熊は勘定に入れません-あるいは、消えたスタージョンの謎-

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奇絶、猥褻、『ゴーレム100』!

2007年07月22日 | SF
ベスターの『ゴーレム100』を読了。うん、これは最高にイカした本だ。
このいい感じのぐちゃぐちゃさ加減をどう説明したものか悩ましいが
もしキャッチコピーをつけるなら、懐かしの横田順彌調を少しもじって
「奇絶、怪絶、また猥褻!」とでもしたいところ。
狂った描写と異様な言語感覚の中にも乾いたユーモアと冷徹な論理が
感じられる、破格の傑作と言ってよいだろう。

変幻自在の怪物ゴーレムに託したエロ・グロ・スカトロ趣味が作中を
縦横無人に跋扈しまくるものの、作者の視線にはどこか醒めたものが
感じられ、それが陰惨な描写をユーモラスな物に変換している。
メチャクチャ、ナンセンス、やりたい放題と思わせる内容をこれでもかと
詰め込みながら、一方でそれらにごくまともな科学的説明をつけてみたり
狂った乱交シーンの後に感動的な女性論をぶちあげてみたりと、はたして
どこまで計算ずくなのか読めない胡散臭さが、また面白い。

そしてそこまでの引きをまるごとひっくり返すような、あのラスト!
まさかあの人物の名前までが、トリックのための仕込みだったとは。
まったく、ちまたの新本格も新伝綺も裸足で逃げ出すような強烈さだ。
『虎よ、虎よ!』を核時代の『モンテ・クリスト伯』とするならば、この
『ゴーレム100』こそ、ネットワークとバーチャル・リアリティ時代に
現出した『モルグ街の殺人』と呼べるかもしれない。

ベスターの作品集『願い星、叶い星』巻末の中村融氏による解説によれば、
本作の原型は短編「The Four Hour Fugue」ということだが、未来世界で
8人の淑女が戯れに「ゴーレム」を召還してしまうという発端は、同書の
最後に収録されている中篇『地獄は永遠に』を思わせる。
それだけでなく、猟奇殺人、共感覚、男女の恋愛から世界の破壊と再生まで
ベスターの扱ってきたテーマの数々が、この一作に総動員されているのだ。
イラストや楽譜、タイポグラフィやロールシャッハ図形などを持ちこんだ試みも
強引なやり口と見える一方、この作品を小説という形式から開放するための
果敢な挑戦と見なすこともできるだろう。
執拗なまでの言葉遊びも、言葉に縛られた物語=言語化された世界を破壊する
ある種の呪文のようにも思えてくる。

実のところ、ベスターはこの小説をまさに「マルチメディア・アート」にしようと
企んでいたのかもしれない。
コンピュータとインターネットが普及した時代ならもっと楽にできたはずの事を
ベスターは自分に許される範囲のテクニックと媒体を用いて、不自由ながらも
形にしてみせたように思うのだ。
さらに突き詰めれば、この小説が目指した究極の形こそ、視聴覚に加えて嗅覚と
触覚、そして超感覚までも加えた「全感覚小説」だったとも考えられる。
…という大ボラが吹きたくなるところも、この作品の魅力のひとつだろう。
とにかくネタが多いので、いじり方によってはまだいくらでも楽しめそうだ。

山形浩生氏は本書の解説で「SFの全てを書き切った傑作」としているが、
本作の場合はジャンル小説の色を最大限に生かしつつ、最後はその枠すらも
はみ出してしまった、まさに異端にして異形の傑作だと思う。
その異形の傑作を見事日本語化した立役者にして翻訳者である渡辺佐智江氏の
偉業こそ、今年度の翻訳業界における最大の事件だろう。
ユーモアとトリップ感がたっぷりのリズミカルな文章は、SFが好きかどうかを
問わず、とにかく筆毒…もとい、必読の名文である。
渡辺訳があればこそ、『ゴーレム100』は21世紀にその真価を知らしめることが
可能となったのだ。ゴーレムはまさにこの人が来るのを待っていたに違いない。
とにかく、小説のみならず創作を志す全ての人にお勧めしたい名著。ぜひ読むべし。

ところで最終章に出てきた人物、複数いたらしきうちの一人は、もしかして…?

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