カフェ こもれび 日記

所在地:日野市南平6-10-5
水曜・日曜日定休 9:00から18:30迄
電話 070-7529-3062 P有

レ・ミゼラブル百六景

2012-11-29 | 読書
誰もが名前とあらすじくらいは知っているが誰も読んだことがない世界の名作がある。「ドン・キホーテ」や「ガリヴァー旅行記」など。「ロビンソン・クルーソー」も子供時代児童書で読んだという人は多いと思う。でも、大人になって完全版で読み返したという人はすくないのではないだろうか。ユゴーの「レ・ミゼラブル」もしかり。ジャン・バルジャンといえば大抵の人がパンを盗んで監獄に入れられた人くらいの知識は持っているが、盗んだあとその後どういう運命を辿ったかとなるとすっかり忘れていたりする。映画で見て思い出すのが関の山だ。小説よりも映画のほうが印象に残りやすいので、映画で覚えているケースが多い。小生もその類に属する。退職生活の無聊の慰めとて、先日本屋で何気なく手にとった標題「レ・ミゼラブル百六景」を読み始めました。鹿島茂氏は私の好きな学者です。専門は19世紀のフランス文学ですが、作品の背景となる当時の歴史や社会の実情と関連付けながらの解説が面白い。今回取り上げた「百六景」はヴィクトル・ユゴーの名作「レ・ミゼラブル」に出てくる人物や出来事を106シーンの当時の木版画を添えて解説されている。「活字では完全に抜け落ちてしまった具体的な時代の手触り」をヴィヴィッドに甦らせる趣旨で書かれました。読んでみてそのとおり、挿絵の木版画のイメージとその解説と原作のストーリーとが相乗効果を醸し出して時代の雰囲気が伝わってきて面白い。これまで、飛ばし読みしていた脱線部分が挿絵で新鮮に蘇ったりする。ミリエル司教の銀の食器の話、もうとっくに忘れていましたが、今読み返してみると、あれはジャン・バルジャンにわざと盗ませたのですね。つまり、一夜の宿を請うたジャン・バルジャンに宿と銀の食器で食事を与え、盗みを黙認するというミリエル司教の行為は当時の超格差社会の救貧策として貧民や囚人のために司教館を慈善病院に転用し自分は粗末な慈善病院に住んだという司教としては、ある意味当然の行為だったのですね。19世紀のフランス社会全体が貧民を虐げ、罪人に社会復帰の機会を与えない厳しい社会だったという事実を踏まえて司教の行動を読むと司教が単なる慈愛に満ちた優しい聖職者というものではなく、積極的な社会福祉活動の実践者としての顔が見えてきます。当時の司教は今で言えば中央官庁の局長クラスの待遇(年俸1500万円)を得ていたという。子供の頃は司教がそんなに偉い人だったというのも知らずに読んでいた。社会制度としての階級社会というものの理解なしにこの名作を読んでもダメだとわかった。ということはこれは子供ではなく社会人となった大人が読むべきものなのではないか。そういう目で見れば「ドン・キホーテ」も「ガリヴァー」も「ロビンソン・クルーソー」も今読み返してみれば全く違った印象になるかもしれない。名作は子供に読ませてはならない。なぜなら名作は一度読んだらもう二度と読まないから。グリム童話だってメルヘンとして子供が読むのもいいが、社会の厳しさを知った大人が読んでこそ醍醐味があるのではと思った次第。ちなみに、12月21日より映画『レ・ミゼラブル』が全国ロードショー。
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レ・ミゼラブル百六景

2012-11-29 | 読書
誰もが名前とあらすじくらいは知っているが誰も読んだことがない世界の名作がある。「ドン・キホーテ」や「ガリヴァー旅行記」など。「ロビンソン・クルーソー」も子供時代児童書で読んだという人は多いと思う。でも、大人になって完全版で読み返したという人はすくないのではないだろうか。ユゴーの「レ・ミゼラブル」もしかり。ジャン・バルジャンといえば大抵の人がパンを盗んで監獄に入れられた人くらいの知識は持っているが、盗んだあとその後どういう運命を辿ったかとなるとすっかり忘れていたりする。映画で見て思い出すのが関の山だ。小説よりも映画のほうが印象に残りやすいので、映画で覚えているケースが多い。小生もその類に属する。退職生活の無聊の慰めとて、先日本屋で何気なく手にとった標題「レ・ミゼラブル百六景」を読み始めました。鹿島茂氏は私の好きな学者です。専門は19世紀のフランス文学ですが、作品の背景となる当時の歴史や社会の実情と関連付けながらの解説が面白い。今回取り上げた「百六景」はヴィクトル・ユゴーの名作「レ・ミゼラブル」に出てくる人物や出来事を106シーンの当時の木版画を添えて解説されている。「活字では完全に抜け落ちてしまった具体的な時代の手触り」をヴィヴィッドに甦らせる趣旨で書かれました。読んでみてそのとおり、挿絵の木版画のイメージとその解説と原作のストーリーとが相乗効果を醸し出して時代の雰囲気が伝わってきて面白い。これまで、飛ばし読みしていた脱線部分が挿絵で新鮮に蘇ったりする。ミリエル司教の銀の食器の話、もうとっくに忘れていましたが、今読み返してみると、あれはジャン・バルジャンにわざと盗ませたのですね。つまり、一夜の宿を請うたジャン・バルジャンに宿と銀の食器で食事を与え、盗みを黙認するというミリエル司教の行為は当時の超格差社会の救貧策として貧民や囚人のために司教館を慈善病院に転用し自分は粗末な慈善病院に住んだという司教としては、ある意味当然の行為だったのですね。19世紀のフランス社会全体が貧民を虐げ、罪人に社会復帰の機会を与えない厳しい社会だったという事実を踏まえて司教の行動を読むと司教が単なる慈愛に満ちた優しい聖職者というものではなく、積極的な社会福祉活動の実践者としての顔が見えてきます。当時の司教は今で言えば中央官庁の局長クラスの待遇(年俸1500万円)を得ていたという。子供の頃は司教がそんなに偉い人だったというのも知らずに読んでいた。社会制度としての階級社会というものの理解なしにこの名作を読んでもダメだとわかった。ということはこれは子供ではなく社会人となった大人が読むべきものなのではないか。そういう目で見れば「ドン・キホーテ」も「ガリヴァー」も「ロビンソン・クルーソー」も今読み返してみれば全く違った印象になるかもしれない。名作は子供に読ませてはならない。なぜなら名作は一度読んだらもう二度と読まないから。グリム童話だってメルヘンとして子供が読むのもいいが、社会の厳しさを知った大人が読んでこそ醍醐味があるのではと思った次第。ちなみに、12月21日より映画『レ・ミゼラブル』が全国ロードショー。
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所在地:東京都日野市南平6-10-5 京王線「南平駅」から徒歩6分 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/a0/fe004781c86c0276a59ab15ea48ff564.jpg 最寄駅は「南平駅」です。改札を出たら右側の階段を下ります。下りたら右へ70メートル進むと浅川の堤防道に突き当たります。堤防道に上がって右へ川の流れに沿って100メートルほど行くと右側に芝生の道が見えてきます。芝生の道の横の通路を30メートル進むとそこがカフェです。