今回に限らず、日本人観光客の行動にオイオイと思ってしまう事がある。
もちろん、韓国や中国人がホテル内、大声で喋っていてうるさーい
なんて事もよくあるけれど、日本人の数が少ない場所だから気になるのかなー。
今回も何度か、オイオイ・・・という事があった。
カンボジアのホテルで朝日を見に行こうと、まだ暗いロビーに座っていた時
”ガン、ガン、ガン!”木製の階段をサンダルの音を高らかに鳴り響かせて
駆け上がって行った女性がいた。階段とロビーの距離はかなりあったけど
静かな時間のせいかホテル中に響き渡っている。なんだかなぁーと思う。
山中の遺跡へ行った時、小川を渡るのに幅10cm程度の板を渡る場所が。
なぜか前のカップルが止まっている。女性はヒラヒラのスカート。
うわー、ヘビもいるっていうのに街中歩くような格好で来る人いるんだなー
そう思って見ていると、ガイドさんが驚いた顔で女性の足元を指差す。
見ると7cm位の細いハイヒールサンダル!ゆえに足元がぐらつき
橋が渡れないのだ。私達の後ろも次第に人の列ができてしまい
ガイドさん達は呆れかえった表情。そんな状態でもカップルは平然としていた。
呆れたけれど、あの急斜面をどうやって登ったのか、ある意味凄い(笑)
遺跡で写真を撮ってもらおうとていしたら、前に割り込む女性2人組。
笑顔でポーズ!ってオイオイ・・・ワタシは視界に入ってないですか?(苦笑)
普段自分が日本人である事なんて意識した事もないのに
なぜかこういう時ばかりは「同じ日本人として恥かしい」などと思ってしまう。
旅行をしていると「日本人はお金持ち」と言われるけれど
「お金持ちで無作法」と言われないように気をつけようーと思うのだった。
もうひとつ感じた事は・・・
アンコールワットの参道を少しはずれた場所に井戸があった。
遺跡にはそぐわない原色の小さな屋根には日本の企業名が書かれている。
井戸の周りはカラカラに乾いており、使われている形跡が見当たらない。
どうしてあんな所に井戸があるんだろう?と気になった。
山中の遺跡へ行った時、通路となる山道を掃いている少年少女が数名いた。
皆ロゴの入りの上着を着ているので、どういう人なのかガイドさんに聞くと
「日本のNGOが運営しているんですよ」
木の葉はまた落ちてくる、そんな場所をなぜ掃き掃除しているんだろう?
彼等に働く先と収入を与えるため?
こんな所を掃くより、もっと何か技術が身に付くような仕事がないのかな?
そんな事を思った。
その後現地の人から援助の事について話を聞く機会があった。
遺跡の修復は各国が援助しており、だからこそ今のような状態で
見て歩く事ができるし、国際会議が行われるようなホテル近辺の道路も
やはり援助でキレイに舗装され、私達もスムーズな移動ができる。
でも、援助で井戸が作られ、壊れてもその部品が手に入らず放置されたり
修理できず使われていないものもめずらしい事ではなかったり
援助で学校が建てられても先生を雇うお金がないとか。
次はどこをどの国、団体に援助してもらうかを仕事にして利益を
得ているような人もいるという。
海外でボランティア活動をしていた友人から「お金や物資を送って貰っても
中間搾取なんて日常茶飯事。いくら技術指導をしても、その技術を生かす
職場や作ったものを売る事ができなければ、その人達はまた肉体労働などに
職を求めるしかなく意味のない事になってしまう。やはりその国が、人が
自立してやっていけるような形を作らなければ、お金を送ってもそれは
一時凌ぎにしかならない」という話を聞いた事もある。
少し話は違うけれど、カンボジアへ行くと物乞いが目につく。
前回も、遺跡の前などで物乞いをする大人や子供を何度も見た。
観光客が近付くと親が子供を抱えあげて見せ手を差し出してくる事も。
地雷の犠牲者が多い国ではある事は事実だけれど、お金を得る為に
身体を傷つけ物乞いする人もいるというような良くない話も聞く。
貧困な国で収入を得るため、そんな悲しい方法しかないのか・・・
でも、ここでお金をあげていいのだろうか?そう思ってしまう。
正直なところ、今回も渡航前そういう事を考え気が重くなった。
私はどうしたら良いかわからずお金をあげた事がない。
こういう問題はとても難しく、個々が考えていくしかないと思う。
こうした国で援助を受け、助かっている人も事も沢山あるはず。
援助イコール「お金を寄付」という行為に結びつきがちだけれど
必要とされている所へ必要とされている形で使われていない場合もある
という事実の一端を知り、今後自分がそういう事にどう関わっていくのか
あらためてそんな事を考えさせられた旅だった。
旅行手配先
ピースインツアー
ホーチミン・ホテル
Indochine Hotel
シェムリアップ・ホテル
Victoria Angkor Hotels