水川青話 by Yuko Kato

時事ネタやエンタテインメントなどの話題を。タイトルは勝海舟の「氷川清話」のもじりです。

BBCドラマ『Sherlock シャーロック』第一話について、ネタバレで騒ぐ

2011-08-22 21:30:01 | BBC「SHERLOCK」&Benedict Cumberbatch

子供の頃からシャーロック・ホームズが好きだ。厚さ10センチはあるホームズ全集を親に頼みこんで買ったもらったのは、小学校4年生くらいか。

日本のファンクラブにも入っていたし、著名ホームズ研究者のご厚意で学生の分際ながら研究書の共訳に加えていただきもした。英グラナダTVのジェレミー・ブレット主演ホームズ・シリーズは(特に初期のは)自分でも呆れるほどハマリにはまって、いくら学生だったとは言え、「ブレットさん」にファンレター(!)を書いたり、同人誌にも参加したりの狂乱ぶり。映像的にはブレット版があまりに決定版だと思うので、その後のはあまり観ていない。観なくてもよかったなあというものもいくつか観たけど、まあそれはご愛嬌。

なので、BBCが「現代版ホームズ」を作ったと聞いた時は、ワトソン役が『The Office』や『Love Actually』、そして英語版『笑の大学』などで観ていたマーティン・フリーマンだというので、「へえ!」と思ったけれども、それほど興奮も期待もしなかった。

しかしすごい好評なのが伝わってきて、BAFTAを色々とったと知るに至り、「これは観なくては」とDVDを取り寄せた。

いやああああ!!!! 面白い!!!!! 

NHKが間もなく放送予定だと情報をキャッチしなければ、DVDで観てすぐにネタバレ満載の「面白いぞおおお!」的な書き込みをここやツイッターでしていたはずだけど、それはさすがに。なので、22日夜の第一話放送が終わるまで控えていた、第一話「A Study in Pink」に関するあれこれを本日晴れて解禁します。

以下、激しくネタバレです。そしてミーハーです(ネタ元は第一話と、DVDに収録されているコメンタリー、パイロット版、そしてホームズ原作。吹替版は途中からしか観ていないので、訳し方が違うかもしれません)。

○「A Study in Pink」というタイトルはもちろん、原作「A Study in Scarlet(緋色の研究)」のもじり。話の展開が荒唐無稽なのも、原作どおり。第一話冒頭のきわめてシリアスな雰囲気からどんどんねじれて、第二話以降には謎の中国犯罪結社がどうしたとか、 スラヴの怪奇伝承がこうしたとか、どんどんキッチュかつダークな方向に話がスライドしていくのも、原作の雰囲気どおり。

 

○ ちなみにこの物語の21世紀は、アーサー・コナン・ドイル作の「シャーロック・ホームズ」が古典として定着していない世界。これが観はじめた当初の最大の違和感だった。

 

○ 製作者たちも言っているが、21世紀初頭のホームズがネットやスマホやタクシーを自在に駆使するのは、19世紀末のホームズが電報や新聞広告やHansom cab(一頭建て馬車)を駆使するのと同じ。つまりホームズとは常に、その時代をリアルに生きている存在なのだと。

 

○ Twitterでも書いたけど、「Baker Street」という道標をなめてカメラが上から下にパンしていくショットは、まさにグラナダ版ホームズのオープニング。

   

(ベイカー街の撮影に使われるロンドンのNorth Gower Street。ふだんはこんな感じ。

2011年10月私撮影)

 

(撮影中じゃないふだんの「221B」。右の赤い屋根が、番組にも登場するSpeedy's Cafe)

 

○ これもTwitterで書いたけど、19世紀末のワトソンも21世紀のワトソンも、アフガニスタンで負傷した帰還軍医という設定が成立する。なんという皮肉。

 

○ 好きなやり取り。タクシーを追いかけたり警察から逃げたりした後。

「That was the most ridiculous thing I've ever done(あんな馬鹿なことをしたのは初めてだ)」

「You invaded Afghanistan(アフガニスタンに侵攻したじゃないか)」

「That wasn't just me(あれは僕だけじゃないから)」。

 このやりとりの後の、ワトソンの脚がらみの展開にもホロリ。

 

○ ワトソンのケガについて、ニヤリ。「ワトソンはどこをケガしてるんだ?」というのがシャーロッキアンの長年の論争ポイントなので。コナン・ドイルは細かな設定の一貫性にあまり頓着しない作家で、ワトソンの負傷は肩だったり足だったり、エピソードによって色々。この「Sherlock」ではそれを逆手にとって、ジョン・ワトソンが足を引きずるのは「心因性」ということにしている。ジョンがシャーロックとの出会いによって上記したような「戦場を離れたが故のトラウマ」を解消し、その心因性障害を克服するのが、この第一話のサブプロット。ゆえにラスト場面で交わされる「ところでどこを撃たれたんだ?」「ああ、肩だよ」というやりとりに、ニヤリとした原作ファンは多いはず。

 

○ 冒頭でホームズがいきなり死体を鞭打ってるのも、ワトソンがホームズと出会う経緯も、原作由来。パイロット版のワトソンとスタムフォードは原作通り、道ばたで再会後、Criterion Barで食事をしている。本放送版では二人が手にしているコーヒーカップに「Criterion」と書いてある……と気づいたのは、コメンタリーのおかげ。

 

(原作にも登場のSt. Bartholomew's Hospital、通称Bart's。

ここでシャーロックは実験したり死人に鞭打ったりモリーにあんなことやこんなことを)

 

(原作とパイロット版でジョンとスタムフォードが再会するピカデリー・サーカスの

Criterion Bar。ざ・大英帝国。きれい。美味)

 

(第一話A Study in Pinkで「Watson! John Watson!」とスタムフォードがジョンを呼び止め、

語らうRussell Square Gardens。ありがとうよ、スタムフォード。全ては君のおかげだ) 

 

「傘を取りに戻ったまま姿を消した男」というのも、ホームズの未解決事件のひとつの原作由来……と、これに気づいたのもコメンタリーで。ホームズがマンテルピースにジャックナイフで書簡を留めるのも、原作由来。ホームズがやたらと顔の前やアゴの下で両手をぺたんと合わせるのも、これも原作の挿絵由来。そしてそれを模したジェレミー・ブレット由来。

(ブレットさんの「身体性」を意識しているとは、ベネディクト本人談。ブレットさんの精神状態の問題と役との関係についても語っていて、とても興味深い。ベネディクトのご両親は俳優で、ブレットさんとはベネディクトがチビのころから家族ぐるみの付き合いだったそう。特にお母さんのワンダ・ヴェンサムがブレットさんと親しいお友だちだったそうだ。ちなみにベネディクトのお母さんお父さん)。

○(追記)。ジョン・ワトソン”自身”が「Dr. John Watson's Blog」で書く「あの日の出来事」はこちら。それにしてもこのブログ、コメント欄が秀逸だ。ぞくっとするエントリーもある(注・このブログはもちろん、コメント欄も含めてBBC作成です。実に巧みにドラマと絡み合ってる。3話までのネタバレありですが。ホームズのブログもある。読んでいて妙にもの悲しいのが、バーツの検死官でシャーロックに片思いしてるモリーのブログ……)。(←2012年7月追記。ジョンのブログもシャーロックのブログも、現時点では第2シリーズのネタバレありありですので、ご注意を)

○ 原作ファンとしてニヤリとしたのはほかに、ワトソンの兄さんの時計を姉さんの携帯電話に置き換えての推理(Harry が兄さんじゃなくて姉さんで、しかもクララと結婚していたと!)。「RACHE」がドイツ語の「復讐」なのか「Rachel」なのかが、原作と逆転している小粋な遊び。ちなみにこのRACHEの場面、パイロット版ではホームズも、現場保全のための青い鑑識服を着るのに、本放送版では「君は着ないの?」と言われても着ない。笑った。

 

○ 原作ファンとしてさらにニヤリとしたのは、「ロンドンで煙草を吸うのはもう無理だ」というホームズ、じゃないシャーロックが「this is a three-patch problem(ニコチンパッチ3枚分の問題だ)」というくだり。原作「緋色の研究」ではこれは「three-pipe problem」(パイプ3服分の問題)」になっている。

 

○ 原作由来のホームズと薬物について。「It's a drug bust!(ヤクのガサだよ!)」と嬉しそうに言うLestrade(今作ではレストレードではなくレストラードと発音)ことルーパート・グレーヴスに激ラブ。嬉々と志願して「にっくき」ホームズのヤサにガサ入れするサツの皆さんに爆笑。

 

○ ところで、あんなくだらない対決に自分の命をかけてしまうほどふだんは「退屈」していて、自分の知力の証明を求めて止まないシャーロックなわけだが(これは原作のホームズも一緒)、この話では、その直前に自宅をガサ入れされて辱められてるというのも、彼の心理状態を語る上では大きいかなと考えてみる。

 

○ ホームズの最大の弱点は退屈とプライドだというのも原作通りだが、そこに焦点をあてているのが、きわめて現代的。Psychopathと「高機能なSociopath」の違いなど。

 

○ 原作ファンには有名な原作由来の矛盾でもう一つ。大家さん(「私は大家で、ハウスキーパーじゃありませんからね」)の名前は「Mrs. Hudson(ハドソンさん)」なのだが、一回だけ(かな?)ホームズが「Mrs. Turner(ターナーさん)」と呼ぶことがあった。それでまたシャーロッキアンたちは「これは何故か」とあれこれ自説をこねくりまわしてきた(ハドソン夫人がこの時は再婚して名前が違っていたのでは、とか。ハドソンさんは旅行中で友達のターナーさんが代行していたのでは、とか)。対して「SHERLOCK」第一話では、ハドソンさんがいきなりお隣の「ターナーさん」に言及。「心配しないで、この辺にはいろんな人がいるから。隣のターナーさんのとこには結婚してるのもいるんだから」と(爆笑)。

 

○ 「心配しないで」とハドソンさんが言ったのは、この第一話で繰り返される(running gagと英語では言う)、「えーと、お2人はどういうご関係で?」というネタ。「ベッドルームがもうひとつ要るなら、上にありますからね」と。奇しくもつい先日、セサミストリートで世界的人気な長年同居男性コンビ(アーニーとバート)について、同じ質問がされたばかり。「アーニーとバートは実はゲイのカップルなんじゃないか? そろそろ結婚させてあげたらどうだ?」というネット署名に、制作側が「マペットに性的指向はありません」と答える無粋な顛末があったばかり。そして、このアーニーとバートの遥か昔から、「えーと、独身の男二人が長年同居していて、えーとそれはどういうご関係で?」と、下手な詮索をされてきたのが、ホームズとワトソン(ワトソンはけっこうさっさと結婚するにもかかわらず)。19世紀末のビクトリア朝イギリスでは「名乗ることも許されなかった愛」について、逆に21世紀イギリスでは、取り上げない方がむしろ不自然。なので、「SHERLOCK」第一話ではこの「テーマ」が執拗に。

 

○ 「SHERLOCK」初見の時、「ああ、これは(ホームズ・パロディにありがちな)タイムスリップものではなくて、本当に現代版のホームズなんだ。このホームズとワトソンは私と同時代人なんだ」と私の中に染み込んだのは、現代ロンドンやスマホやパソコンが登場するからではなく、こうして同性愛(の可能性)がオープンに言及されていたから。そして、二人が「シャーロック」「ジョン」と呼び合うから。つまり、感覚や考え方が21世紀初頭の人間のものだったから。こうして書いていても、「シャーロック」「ジョン」と書くより「ホームズ」「ワトソン」と書く方が自分には遥かに自然なのだが、21世紀のこの二人は「シャーロック」「ジョン」と呼び合うしかなかったと、製作陣もコメンタリーで話している。現代イギリスの男同士が、姓で呼び合うのは、むしろ不自然だから。

 これまでも折に触れて書いているが、ファーストネームを呼ぶかファミリーネームを呼ぶかの意味合いが、戦前のイギリスと戦後のイギリスで大きく変化している。20世紀初頭を描くE.M.フォースター作品などはこの辺の機微が作品理解の要だったりするのだが、戦前のイギリスで階級が対等な男同士がファーストネームで呼び合うなど、家族・親戚や幼なじみでない限り(あるいは恋愛感情がない限り)、まずあり得ない(例外はあるだろうが)。それだけに、「ホームズ」「ワトソン」ではなく「シャーロック」「ジョン」と呼び合う二人の姿は、私にはけっこう「おおおお!」と違和感で、その違和感こそが「これは現代版ホームズなんだ」と納得させられるきっかけだった。なんというか、スマホやパソコンを使ってタクシーを乗り回してるだけなら、それは小手先だけの「現代版」だと思うのだけど、お互いを「シャーロック」「ジョン」と呼び合うことに何の違和感も感じない二人は、実に現代のホームズとワトソンだと腑に落ちたのだ。

 

○ E.M.フォースターと言えば『眺めのいい部屋』や『モーリス』なわけで、ああ、ルーパート・グレーブスとこういう形で再会できて、ものすごい嬉しい。いい感じに年齢を重ねてきた彼が演じるレストラードは、けっこう有能で、まともないい奴で、そしてホームズを尊敬し尊重している。Lestradeの「Sherlock Holmes is a great man - and I think one day - if we're very, very lucky, he might even be a good one.(シャーロック・ホームズは偉大な男だ。しかも、相当に運がよければいつの日か、善い男にもなれるかもしれないと思うよ)」という、原作にはないこの台詞には、かなりホロリとさせられたのだ。絶対的に信頼できる、絶対に背中を預けられる男ワトソンと、「スコットランドヤードで最も優秀な刑事」レストラード。ホームズほど優秀な男が、馬鹿や間抜けを身近におくわけがない。「Only an idiot surrounds himself with idiots(馬鹿者ばかり身近におくのは馬鹿者だけ)」という製作陣のこだわりや良し。「Because you're an idiot(君が馬鹿だからだよ)」というのが、このエピソードのキーフレーズですし。

 

○ 「mephone」とはもちろん、「iPhone」のもじりですな。わざわざ言うまでもないけど。キロロンと作中でアラーム音が鳴るたびに、自分のが鳴った?とハッとする。

 

○ 原作「緋色の研究」でも犯人はcab driver(当時はHansom cab、つまり一頭建て馬車ですが)。そして原作でも、動脈瘤を患ってる。

○ 毛布をかけられてるシャーロックが「なんでしつこく毛布をかけるんだ」と文句たらたら。可愛い。部下たちが記念撮影したがってるからと、レストラード(笑)。そして、自分を救ったのが誰か、シャーロックが気づくあの瞬間。その時の彼の表情。ジョンの動き。素晴らしい。ついでに、なんとなーく察してるようなレストラード、らぶ。

 

○ そして、ああ!!! この第一話の初見時に私がつい身を乗り出して「Who the hell are you?」と画面に問いかけた人。そしてラストで正体が明らかになったとき、「うわっはっっっはっはっ!!!!」と爆笑した人。それは(以下、激しくネタバレ)

はい、もうお分かりですね。マイクロフト兄ちゃんです!!!!! 最初に出て来た時の、あの全くやりすぎな緊迫ぶり(一歩も引かずに受けて立つジョンがまた、カッコ良くってさーーーー!!!!)。

 あそこだけ一瞬、ジョン・ル・カレ的サスペンスちっくになって、それで「おおお、もしやこれがモリアーティか???」と疑わせるあのフザケっぷり。国家権力を駆使して、街頭の監視カメラや公衆電話を操りまくった挙句、「ママがすごく気にしていたじゃないか」というオチ。家庭内不和を国家権力で解決しようとすなーーー! もう何度でも言う。お前ら兄弟、大好きだーーーー! しかもこのマイクロフトは、パイロット版には登場せず。60分もので作ったのをBBCが気に入ったので90分に延長してねと言われて、新たに挿入されたのが、マイクロフト兄ちゃん登場による無駄な緊迫感。演じるは、製作者のひとり、マーク・ゲイティス。ホームズ・オタの喜びを全身に込めて、皮肉とユーモアたっぷりに演じてます。

 ちなみに、原作のマイクロフトはでっぷり太ってるので、ここでは、やせてはリバウンドしてるという設定らしい。ひどい(笑)。

 

○ そしてなんといったって、あのラストだ。並んで歩くあの二人。スローモーション。コメンタリーでは「Our heroes」と。何度観ても、「よっ、ご両人! 待ってました!」と掛け声したくなる。名コンビ誕生の素晴らしき瞬間。最高。

 

○ 最後に。シャーロックのまとひし黒き上着……ではないコートはこちら。1350ポンドなり。期間限定モノだったのが、番組を受けてあまりの人気のため、復活したそうですよ。

 

 

 

 


2012年7月追記。

A Study in PinkのDVDコメンタリーより。

なぜシャーロックが運転手の脅しにつきあい、毒薬を飲みかけるのかについてスティーブン・モファット談。

「この時のシャーロックは洗練されていない、ザラッとした、『生』のシャーロックだ。彼は天使の側を選んでる。そっちの方が決まり事が色々あって、そっちにいる方が難しいから。これはむき出しの、磨き上がってないシャーロックだ。物語が進むにつれて間もなく、彼はモリアーティを止めるためなら喜んで死ぬ、と言い出す。僕たちも、彼をそこまで追い込んでいくつもりだ。シャーロックは自分は本当は天使の側にいやしないと決めるんだけど、最後の段階では結局のところ、自分も天使のひとりなんだって決める。ちょっといたずらな、たいして優しくもない、でも天使に違いないって。それは素晴らしい変化だし、すごく語りがいのある素晴らしい物語だ」



Steve Moffat: What we're talking about here is a raw and unrefined Sherlock. He's chosen the side of the angels because there are more rules, it's more difficult. This is a raw unrefined Sherlock. As the stories progress, it's not long before he's saying that he would happily die to stop Moriarty. We take him to that arc, too. He does decide he's not really on the side of the angels, but he is in the end, maybe a slightly naughty one, not the nicest one out there, but he is one of them. That's a brilliant progression, that 's a great story to tell.