美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

御城番屋敷(松阪)

2010-11-25 19:40:58 | 三重のこと


松阪市殿町、松坂城址の裏門を出たところにある
当時の中級武士の住居で「御城番屋敷(ごじょうばんやしき)」です。

現在19棟が保存されており、
そのうち一番北側の棟が一般公開されています(無料)。



田の字に4つの間があります。
画像の奥が表の通り(上の画像の通り)で、手前が裏庭です。
この家に住めたのは、中級の武士、
つまり使用人を何人も置くほど裕福でもないが、
藩の中では相応の地位があった武士ということで、
簡素な造りながらも、座敷などに品格があります。



裏庭です。思ったよりも広いです。
テレビの時代劇のように、
お父さんと息子が庭で剣術の練習とか、やっていたのかもしれませんね。



松坂城址裏門を出たところ、御城番屋敷の入口で
地元のボランティアの皆さんが、
無料で「茶屋」のサービスをしていました。

私が行った時(午後2時半ごろ)には、ちょうど片づけ始めていたのですが、
「まだお茶は残っとるで、休んでってちょうだい」と言っていただき
お茶をご馳走になりました。

資料:
松阪御城番、40石取りの紀州藩士20人とその家族が住んだ組屋敷で、文久3年(1863)に建築された。主屋2棟・前庭・畑・南竜神社・土蔵よりなり、周囲に槇垣が巡る。この内主屋2棟は重要文化財、土蔵は県指定文化財(建造物)である。当初20戸であったが、明治35年、松阪工業高校創立時、主屋西棟の北端2戸が仮教室として使用されて後、1戸が切り詰められて現在は東棟10戸、西棟9戸である。1戸あたり、正面5間、奥行5間、裏に幅1間の角屋が付く広さをもち、右手に通り土間、左手に田の字型に8畳2間、6畳2間を配し、式台を構える。
 屋敷は今も子孫の方が維持管理し、整然と住まわれている。全国的に現存例の少ない武士の組屋敷であり、小路を挟んで2棟からなる構成も他に例を見ない。なお、松阪市は1戸分を借用して復元整備した上、平成2年4月より一般公開している。

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