならない理由があるようだ。
あたしはじっと、審判の時を待った。
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眩しい・・・。
瞼の裏が白くなって、あたしは目を覚ます。そして、すぐに目を閉じた。眩しい。
朝・・・?
山の割れ目から、日の光が射し込んでくる。あたしは何度か瞬きをして、その眩しさに慣れた。
・・・朝だ・・・。
体は疲れ切っていたけれど、未だ眠かったけれど、朝日を見たあたしは起きようと思った。いつまでも寝ている場合じゃないって、そう思ったのも嘘じゃない。自分よりもずっと大変だった彼よりも、遅く寝ていたら情けないから。それなのに。
あ・・・。
あたしの方が絶対に早いと思ったのに、彼はもう起きていた。もしかしたら眠らなかったのかもしれない。木により掛かって朝日を見ている、見慣れた横顔。その顔が眩しそうに目を細めたのを見て、そんな変化にもあたしの胸は何故か高鳴った。
体を起こすと、彼はあたしに気付いてこっちを見る。そして口を開いた。
「・・・おはようございます」
しかしそう言った彼は、すぐに目を逸らした。あたしは彼の体の黒ずんだ汚れを見て、小さな声で言う。
「おはようございます・・・」
夢じゃなかった・・・。
現実が、重くのし掛かってきた。ここ何日か夢なんか見なかったくせに、あたしは夢であることを願っていた。昨日の事が、全て夢であったらいいのにと思っていた・・・。でも、
・・・都合良すぎるよ、あたし。
それは叶わぬ夢だった。明るい所で見た彼の体は、思っているよりも深く傷付いているように見える。固まった血の色が、その量を物語っていた。黒ずんだ血が生々しい。
大丈夫、ですか?
そう言いたくて、でもあたしは言えなかった。項垂れたあたしの目の前で、彼は立ち上がる。そして言った。
「起きたなら進みましょう。いつまでもここにいる必要もない」
頭の上から聞こえてくる声。あたしは彼に、何か言って欲しかった。でも。
「・・・はい・・・」
あたしはそう言って、項垂れたまま立ち上がった。
何も言ってくれない彼。それに慣れた訳じゃない。何も言わない事は彼の優しさなんだと、今更そう思ったから。
山を下りきると、やがて細い道に合流した。あたし達はその道を横に並んで歩いた。
あたしは昨日と同じく彼の左側を歩く。彼の傷付いた半身が、ちょっと横を向くとあたしの目の前に現れる。あたしは何度も見ては目を逸らし、そして見て、を繰り返した。
「・・・」
しばらくして、あたしは彼を見上げる。彼の横顔、いつもと同じだった。あたしの方を向こうとしない。何の感情も表れない。怪我をしているという以外は、いつもの彼だった。
でも、あたしはいつものあたしじゃなかった。その彼から目を逸らし、彼と同じように前を向く。僅かに視界に入る、彼。彼の視界にも、きっとあたしが僅かながら存在しているんだろう。
『守りますから』ふと、昨日言われた言葉を思い出した。そういうことだったんだ。
あたしの、馬鹿・・・。
今になって気付いた。彼があの町で、どうしてあたしの横を歩いていたのか。
常に視界に入る、その意味。
あたしの事を、守っていてくれたんだ・・・。
あたしは唇を噛んだ。
それを、あたしは何も気付かずに宿を抜け出して、彼を傷付けてしまった。
彼は体に傷を負った。そして、あたしは心に傷を負った。全部自分のせいだ。痛む心を抑えて、あたしは黙って歩き続けた。
畑が増えてくる。あたしはそれを見て、村が近いことを察した。でも、何かがおかしい。
「・・・?」
あたしは、その畑に目を奪われた。そして段々進む速度が遅くなり、あたしの足は止まる。
何? この畑・・・。
あたしの目の前に広がる、貧困な畑。土が乾ききっている。細い作物が辛うじて土に根を張っているが、色も白っぽく実もなっていない。冬のせいだからではない。この畑は、明らかに人の手入れが不足しているのだ。
でも、ここまで育ったのだから、種を植えた時には多少なりとも手入れがされていたはず。それが、どうして今は散々な状態になっているのか。
思わず彼を見上げる。彼も畑を見ていた。当然その違和感を、あたし以上に感じただろう。けれどあたしの視線を受け止めると、彼はいつもの無表情に戻って横顔を見せた。そしてゆっくりと歩き出す。
「・・・」
あたしは、何も言わずに彼の横を歩き始めた。
空気が、痛い。そう思ったのは気のせいだろうか? ここは、とても乾燥している。
村だ・・・。
思った通り、ろくに歩かない内に村に着いた。踏み固められて出来た道は繋がっていたが、手入れされていないのか形は崩れ、乾ききった土がでこぼこになっている。
これは・・・。
あたし達は、さっきと同じように村を目の前にして足を止めた。そこに入るのを躊躇うなんて、旅を始めてから初めてだ。
・・・何なの・・・?
小さな家が、くっつくように建っている。まるで、寒さを耐える子供達の集まりのようだ。昨日の昼間に抜けてきた村も小さかったが、それ以上に何だか・・・貧しく見えた。風が入り込みそうな隙間が出来ている家の壁。屋根は傷み、穴が空いているところもある。あれでちゃんと住めるのだろうか?
いや、それよりも人が見えない。昼間なのに。ここは何なんだろう? 本当に村なんだろうか?
「・・・あ・・・」
人影が、一番手前の家の中で動いた気がした。あたしは思わず声を漏らす。
「・・・」
当然彼も見ただろう。あたし達はじっとその家を見ていた。
やがて、その影が僅かに動いて軋むドアを開ける。そして人が出てきた。
・・・え?
あたしは目を疑った。
そこから出てきたのは女性だった。土気色の肌をしている。唇の色も黒っぽくなり、髪に艶もない。でも、そんなことよりも・・・。
何て細い・・・。
骨と皮だけとよく言うけれど、骨と皮だけになると本当に人はこんなに細くなってしまうのか。こんなに小さくなるものなのか? そう思った。だって内蔵も血管も、その中にはあるはずなのに?
「・・・」
あたしは動くことが出来なくなって、そこに立ち尽くしていた。そのあたしの視界で彼女はドアを閉めると、肩を落としてため息を付く。そして、ゆっくりと顔をこちらに向けた。
「・・・!?」
彼女はあたし達に気付いた。そして飛び出たような目を大きく見開く。頬にも肉が全くと言っていいほど付いていない。まだ三十前の女性だろうに、彼女からは女性特有の丸みは全く感じられなかった。まだ子供のように見える。しかも、男の子の。
「・・・あの・・・」
あたしの隣から、彼の声が聞こえてきた。あたしは彼を見上げる。彼の横顔。今日は何だか違って見えた。
「この村に入っては駄目です!」
彼女は彼の言葉を全く聞こうとせずに、まずそう言った。焦っているような声。そして強い口調。彼女の体から、こんな大きな声が発せられるとは思わなかった。
「・・・?」
あたしは彼女に視線を戻す。彼女は一定間隔を置いたまま、真っ直ぐにあたし達を見ながら言った。
「この先に進みたいのなら大きく迂回して下さい。早く離れた方が良い。早く・・・急いで!」
それは拒否や恐怖ではなく、懇願に聞こえる。そして真剣だった。
言葉の意味よりも声に違和感を覚え、あたしは彼女を真っ直ぐ見つめる。彼女は声を出す為に体に力を入れて、大きく息を吸い込んだ。
「早く! ・・・この村は今・・・っ」
「一つだけ」
彼が、彼女の言葉を切って言った。彼女は言いかけた言葉を飲み込み、不思議そうに彼を見る。
「・・・?」
あたしも彼を見上げた。そのあたし達の視線の先で、彼は言葉を口にする。
「質問に答えて下さい。この村に、五人組の兵士達が来ませんでしたか?」
「?」
五人の兵士?
あたしには、その質問の意味が分からなかった。呆然と彼を見上げる。
「!?」
でも彼女は違ったようだ。視線を戻すと、彼女は明らかに動揺した様子で目を丸くしている。そして困ったように俯いた。言葉による返答はない。しかし、それはあたしにすら分かる程明確な返事だった。
「・・・来たんですね」
彼は急くように言った。いや、彼も少し動揺しているように感じる。
あたしは二人を見比べる様に交互に視線を移した。でも、彼等はお互いをじっと見つめ合ったまま動かない。
「・・・?」
あたしの中に疑問が生まれ、消えぬまま次の疑問が生まれ、頭の中は疑問でいっぱいになった。しかし彼等の中には入れない。あたしは何も出来ずに、二人を見ていた。
何なの・・・?
五人の兵士達とは何だろう? それが彼と、どういう関係にあるのか? 彼等は何なのか? 彼等は今どうしているのか? 彼女はどうして驚いているのか?
あたしには、何も分からない。あたしだけ、蚊帳の外だ。
ただ一つだけ、あたしの中に答えが生まれる。彼は行く先々で、きっとこのことを聞いていたのだ。彼は彼等を捜しているらしい。
「教えて下さい。彼等は?」
彼は待ちきれなくなったのか、彼女の返事を待たずに言った。あたしから見ても間違いなく肯定の表情だ。彼女に確認を取る必要もない。
「・・・」
彼女は言い辛そうに視線を逸らす。けれども、いつまでもそうしていられないと思ったのか、小さな声で答えた。
「・・・今・・・この村は・・・」
彼女の背中を、弱々しい風が通った。砂埃が上がる。相変わらず誰も通らない。誰も出てこない。まるで死んだような村だった。彼女がいることの方が違和感を覚える程だ。乾き切った大地。誰も居ない家。命の気配が感じられない。
「・・・熱病に侵されているんです」
彼女の声が、風に乗って僅かに聞こえてきた。それ程までに彼女の声は小さかった。
「感染力が強く、あっという間にこの村に広がり、殆どの人が発病しました。一度掛かって免疫が出来れば病人の側にいても大丈夫なのですが、多くの人は・・・そのまま・・・」
彼女は決定的な一言を口にするのを避けた。けれど分からない訳がない。
そのまま、死だ。
その熱病に感染、発病すれば高確率で死亡する。そういうことなのだろう。あたしは、その言葉に身を固くした。彼女は顔を上げると、あたし達の方を見て思い切ったように言う。
「確かに数週間前、五人組の方がいらっしゃいました。貴方の言っている五人組の方がその方達なら・・・」
そこまで言って彼女は唇を噛み、頭を垂れた。そして絞り出すように言葉を吐く。
「・・・ほとんど・・・お亡くなりになりました・・・」
「・・・!」
その言葉に、彼の表情が明らかに変わった。久しぶりに見る彼の感情。息を飲み、唇を噛みしめ、目を見開いて彼は彼女と彼女の後ろに広がる村を見ている。それは驚いている風にも、そして何かを堪えているようにも見えた。
「・・・」
あたしは、そんな彼をじっと見ていた。彼から伝わってくる感情が辛かった。
そんな顔、しないで・・・。
あたしは、そう思ってしまった。いつも無表情でいることは、ある意味優しさで、そして強さなのかもしれない。表情を見せないと言うことは、我慢なのかもしれない。あたしはそんな強い彼しか知らなかったから、彼の表情に彼の弱さを感じて動揺してしまった。
でも、それは束の間の出来事。
「案内して下さい。まだ、生きている人もいるんでしょう?」
彼は強い口調で、しかし無表情に戻って言った。そして歩を進めようとする。
「村に入っては駄目です! 貴方まで・・・」
彼女はヒステリックな声で叫んだ。
「貴方まで感染してしまいます! やめて!!」
しかし彼は全く動じずに返事をした。
「構いません。空姫」
「・・・」
あたしは彼を見上げた。彼は、もう何も映さない瞳であたしを見て言う。
「貴女はここにいて下さい」
「・・・」
あたしは彼の目を、じっと見ていた。止めることも、一緒に行くことも、何の言葉も思いつかない。彼は何をしようとしているんだろう? 彼はどうして、もっと自分を大事にしてくれないんだろう? 思ったのは、そんなことだった。
「駄目です! ここから先に行かせるわけにはいきません! もうこれ以上人を感染させたくないんです! そこにいるだけだって・・・本当は危ないのに・・・っ」
彼を見上げていたあたしに、彼女の声が聞こえてきた。最後の方は声が詰まって、言葉が震えていた。あたしが彼女の方を向くと、彼女は耐えられなくなったのか、顔を覆って泣き出してしまう。
彼女は今まで、辛い目に遭ってきたのだろう。惨い現実を見てきたのだろう。そして、これ以上の犠牲を心底恐れている。それが、ありありと見て取れた。
あたしはその感情に目を覚まし、自分の行き先を決めた。
「あたしも・・・連れて行って」
そして彼を見上げる。彼は、あたしの視線をキチンと受けてから冷たく答えた。
「駄目です」
それは動かぬ意志を表している。当然、彼はそう言うだろうと思っていた。そう言って彼は顔を逸らす。もう、あたしと話す気も無くなったようだ。
そして彼の中で、その話は終わってしまった。いつもの対応。数日しか一緒にいた時間はないのに、彼の行動や彼の言いたいことが、あたしには微かに分かるようになっていた。だから、いつもは先回りして諦めていたけれど・・・。
「でも・・・」
でも今回は引かなかった。
「ここにいても、危ないって・・・彼女も言ってる」
横顔の彼に、あたしはその言葉をぶつけた。
「・・・」
彼は動かない。それはつまり、あたしを振りきって進まずにいてくれるということだった。あたしの言葉を聞いてくれている。
あたしはその事実に、彼は、本当はずっと、あたしが気持ちや言葉をぶつければ、答えてくれなくても聞いてはくれたのかもしれない、そんな風に思った。今までは先回りして諦めてしまった自分。この時は譲れなかった。あたしは必死に、言葉と気持ちを彼にぶつける。
「それに貴方が行くなら、そして感染したら・・・」
あたしは、それを一番恐れていた。彼がここに帰ってきてくれなかったら。
「・・・同じ事じゃない」
あたしは一人になってしまう。
彼に、寄り掛かって生きていこうと思っているつもりはない。いつまでも彼に守って貰おうと思っている訳でもない。でも、だからあたしは、あたしの選択を通したかった。一人きりになっても、生きていく為に。
「・・・」
彼は、葛藤しているようだった。逆に言えば、それ程までに危険を冒してでも、中に入らなければならない理由があるようだ。
あたしはじっと、審判の時を待った。
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二人がどうなるのかがすごい楽しみです
更新頑張ってください!
こんにちは
ご訪問、書き込みありがとうございます
返信が遅くなったこと、また何度かご感想頂いたのに纏めてのお返事になってしまったことご容赦下さい
君と歩んできた道、読んで下さってありがとうございます
また、楽しんで頂けているようで本当に嬉しいです
これからも更新頑張りますので、最後までお付き合い頂けたら幸いです
今後とも宜しくお願いします(*'▽'*)