「クソタレ青春!」
と、授業中叫ぶ先生が私の中学校にいた。
その先生はでぶっとした初老の数学教師で、私は中学の一年から三年までその先生に数学を教わった。
その先生はS先生というのだが、数学教師のくせになぜか生徒に自分のことを「Sティーチャー」と呼ばせていた。
だが、はしが転がっても面白い年頃の私たちにはそれが受けていた。
余談だが、英語がさっぱりだった私は「ティーチャー」の意味がよく分からず、始めの1ヶ月くらい「Sピーちゃん」と呼んでいた。
このSティーチャーは誰かが問題を正解したりすると、
「その通り!クソタレ青春!」
などといって盛り上げてくれたのだった。
この「クソタレ青春」も、周りから見れば何をいっているのかよく分からないが、他にも「青春小僧!」や「やっちゃえ青春!」のように多くのバリエーションがあり、Sティーチャー語録として一時はブームにもなったのだった。
しかし、みなさんにも覚えがあると思うが、中学校以降の数学は学年ごとに加速度的に難しくなっていく。
Sティーチャーの授業も年が上がるごとに日に日に難しくなっていき、それに伴い宿題の量も増えていった。
私は中学校時代、数学は得意な方だったが、それでもSティーチャーの授業と宿題にはうんざりした。
そのころからSティーチャーも私たちも授業に対して、少し疲れてしまっていたのだと思う。
Sティーチャーはあまり青春語録を言わなくなった。
そしてその代わりによく怒るようになった。
まあ、怒るといっても問題が分からない生徒に対して普通にいうだけで、ヒステリックなわけでもなく、酷すぎることをいうわけでもなかった。
しかし、やはり生徒内からは不満は出た。
やがてSティーチャーのことをキライだという人が少しずつ増えていった。
私はといえば問題が解けていた分、周りのみんなよりは余裕があったため、毛嫌いするほどでもなかった。
ただ、さすがに青春語録と宿題ばかりの授業には飽きていた。
部活、マンガ、ゲーム、カンケリ、etc…。
当時の私たちには他にまだまだ楽しいことがたくさんあり、つまらないことにまで頭を使う余裕はなかったのだ。
そのため、どんよりと暗い雰囲気を抜け出せないまま、三年間の数学の授業は終わっていった。
私達の卒業後、Sティーチャーは私達と一緒に中学校を去り、近くの高校に赴任した。
その高校に行った同級生に話をきくと、Sティーチャーの授業は淡々としたものらしかった。
高校で私達が中学一年のときのような雰囲気を作るのは、だれがやっても無理な気がした。
いつだったか、その高校の前を通ったとき、校門前を掃除しているSティーチャーを見かけた。
でっぷりしていたのにその背中はやけに小さく見えた。
Sティーチャーとは別段仲良くもなかったし、授業も宿題の思い出しかなかったので恩師という感じもしない。
しかし、門前を掃き掃除するSティーチャーを見たとき、私はなんだかすごく寂しい気分になった。
そんなSティーチャーのことを今でも思い出すのは、現在自分で働く年になり、当時のSティーチャーの気持ちが少しは分かる気がするからだ。
当時の私達は怒ったり宿題をだすSティーチャーに対して、「なんでこんなことするんだろう?」と、憤りと疑問を感じていた。
大人のくせに、先生のくせにと思っていた。
きっとあの頃のSティーチャーはがんばっていたのだと思う。
私達と楽しく授業をしたかったのだと思う。
それがうまくいかなくて悲しかったんだと思う。
クソタレ青春は私達だけの言葉じゃなくて、Sティーチャーと私達みんなの青春のことだったのだ。
それが、今ならなんとなく分かる気がするのだ。
クソタレ青春!
クソっタレだけど悪くない青春だ。
不細工だけどちゃんと記憶に残る青春だ。
Sティーチャー、ありがとう。
卒業してからもう何年も経つけど、だいぶ遅れちゃったけど、ありがとう。
クソタレ青春!
まだまだ青春!
と、授業中叫ぶ先生が私の中学校にいた。
その先生はでぶっとした初老の数学教師で、私は中学の一年から三年までその先生に数学を教わった。
その先生はS先生というのだが、数学教師のくせになぜか生徒に自分のことを「Sティーチャー」と呼ばせていた。
だが、はしが転がっても面白い年頃の私たちにはそれが受けていた。
余談だが、英語がさっぱりだった私は「ティーチャー」の意味がよく分からず、始めの1ヶ月くらい「Sピーちゃん」と呼んでいた。
このSティーチャーは誰かが問題を正解したりすると、
「その通り!クソタレ青春!」
などといって盛り上げてくれたのだった。
この「クソタレ青春」も、周りから見れば何をいっているのかよく分からないが、他にも「青春小僧!」や「やっちゃえ青春!」のように多くのバリエーションがあり、Sティーチャー語録として一時はブームにもなったのだった。
しかし、みなさんにも覚えがあると思うが、中学校以降の数学は学年ごとに加速度的に難しくなっていく。
Sティーチャーの授業も年が上がるごとに日に日に難しくなっていき、それに伴い宿題の量も増えていった。
私は中学校時代、数学は得意な方だったが、それでもSティーチャーの授業と宿題にはうんざりした。
そのころからSティーチャーも私たちも授業に対して、少し疲れてしまっていたのだと思う。
Sティーチャーはあまり青春語録を言わなくなった。
そしてその代わりによく怒るようになった。
まあ、怒るといっても問題が分からない生徒に対して普通にいうだけで、ヒステリックなわけでもなく、酷すぎることをいうわけでもなかった。
しかし、やはり生徒内からは不満は出た。
やがてSティーチャーのことをキライだという人が少しずつ増えていった。
私はといえば問題が解けていた分、周りのみんなよりは余裕があったため、毛嫌いするほどでもなかった。
ただ、さすがに青春語録と宿題ばかりの授業には飽きていた。
部活、マンガ、ゲーム、カンケリ、etc…。
当時の私たちには他にまだまだ楽しいことがたくさんあり、つまらないことにまで頭を使う余裕はなかったのだ。
そのため、どんよりと暗い雰囲気を抜け出せないまま、三年間の数学の授業は終わっていった。
私達の卒業後、Sティーチャーは私達と一緒に中学校を去り、近くの高校に赴任した。
その高校に行った同級生に話をきくと、Sティーチャーの授業は淡々としたものらしかった。
高校で私達が中学一年のときのような雰囲気を作るのは、だれがやっても無理な気がした。
いつだったか、その高校の前を通ったとき、校門前を掃除しているSティーチャーを見かけた。
でっぷりしていたのにその背中はやけに小さく見えた。
Sティーチャーとは別段仲良くもなかったし、授業も宿題の思い出しかなかったので恩師という感じもしない。
しかし、門前を掃き掃除するSティーチャーを見たとき、私はなんだかすごく寂しい気分になった。
そんなSティーチャーのことを今でも思い出すのは、現在自分で働く年になり、当時のSティーチャーの気持ちが少しは分かる気がするからだ。
当時の私達は怒ったり宿題をだすSティーチャーに対して、「なんでこんなことするんだろう?」と、憤りと疑問を感じていた。
大人のくせに、先生のくせにと思っていた。
きっとあの頃のSティーチャーはがんばっていたのだと思う。
私達と楽しく授業をしたかったのだと思う。
それがうまくいかなくて悲しかったんだと思う。
クソタレ青春は私達だけの言葉じゃなくて、Sティーチャーと私達みんなの青春のことだったのだ。
それが、今ならなんとなく分かる気がするのだ。
クソタレ青春!
クソっタレだけど悪くない青春だ。
不細工だけどちゃんと記憶に残る青春だ。
Sティーチャー、ありがとう。
卒業してからもう何年も経つけど、だいぶ遅れちゃったけど、ありがとう。
クソタレ青春!
まだまだ青春!