ミズヘンの腹ん中。

女3人、演劇創作ユニットmizhenのブログ。

演出することを

2016-07-14 14:22:21 | 藤原佳奈

昨年5月、演出家のコンペで、三島由紀夫の葵上を上演した。

三島の言葉は、隙がない美しさで構築され、

生霊六条康子の滴るような長台詞は、たまらなく魅力的だった。

でも、この作品を演出しているとき、

わたしは最後まで『演出のみをやる』、ことに対する真のモチベーションを見つけられなかった。

“三島の葵上を自分なりに解釈し”、という意味自体を拡大解釈し、

思えば、三島の戯曲を借りて、自分の戯曲にしたがっていたのだろう。

なんて傲慢な、と今になって思う。

 

そしてこのとき、案外自分の言葉に拘ってしまっていることに気がついた。

脚本なんて戯曲なんて書く人生になるとは1ミクロンも思っていなかったのに。

向いてないかもしれないけど、書くことを続けよう、とは思った。

 

しかし、演出に至っては、それ以来、演出のみをする、という機会がなかったので、

脚本だけだったり、自分で書いて演出したり、をやりながら、

『演出(のみ)をする』ということ、演出家、であるということにピンとこないまま、1年が経った。

 

今、携わっている現場は、海外戯曲を演出する作品。

稽古を毎日見ながら、戯曲が何度も身体を通過した。

俳優が語る言葉と、演出家の言葉も、何度も何度も身体に染み込む。

言葉が沈殿する。

すると、最初に戯曲を読んだときは分からなかった、

作家が並べた言葉の奥の方にある、泉を、チロチロと這う面白い水脈を見つけた。

それを掬い取りたい、という欲が、ふつ、と自分の中に芽生えた瞬間があった。

 

きっとこれだ、と思った。

演出する欲。

 

いま、葵上をやったら、全然違うものになるんだろうな。

 

欲が増えるのはたのしい。

 

 

ふじわら