41歳のこの女性の死を通して、今のアメリカという国の色々な様相が見えてくる。ただし、それをみっちり書き込んでいる時間がとてもないので、思いつくままに箇条書き。
・アメリカはそもそも、宗教的に極端なほど真面目な人たちが作った国
カトリックの腐敗を批判したのがプロテスタントで、そのプロテスタント(といっても英国教会はカトリックと似たようなものだが)の腐敗を批判したのが、清教徒。
その人たちが作ったのが、アメリカ。
そしてそれから200年以上たった今も。ヨーロッパのカトリックはもうちょっとくだけてるぜって思うほど、ブッシュ一族を中心とするプレスビタリアンな人たち、バイブルベルト(アメリカ南部や中西部)を地盤とするキリスト教原理主義な人たちの、死生観は保守的だ。そして、ローマ法王庁のそれと、そっくり一致している。つまり、シャイボさん死去を受けてバチカンがただちに発表したコメントにあったように、彼らにとって人間の命とは「受胎から自然死まで」を意味するものだ。
だからこそ、中絶=殺人、尊厳死=殺人、ヒト胚性幹細胞(ES細胞)の研究=殺人──なのだ。殺人が日常的に行われているのをみすみす見過ごすのは、市民としての道義的義務に反する。だから中絶反対派は中絶クリニックを爆破しにいくのだ。
そして、テリさんを死なせるなと、両親の周りで「支援者」と化し、ホスピスの前で警察ともみあい、ワシントンで集会を開き、過激なやからは、夫やその家族を脅迫したりするのだ。
ただし、自力で栄養摂取のできないテリさんを「自然」な状態でおいたからこそ、テリさんは亡くなったのだが。
カトリックの教義においては、通常の医療行為による健康維持は、神の子である人間の、神に対する義務だ(ゆえに自殺は罪)。栄養・水分補給はもちろん、この通常医療の範囲に含まれる。
バチカンはさらに、全脳死を人の死と認め、臓器移植を「愛の行為」と奨励する一方で、人工心肺装置などによる「攻撃的治療」「過度な延命措置」は自然死を妨げるものだと否定してきた。
そしてテリさんは脳死状態ではなく、脳幹も損傷しておらず、心肺機能は続く「遷延性植物状態(PVS)」にあった。バチカンを筆頭とするキリスト教保守にとって、テリさんの延命治療を中止するべき理由などどこにもないわけだ。だからバチカンは、今回の結果を「殺人」と激しく批判している。
(こう書いている最中、ヨハネ・パウロ2世「容体悪化」のニュースが)
バチカンをはじめキリスト教保守にとって、論理は一貫している。
ただ、キリスト教徒でない私には、この論理に何かが欠けているとどうしても思えてしまう。何かへの配慮が、欠けている。それが、本人の自由意志、本人の尊厳という奴なのか(もちろん、それがはっきり確認できないのが、今回の大きな問題なわけだが)。中がほぼ空洞に見えたテリさんの脳内CTを見てしまったせいもあって。そして15年という歳月がとても長く思えるせいもあって。
しかし一方で16年間、昏睡状態にあったニューメキシコ州の女性が99年に意識回復したり、19年間の昏睡から男性が回復したりと、そういうニュースも聞く。昏睡とPVSは医学的に違うということらしいが、結局はこの診断のところで、テリさんの両親と夫は食い違い続けたわけだ。
そして、医療が想定していないことが起きないとは言い切れず。かといって、介護を続ける家族の苦しみもあり。でもテリさんの場合は、肉親は介護を続けたいと希望していたわけで……とグルグル廻ってしまう。
むずかしい……。
前にも書いたが、私はテリさんの医学的状態がどうだったのか判断できないし、テレビで散々放送されてる彼女の映像を見て、母親の抱擁に微笑んだりまばたきしているみたいに見える姿を見て、本当にこの人が回復不能な植物状態にあるのか、すごく戸惑う気持ちがある(連邦議会で民主党議員の多くも、あれの影響されたみたいだ)。それに前にも書いたけど、遺書もなく、尊厳死を求める本人の意思が確実に明示されていない今回のような状態で、延命治療を停止するのが適切なことなのかどうか、納得のいってない部分がある
ちなみに、アメリカで今最も保守的な全国メディア、フォックスTVの世論調査によると、テリさんの栄養チューブを外したことは「慈悲の行為」だったと答えた人は54%。「殺人」と答えた人は29%だった。調査は、テリさんが亡くなる前のもの。さらに3月1~2日の調査では、自分が彼女の後見人だったらチューブを外すと答えた人が59%、外さないと答えた人が24%だった)。
・保守派の深刻な自己矛盾
これは、アメリカ在住の知り合いに指摘されて、なるほどと思ったこと。ブッシュが再選を果たした理由のひとつは、同性結婚を否定し、「結婚」という社会の根本的制度の神聖性を強調したから。民主党候補のケリーが同性結婚も認めかねない勢いだったせいで、ブッシュは嫌いだけどいくらなんでもケリーはリベラルすぎると拒絶したたくさんの票が、ブッシュに流れたと見られている。
かくのごとく、ブッシュは「結婚の不可侵性 (sanctity of marriage)」を掲げて当選した。
なのに今回、ブッシュ陣営は「生命とはなんぞや」の保守的価値観に固執するあまり、この大切な大切な「結婚の不可侵性」を否定してしまった。つまり、テリさんの法定後見人である夫マイケル・シャイボさんの意志を完全に否定した。
否定した挙句の、立法府による司法への介入。連邦政府による個人生活への介入。
この強烈な自己矛盾に、保守層は戸惑っているみたいだ。保守の牙城フォックスTVの世論調査でも、3月31日時点でブッシュ支持率は今年に入って最低の49%まで落ちた(3月上旬は52%だった)。
・訴訟社会ここに極まれり
最後の数日間の、両親サイドからの矢継ぎ早の提訴は、ちょっと異様な感じがした。日本人の感覚からしたら、州レベルの裁判所で地裁、高裁、最高裁と3回チャンスがあって、さらに連邦レベルで3回チャンスがあるだけでも多いのに、州で3回やって退けられ、連邦で最高裁までいっても却下されたら、また州に戻ったり、連邦に戻ったり。
延命を求めた両親と、尊厳死を主張した法定後見人の夫との間の法廷闘争は7年間続き、そしてこの7年間、アメリカの司法は両親の訴えを退け続けた。つまり、司法は「法定後見人」という夫の立場をあくまでも尊重したということ。
ここに政治が肉親の情と生命尊重を掲げて何度も何度も横やりを入れようとしたが、司法はつっぱねた。
連邦議会が延命を求める法案を通して、連邦裁判所の判断を仰いだとき、私は実は、連邦最高裁まで行けばもしかして、ブッシュ政権の希望するとおり、延命を認めるかな?と思っていた。現在の最高裁は判事9人中7人が共和党政権による指名の、きわめて保守的な法廷だから。しかしさしもの最高裁も、やはり「法定後見人」を無視しなかったし、最高裁は個人生活の問題について判断する場ではないという立場を貫いた。
司法としては、当然のことだと思う。これでレンキスト長官以下が、ブッシュ政権の意のままに動いていたら、もうあの国の三権分立などグダグダになっていただろう。
連邦議員の中には、大統領と議会をバカにした判事など弾劾してやると息巻いてる奴(テキサス選出のトム・デレイ下院議員、もちろん共和党)もいるけど、こういう人には中学校へ戻って公民の授業を受け直して来いと言ってやりたい気分だ。
そもそもこれは、司法が、そして立法が、介入すべき問題じゃなかったのだし。
どういう場合に尊厳死を認めるのか、その要件がきちんと規定されていなかったのが、今回の混乱を招いた一因。それは立法の怠慢だったわけで、それを反省こそすれ、司法を批判するのはお門違いもいいことだ。
そしてつくづく思う。お気の毒なのはテリさんの肉親だ。中絶反対派の圧力団体と、中絶反対派が雇った弁護団に囲まれて、「まだ手はある。まだ訴えられる。まだ法廷で逆転できる」と唆され続けたのではないかと思うと、本当にお気の毒でならない。
・それは愛なのか、それとも
素朴な疑問。なぜ夫マイケル・シャイボさんは、テリ・シャイボさんの夫&法定後見人であり続けているのか。
愛する妻の意志を実現させてやりたい。望まない状態での延命を止めさせたい。──と、純粋にこれだけなら、それは愛だ。あらゆる中傷をも乗り越えていく、それはそれは強い、愛だ。
まして彼はすでに、97年からつきあっている別の女性との間に子供2人をもうけて、新しい家庭を作っている。この女性と結婚できない状態を続け、テリさんとの結婚関係を続け、それがあくまでも、彼女の尊厳死の希望をかなえるためだったとしたら、それは本当に深い愛だ。
テリさんの両親サイドは、全て金のため、と断言しているけど。
夫サイドと両親サイドの軋轢については、3月26日付のニューヨーク・タイムズの記事「Behind Life-and-Death Fight, a Rift That Began Years Ago」が詳しい。
テリさんへの医療過誤(彼女が倒れる前に不妊治療を担当していた産科医、心臓発作の原因とされるカリウム異常を見落とした責任を問われた)が1993年に認定されて、その賠償として約100万ドルがテリさんの治療費として支払われたのだそうな。そしてこの金の行き先が、夫サイドと両親サイドの亀裂を決定的にした。
両親サイドによると、夫マイケルさんはこの金を勝手に使った(マイケルさん側は、金はあくまでも介護治療に使ったと主張している)。さらに賠償金の残額が全部テリさんの遺産として自分のものになることを目的に、98年に栄養補給停止を提案したと、両親サイド。
このときのマイケルさんからの提案は、栄養補給の停止を認めるなら賠償金の残額は全部、慈善団体に寄付するというもの。娘の回復を信じる両親はこれを拒否。これが、両サイドの長い法廷闘争の始まりだった。
さらに両親サイドによると、テリさんが尊厳死を望んでいたと、マイケルさんが主張し始めたのは、その後2人の子供をもうける女性と付き合い始めた97年だった。これによって、不信感は決定的になったのだとか。
一方で 愛の裏に、金が見え隠れするとどうしても思えてしまうのだけど、真相はわからない。
そしてシンドラー夫妻はさらに、そもそもテリさんが倒れたのも夫のせいだと非難。テリさんが倒れるまで夫婦仲は悪く、彼女は急激にやせ細り(身長160センチの彼女は、高校時代に体重90キロだったのが、25歳で倒れた時は50キロに減っていた。この体重減は摂食障害によるもので、これによるカリウムのバランス異常が、彼女の心臓発作の原因だったのではないかと言われている)、夫に暴力を受けていた可能性もあると主張している。そしてこんな風に批判された夫シャイボさん側は、「そんなことを言われる筋合いはない」と猛反撃に出ていた。
両サイドの対立はもう、金のためだとかテリさんの幸せだとか我の張り合いだとか、ひとつのことでは説明し切れない、もつれにもつれきった悪感情によるもののようだ。だとしたら益々、そんなところに連邦政府と議会が介入してしまった、そのていたらくに、アメリカはとことん我が身を振り返る必要がある。
・アメリカはそもそも、宗教的に極端なほど真面目な人たちが作った国
カトリックの腐敗を批判したのがプロテスタントで、そのプロテスタント(といっても英国教会はカトリックと似たようなものだが)の腐敗を批判したのが、清教徒。
その人たちが作ったのが、アメリカ。
そしてそれから200年以上たった今も。ヨーロッパのカトリックはもうちょっとくだけてるぜって思うほど、ブッシュ一族を中心とするプレスビタリアンな人たち、バイブルベルト(アメリカ南部や中西部)を地盤とするキリスト教原理主義な人たちの、死生観は保守的だ。そして、ローマ法王庁のそれと、そっくり一致している。つまり、シャイボさん死去を受けてバチカンがただちに発表したコメントにあったように、彼らにとって人間の命とは「受胎から自然死まで」を意味するものだ。
だからこそ、中絶=殺人、尊厳死=殺人、ヒト胚性幹細胞(ES細胞)の研究=殺人──なのだ。殺人が日常的に行われているのをみすみす見過ごすのは、市民としての道義的義務に反する。だから中絶反対派は中絶クリニックを爆破しにいくのだ。
そして、テリさんを死なせるなと、両親の周りで「支援者」と化し、ホスピスの前で警察ともみあい、ワシントンで集会を開き、過激なやからは、夫やその家族を脅迫したりするのだ。
ただし、自力で栄養摂取のできないテリさんを「自然」な状態でおいたからこそ、テリさんは亡くなったのだが。
カトリックの教義においては、通常の医療行為による健康維持は、神の子である人間の、神に対する義務だ(ゆえに自殺は罪)。栄養・水分補給はもちろん、この通常医療の範囲に含まれる。
バチカンはさらに、全脳死を人の死と認め、臓器移植を「愛の行為」と奨励する一方で、人工心肺装置などによる「攻撃的治療」「過度な延命措置」は自然死を妨げるものだと否定してきた。
そしてテリさんは脳死状態ではなく、脳幹も損傷しておらず、心肺機能は続く「遷延性植物状態(PVS)」にあった。バチカンを筆頭とするキリスト教保守にとって、テリさんの延命治療を中止するべき理由などどこにもないわけだ。だからバチカンは、今回の結果を「殺人」と激しく批判している。
(こう書いている最中、ヨハネ・パウロ2世「容体悪化」のニュースが)
バチカンをはじめキリスト教保守にとって、論理は一貫している。
ただ、キリスト教徒でない私には、この論理に何かが欠けているとどうしても思えてしまう。何かへの配慮が、欠けている。それが、本人の自由意志、本人の尊厳という奴なのか(もちろん、それがはっきり確認できないのが、今回の大きな問題なわけだが)。中がほぼ空洞に見えたテリさんの脳内CTを見てしまったせいもあって。そして15年という歳月がとても長く思えるせいもあって。
しかし一方で16年間、昏睡状態にあったニューメキシコ州の女性が99年に意識回復したり、19年間の昏睡から男性が回復したりと、そういうニュースも聞く。昏睡とPVSは医学的に違うということらしいが、結局はこの診断のところで、テリさんの両親と夫は食い違い続けたわけだ。
そして、医療が想定していないことが起きないとは言い切れず。かといって、介護を続ける家族の苦しみもあり。でもテリさんの場合は、肉親は介護を続けたいと希望していたわけで……とグルグル廻ってしまう。
むずかしい……。
前にも書いたが、私はテリさんの医学的状態がどうだったのか判断できないし、テレビで散々放送されてる彼女の映像を見て、母親の抱擁に微笑んだりまばたきしているみたいに見える姿を見て、本当にこの人が回復不能な植物状態にあるのか、すごく戸惑う気持ちがある(連邦議会で民主党議員の多くも、あれの影響されたみたいだ)。それに前にも書いたけど、遺書もなく、尊厳死を求める本人の意思が確実に明示されていない今回のような状態で、延命治療を停止するのが適切なことなのかどうか、納得のいってない部分がある
ちなみに、アメリカで今最も保守的な全国メディア、フォックスTVの世論調査によると、テリさんの栄養チューブを外したことは「慈悲の行為」だったと答えた人は54%。「殺人」と答えた人は29%だった。調査は、テリさんが亡くなる前のもの。さらに3月1~2日の調査では、自分が彼女の後見人だったらチューブを外すと答えた人が59%、外さないと答えた人が24%だった)。
・保守派の深刻な自己矛盾
これは、アメリカ在住の知り合いに指摘されて、なるほどと思ったこと。ブッシュが再選を果たした理由のひとつは、同性結婚を否定し、「結婚」という社会の根本的制度の神聖性を強調したから。民主党候補のケリーが同性結婚も認めかねない勢いだったせいで、ブッシュは嫌いだけどいくらなんでもケリーはリベラルすぎると拒絶したたくさんの票が、ブッシュに流れたと見られている。
かくのごとく、ブッシュは「結婚の不可侵性 (sanctity of marriage)」を掲げて当選した。
なのに今回、ブッシュ陣営は「生命とはなんぞや」の保守的価値観に固執するあまり、この大切な大切な「結婚の不可侵性」を否定してしまった。つまり、テリさんの法定後見人である夫マイケル・シャイボさんの意志を完全に否定した。
否定した挙句の、立法府による司法への介入。連邦政府による個人生活への介入。
この強烈な自己矛盾に、保守層は戸惑っているみたいだ。保守の牙城フォックスTVの世論調査でも、3月31日時点でブッシュ支持率は今年に入って最低の49%まで落ちた(3月上旬は52%だった)。
・訴訟社会ここに極まれり
最後の数日間の、両親サイドからの矢継ぎ早の提訴は、ちょっと異様な感じがした。日本人の感覚からしたら、州レベルの裁判所で地裁、高裁、最高裁と3回チャンスがあって、さらに連邦レベルで3回チャンスがあるだけでも多いのに、州で3回やって退けられ、連邦で最高裁までいっても却下されたら、また州に戻ったり、連邦に戻ったり。
延命を求めた両親と、尊厳死を主張した法定後見人の夫との間の法廷闘争は7年間続き、そしてこの7年間、アメリカの司法は両親の訴えを退け続けた。つまり、司法は「法定後見人」という夫の立場をあくまでも尊重したということ。
ここに政治が肉親の情と生命尊重を掲げて何度も何度も横やりを入れようとしたが、司法はつっぱねた。
連邦議会が延命を求める法案を通して、連邦裁判所の判断を仰いだとき、私は実は、連邦最高裁まで行けばもしかして、ブッシュ政権の希望するとおり、延命を認めるかな?と思っていた。現在の最高裁は判事9人中7人が共和党政権による指名の、きわめて保守的な法廷だから。しかしさしもの最高裁も、やはり「法定後見人」を無視しなかったし、最高裁は個人生活の問題について判断する場ではないという立場を貫いた。
司法としては、当然のことだと思う。これでレンキスト長官以下が、ブッシュ政権の意のままに動いていたら、もうあの国の三権分立などグダグダになっていただろう。
連邦議員の中には、大統領と議会をバカにした判事など弾劾してやると息巻いてる奴(テキサス選出のトム・デレイ下院議員、もちろん共和党)もいるけど、こういう人には中学校へ戻って公民の授業を受け直して来いと言ってやりたい気分だ。
そもそもこれは、司法が、そして立法が、介入すべき問題じゃなかったのだし。
どういう場合に尊厳死を認めるのか、その要件がきちんと規定されていなかったのが、今回の混乱を招いた一因。それは立法の怠慢だったわけで、それを反省こそすれ、司法を批判するのはお門違いもいいことだ。
そしてつくづく思う。お気の毒なのはテリさんの肉親だ。中絶反対派の圧力団体と、中絶反対派が雇った弁護団に囲まれて、「まだ手はある。まだ訴えられる。まだ法廷で逆転できる」と唆され続けたのではないかと思うと、本当にお気の毒でならない。
・それは愛なのか、それとも
素朴な疑問。なぜ夫マイケル・シャイボさんは、テリ・シャイボさんの夫&法定後見人であり続けているのか。
愛する妻の意志を実現させてやりたい。望まない状態での延命を止めさせたい。──と、純粋にこれだけなら、それは愛だ。あらゆる中傷をも乗り越えていく、それはそれは強い、愛だ。
まして彼はすでに、97年からつきあっている別の女性との間に子供2人をもうけて、新しい家庭を作っている。この女性と結婚できない状態を続け、テリさんとの結婚関係を続け、それがあくまでも、彼女の尊厳死の希望をかなえるためだったとしたら、それは本当に深い愛だ。
テリさんの両親サイドは、全て金のため、と断言しているけど。
夫サイドと両親サイドの軋轢については、3月26日付のニューヨーク・タイムズの記事「Behind Life-and-Death Fight, a Rift That Began Years Ago」が詳しい。
テリさんへの医療過誤(彼女が倒れる前に不妊治療を担当していた産科医、心臓発作の原因とされるカリウム異常を見落とした責任を問われた)が1993年に認定されて、その賠償として約100万ドルがテリさんの治療費として支払われたのだそうな。そしてこの金の行き先が、夫サイドと両親サイドの亀裂を決定的にした。
両親サイドによると、夫マイケルさんはこの金を勝手に使った(マイケルさん側は、金はあくまでも介護治療に使ったと主張している)。さらに賠償金の残額が全部テリさんの遺産として自分のものになることを目的に、98年に栄養補給停止を提案したと、両親サイド。
このときのマイケルさんからの提案は、栄養補給の停止を認めるなら賠償金の残額は全部、慈善団体に寄付するというもの。娘の回復を信じる両親はこれを拒否。これが、両サイドの長い法廷闘争の始まりだった。
さらに両親サイドによると、テリさんが尊厳死を望んでいたと、マイケルさんが主張し始めたのは、その後2人の子供をもうける女性と付き合い始めた97年だった。これによって、不信感は決定的になったのだとか。
一方で 愛の裏に、金が見え隠れするとどうしても思えてしまうのだけど、真相はわからない。
そしてシンドラー夫妻はさらに、そもそもテリさんが倒れたのも夫のせいだと非難。テリさんが倒れるまで夫婦仲は悪く、彼女は急激にやせ細り(身長160センチの彼女は、高校時代に体重90キロだったのが、25歳で倒れた時は50キロに減っていた。この体重減は摂食障害によるもので、これによるカリウムのバランス異常が、彼女の心臓発作の原因だったのではないかと言われている)、夫に暴力を受けていた可能性もあると主張している。そしてこんな風に批判された夫シャイボさん側は、「そんなことを言われる筋合いはない」と猛反撃に出ていた。
両サイドの対立はもう、金のためだとかテリさんの幸せだとか我の張り合いだとか、ひとつのことでは説明し切れない、もつれにもつれきった悪感情によるもののようだ。だとしたら益々、そんなところに連邦政府と議会が介入してしまった、そのていたらくに、アメリカはとことん我が身を振り返る必要がある。