君と歩んできた道

いつかたどり着く未来に、全ての答えはきっと有る筈。

第二章 無言の背中 3

2015年05月22日 | 第二章 無言の背中
 あたしはここ二日、眠っても夢を見ることがない。記憶が空っぽだと夢も見られないのだろうか?

 だとしたらあたしは、夢を見る権利すら失ってしまった。



 彼と歩き始めて三日目。もう三日目だ。

 その間、交わした言葉は数えるほどしかない。三日経っても、あたしは彼のことを殆ど知らない。

 こんな状態でも、不思議と一緒に歩き続ける事は出来るものだと思った。永遠に続く訳では無い。間違いなく、いつかは終わることなのだ。その気持ちがあたしを割り切れさせていたのかもしれない。この頃にはもう、こっちから聞く気も無くなっていた。

 そして今日も、あたしは彼の背中を追っている。今日も交わした言葉は、ほぼ無いと言っても言い。それでもあたしはもう何とも思っていなかった。慣れなのか、諦めなのか、あたしには良く分からない。

 でも、ただ前進すること、それだけでも与えられたことで、あたしはもしかしたら救われていたのかもしれない。



 今日は一つの村を抜けてきた。小さな村だった。

 外からの客は珍しいのか、あたし達の到着に家から顔を出す人が何人か居る。そして興味津々な顔であたし達を見ていた。無理もないのかもしれない。市場も宿もない、本当に小さな村だ。立ち寄る旅人も居ないのだろう。そう思うと、不思議そうな彼等の顔に腹が立つこともなかった。

 あれ?

 ここは通過すると思いきや、前を行く彼は足を止めた。そして、そこでまた村人に何かを話している。

 あたしは何となく近寄り難くて、彼と少しの距離を置いた。気になったが、多分彼は聞かせてくれないだろう。そう思うと自分から遠ざかってしまったのだ。

 緑がいっぱい・・・。

 そして、あたしは村を見ていた。古い建物が多い。そして緑も多い。店がないことを見ると、ここは自給自足の村なのだろう。老人が多く、どうやら過疎化が進んでいるようだ。
 パッと見たところ、最年少でも四十歳はとうに越えているように見える。そんなことを考えていたあたしに、久しぶりに必要なこと以外の声が掛けられた。

「お姉ちゃん・・・」

「?」

 声のした方を見ると、そこには小さな女の子が居た。歳は五歳くらいか。最年少記録更新。
 長い髪をおさげにした、可愛い女の子だった。この村には、やはり子供が少ないようだ。その子の他に子供の姿は見当たらない。
 女の子は、あたしの顔を真上を向くように見上げている。あたしは思わず屈んでその目を覗き込んだ。

「なあに?」

 あたしが笑ってそう言うと、子供は安心したのかモジモジしながら言った。

「・・・どこから来たの?」

「え?」

 とっさに答えられなかった。思わず返事を拒否しかける。

 えっと・・・。

「うーん・・・と、ずっと遠くから」

 が、あたしは答えた。子供には気になるのだろう。外の世界のことが。
 あたしは、もしかしたら誰かと話をする事に飢えていたのかもしれない。そんな子供の質問に一生懸命考え、答えた。子供はそれに満足したのか、更に質問を重ねてくる。

「遠くってどれくらい?」

「うん、とね。ずーっとずーっと歩かなきゃ着かないくらい」

「ずーっと?」

「そう。ずーーっと」

 あたしが大袈裟な言い方をすると、女の子は可笑しそうに笑った。それを見てあたしも笑う。そして内緒話をするように声を潜めた。

「これからまた、いっぱい歩かなきゃ」

「ずーーっとだ」

「そう、ずーーっと」

 笑う女の子を見て思った。
 あたしはこの子の記憶に残るのだろうか? あたしにこの子の記憶はいつまで残るのだろう? 無くなってしまった記憶はどこに行くんだろう?
 思って悲しくなった。そう、あたしのように全て無くなってしまうわけではなくても、いつかは消えてしまうのものなのだ。人の記憶なんて。なんて儚いものだろう。

「頑張って、お姉ちゃん」

「え?」

 あたしは我に返る。そして、笑ってそう言ってくれた女の子の顔を見て。

「・・・うん。ありがとう」

 心の底からその言葉を言った。

「頑張るね」

 そしてこの子の記憶が、あたしの中にいつまでも残ると良いと思った。








 ザワザワザワ・・・。

 女の子と別れて数時間後、大きな町に出た。到着した時、空はもう暗くなっていたが、そんなに遅い時間でもないのだろか? それともこの町は夜も眠らないのだろうか? 分からない。分からないけれどこの町に静寂はない。

「・・・はぁー・・・」

 賑やか・・・っていえば聞こえは良いけれど・・・。

 あたしは、ため息を付いて辺りを見回した。外には人が溢れ、ざわついている。どこを見ても人、人、人だ。今まで見てきた村の規模や雰囲気とは、かなり違っていた。店が建ち並び、そこは夜も昼のように明るい町だった。

 民家より店の方が多そうだ。色取り取りの明かりが何だか煩いくらいで、事実聞こえてくる音や声も煩い町。さっきの過疎化の進んだ村とは比べ物にならない。彼等も必要な物があったらこの町に来るのだろうか?

 あたしはそんなことを考えながら、酔っぱらった人達を見て肩を竦めた。その内の一人が足をもつれさせて転び、それを見ていた仲間が奇声を上げている。

 何か怖い・・・。

 あたしは、思わず隣の彼の存在を確認した。横にずらした視線に見慣れた服を見てホッと胸をなで下ろす。そして、未だ迷っているくせに、こんな時だけ頼りにするなんてあたししは現金だな、と思った。

 彼は相変わらず、あたしを見ない。あたしはもう期待することもなくそれを受け入れ、視線を前に移す。さっき転んでいた人は仲間にもたれ掛かり、大声を発していた。

やだ・・・。

 目を合わさないように、あたしは慌てて俯く。そして歩を進め。

 ・・・ん?

 視界に入る彼が、いつもと違うことに気付いた。

 あれ?

 あたしは、それに気付いて顔を上げた。見慣れた彼の背中は、そこにはない。

 ・・・あれ?

 この町に着いて僅かな時間が経った頃、彼はこの町で僅かな変化を見せた。あたしの歩調に合わせ、常に右隣を歩いている。今までのように彼一人が先に歩き、あたしが背を追うことはなかった。

「・・・?」

 あたしは右側の彼を見上げる。でもやっぱり彼は、あたしの方を向いてくれることはなかった。あたしはその顔を見ながら、心の中で彼に不満を漏らす。

 何か、歩きづらいんですけど・・・。

 そう、あたしはこの時、その変化を「違和感」としてしか感じなかった。苛立たしいような、なぜだか腹立たしい違和感。

 もう・・・。

 横を見ながら彼を確認しながら歩くのが窮屈で、あたしの歩く速度は段々遅くなる。けれど彼は何も言わなかった。そのあたしの歩調に合わせ、彼は横を歩き続けた。そして、あたしを絶対に見ようとしない。

 もうどの位、彼の目を見ていないだろう? 視界に入る彼と自分の足を見ながら、あたしはそんな事を考えた。

 いつもみたいに先に行ってくれればいいのに・・・。

 あたしは彼を再び見上げる。横を行く彼の横顔。それは、いつも無表情で冷たい感じがする。だからあたしは、彼に見られるのが苦手になっていたのかもしれない。彼がこっちを見ないから、あたしは彼を見ていられるのかもしれない。三日間も一緒にいて、結局この程度の関係しかあたし達は作れていないのだ。

 と、いうか・・・。

 彼は多分最初からずっと距離を作り、そして越えられない程深く大きな溝を、お互いの間に作っていた。故意に。

 本当に、無愛想な人だなー・・・。

 あたしは、疲れていたのかもしれない。だから、気持ちに余裕が無くなっていたのかもしれない。

 あたしは苛立っていた。もどかしい気持ちや疲れや、それに全く構ってくれない彼に我慢が出来なくなっていた。だから、彼の小さな変化にさえ憤りを感じたのだ。きっと。でも、分かっていても、この手の感情は簡単には止まらない。

 あたしはそれを吐き出すように、出来れば吐き出したくて、小さな小さなため息をついた。彼には気付かれないように。

 いつまでこんな事が続くんだろう。もう、止めたくなってきた・・・。

 あたしの中の疑問は、大きく膨らみ小さく萎んだ。それを繰り返す、あたしに突きつけられた、あたしからの疑問。

「あたしはこれから、どうする?」

 でも、どうすればいいのか、どうしたいのか分からない・・・。

 町は相変わらず煩い。その音達に、あたしの気持ちは段々流されていく。

 いや、止めよう・・・。考えたって、仕方ない。

 あたしは諦めるようにそう思い、振り切るように考えるのを止めた。もう、疲れて。でも、それは流されているとも言えるが、選択でもあったつもりだった。あたしはそんな風に自分を持ち上げて、選んでいるような気になって、満足していた。

 仕方がない。仕方がないんだ・・・。

 言い聞かせるような、自分の言葉。逃げの言葉。でもそんな独りよがりな満足など、本当はそんなに長くは続かないものなのだ。

 あたしは、それを思い知らされる。この町で運命の選択を迫られて。



 その町で、時間はどんどん過ぎていった。そして人もどんどん通りすぎていく。この町の時間の流れは気のせいか、とても早く感じる。人の動きが忙しないせいかもしれない。
 何をそんなに急いでいるのか、今もあたしの目の前を、幼い男の子達の集団、若いカップルらしい二人組が足早に去っていく。

 こんな光景を、あたしはさっきから何の気なしに見ていた。数時間経ってもあたし達は寒空の元、しかし明るく煩い夜の町を彷徨っている。彼が宿に入ろうとしないのだ。

「絶対に動かないで下さいね」

 彼はあたしから離れる時、久しぶりに言葉を掛けた。その声が今も、あたしの中を駆け巡っている。

 何でこんな時にばっかり、そんな事・・・。

 あたしは、ふてくされるように地面を小さく蹴って、そう思った。

子供じゃないんだから言われなくたって分かるのに・・・。

 そして彼を見る。彼はこの町でもずっと歩き回り、遊ぶでも買い物でもなく色々な人に話を聞いている。しかし、それはほんの数分で終わってしまう物が多くて、そして彼は止まる気配がない。彼の欲しい情報の提供者が居ないのかもしれない。だから、まだまだそれは終わる気配がない。
 あたしは少し離れ、ジッと彼の背中を見ていた。

 危ないことくらい、見れば分かりますよーだ。

 村市場ではぐれるのとは訳が違うのだ。この町で一人きりになったら怖い目に遭うだろうと、あたしの本能も言っていた。事実、さっきから酔っぱらい同士の喧嘩や、男達の言い合い、物の壊れる音が後を絶たない。

 そんな事にも、この町の人達は無関心だ。夜通し流れている何らかの音によって、それらは掻き消されているのかもしれない。でも、あたしだってそうだ。最初は怖かったけれど、だんだんその音に慣れ始めていた。この町の人もきっとそうなのだろう。
 でも、それは多分音だけじゃない。

 視界の隅に、暴れながら転ぶ男の姿が入る。あたしは、聞こえてきた誰かの声から逃げるように目を細めた。

 きっとあたし達も、だ。この町は忙しなさ過ぎて、煩すぎて、きっと残る物は僅かしかないんだろう。見えていても聞こえていても、情報が多すぎて記憶に残らないのだ。
 その中に、あたし達の姿は多分入らない。だから彼の情報提供者も至極少ないのだ。何を聞いているのかは全く分からないが、何だかそんな気がする。

「あのー・・・」

「?」

 あたしは、不意に聞こえたその声に顔を上げた。隣にニッコリと笑った男の人が立っている。

「え?」

 あたしは思わず周りを見回した。けれど他に声を掛けられそうな人は居ない。やはりその男は、あたしに声を掛けたのだろう。再び男の顔を見上げたあたしは、思わず体に力を入れる。そして言った。

「な・・・何ですか?」

「あの・・・間違っていたらごめんなさい。どこかで、お会いしませんでした?」

 男は笑顔のままそう言った。その笑顔に、ほんの少し警戒心が解けかける。

「・・・え?」

 あたしは耳を疑った。そしてその言葉に過敏に反応してしまう。目を丸くしたあたしに男も驚いたらしい。

「あ・・・あれ?」

 男は困ったように頭を掻いた。人の善さそうな顔をしている。それが長身にも関わらず、全く圧迫感を感じない理由だろう。なかなかの優男だった。彼とは正反対の「いい男」だ。

「人違いかな・・・」

 男は間違えたのかと慌てたらしく、気まずそうに辺りを見回す。相変わらず煩い町だ。男の様な仕草をする人は、とても浮いて見える。それが一層、あたしの警戒心を弱めてしまった。

「・・・」

 あたしに? 会ったことがある?

 あたしは、何も言うことが出来なかった。目を丸くしたままのあたしを、冷たい風が撫でていく。



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