彼は売れない画家だった。
展覧会でも入選がぎりぎり、それだって良いほうで、ほとんどかすりもせず、搬入先から送り返されてくることのほうがほとんどだった。表には「〇〇先生様」などと、さも有名な先生のように宛名が書かれてあるのが滑稽だ。
だが、彼はまさに先生ではあった。学校の美術教師だったのだから。
教師をやらなければ、絵を描く事など出来なかった。絵だけで食べていきたいが、それはもう、永遠に無理だとわかっていた。出すたびに入選したのは、学生のころだけだ。
糧を求める教師という仕事も、向いていなかった。
自分だって、日々どのように絵を描けばいいのか分からないのに、子供たちに教えるなど、おこがましいと思っていた。美術の歴史に重点を置こうにも、子供たちはみんな興味がなく、授業中寝てしまうのだ。
仕方がないから、毎回適当に絵を描かせ、点数をみんな満点にしてやったら、教頭に叱られてしまった。
それでも10年もやってれば、自分なりのマニアルが出来てきて、それをこなせば、一年何とかやり過ごすことが出来た。
個展は毎年はできない。会場費も馬鹿にならないし、バックにいてくれる画廊がなかったのだ。
名を上げた美術学校時代の友人が、「おれなんか〇〇画廊にせっつかれて描いてるよ。画廊に1000万は借金があるんだ、描かないわけには行かないよ。こんどニューヨークにデッサン旅行に行かなくちゃならない。大変なんだ。」と、ちっとも大変そうじゃなく、むしろ自慢げに話すのを、うらやましく思ったのも、若い時だけで、最近は真に「たいへんだなぁ」と、同情してしまう。借金を返済するために、好きでもないテーマを画廊の言いなりに描かせられたら、そっちのほうが絵描きとしては辛いに違いないと思うからだ。
彼は、休みになると、近場をスケッチして歩いた。
千葉に来た。たまには、朝日が海に上がるその時を描いてみようと思ったのだ。
岩肌にはじける波、刻々と変わるその自然の映像をイメージとして捕らえ、キャンバスにデッサンしていく。地球の大きさが水平線に感じられ、しばしば手が停まった。8号になど収まりゃしない。
私は休みを利用して、海を見たいと思ったの。カウントダウンも仕事の手を休めることが出来ないほど忙しかったしね。2時になってやっと開放された、夜中のよ。ふ~仕事って何でも大変ね。駅には初詣しようとでも言うのか、昼間のように人で溢れている。いつものことよね。
そうだ、ご来光を見に行こう。なんだか一人でいってみたい気がしたのよ。どうせ、友達は、もう予定を決めて動いているだろうしね。
ワインと、チーズとフランスパンとベルギーソーセージを持っていくことにした。ポットに珈琲も忘れないわ。海で食べるのは、格別だものね。電車で2時間も東へ行けば、もう都会とは別世界。私は早速海辺へ向かったの。
防波堤のそばで、絵を描いている人がいた。
私も、描きたいなぁ。でも、時間がないしね。と、さも描かないのは時間のせいだといわんばかりだけど、実際は、描きたくとも、絵心が湧き出てこない。
その日曜画家に近づいてみると、どこかで見たような気がしてきたの。
「あ、先生!」 なんとね~学校のときの、美術の先生だと気がついたのよ。
私は、つい大声を出しちゃったわ。「先生、私です!〇〇です。」ってね。
先生は、相変わらず静かな雰囲気で、「おお、これは懐かしいね。元気だった?」
と、聞いてくださった。暫く、学校の時の話などをしたわ。もっとも先生は、とっくに別の学校に変っていたけれどね。
「そういえば、君はとても良い絵を描いていたじゃないか。確か〇〇展で、賞もとったよね。描いているかい?」
「いいえ、アレはまぐれでしたから。私は自分の実力を知っています。」
「そうか、僕も自分の実力を自分で認めていたら、もっと楽しく絵がかけていたかもしれないな」
先生は、そう言って笑った。
「だが、君の絵はとても良かったよ。僕だって教師をしながら絵を描いているんだ、君も、どんな仕事をしても、絵を描くことをやめないでくれたら、嬉しいな。」
きゃ。なんだろうね、人間って褒められると嬉しいものね。それが行動を促す、モチベーションにだってなるのよね。先生が、「どうだい、もうひとつキャンバス持っているよ。君も描いてごらんよ」なんて、言うもんだから、すっかりその気になっちゃったの。先生が、書き方のポイントや色のおき方など、教えてくれたのよ。自然の景色が私のものになったようで、すっごく楽しかったわ。
彼は、夏休みを利用して大作を仕上げ、秋の出品展にだす準備をしていた。それとは別に、ある財団が始めた展来会への出展を求められていた。大学のOBがかかわっていたので、断れなかったのだ。その展覧会は、プロアマはもちろんのこと、派閥も所属団体も関係ないものだった。生徒さんの作品もどうぞ出してください、と言われていた。
学校の生徒の作品を出す準備に追われ、自分の作品が決まっていない。ふと、正月に海に行ったときの作品を思い出した。作品自体は、我ながら気に入ったのだが、作品が小さいこともあるし、モネのルーアン大聖堂のように、時と季節を変えた連作にしたいと思って、暖めていたものだ。だが、それを出すことにした。その時、偶然海で再会し一緒に描いた、昔の生徒の作品も、ついでに出品してやろうと思った。
その展覧会で、彼は入選を果たしたが、なんと財団賞をとったのは、その海で一緒に絵を描いた生徒なのだった。
彼は、嬉しいと同時に、肩の力が心底抜けてしまった、と感じた。
わたしが正月に描いた、海の絵が展覧会で大賞とっちゃって、もう感激!出品してくれていた先生に、感謝よね。すっかり、絵に目覚めちゃって、いまや仕事の休みにはキャンバスもってあっちこっち、旅行して、展覧会に応募しまくってるのよ。いや~始めてみると現実は厳しくてね~やっぱ、あたしって絵心ないのよね。
あのときの作品だって、先生が手取り足取り教えてくださったから描けたようなものだもんね。
でも、趣味としては最高よ。スケッチ旅行なんかにも参加して、絵画友達も出来たわ。
そういえば、先生はあれから、あまり出品していないといってた。なんでも教師の専門的な試験に合格して、教頭になったんだって。びっくり。昔は、あんまり先生っぽくなかったけれどね。
先生は、休日にはボランティアで絵手紙も教えてて、生徒が色んな賞に応募しては入選するらしくて、いまや遠くから、生徒さんが来るらしいわ。わたしも、習いに行こう。先生のアドバイスって、最高だもんね。
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写真:TechnophotoTAKAO テクノフォト高尾
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卒業後は全く関係ない仕事をしてういるようですけど。
ちょっとスケッチなどと言いながら、絵を描ける人が
羨ましいです。
絵筆がだめなので、もっぱらデジカメです。
お嬢様が美大にいらしたのですか?
いいですね。美的感覚が優れていらっしゃるのではないですか?
散輪坊さまはデジカメ?
ええ たくさん素敵な作品をお持ちですものね
また 拝見させてくださいね
今日はいらしてくださってありがとうございます
ようやくブログに辿りつけました。またお話が出来るのは嬉しいことです。
右脳が優れている人はパターン認識が得意のようで私はまるで絵心がなくて、絵を描くのが苦痛でした、
Miruba様は(みえない資質)文、画才などに有り余る才能がおありのようですね、
その先生のように息子も子供の頃から絵に興味があり、時間があると描いていましたが、
外国に留学して美術館で絵を見る度に自分の才能に限界を感じて、描くのは止めてしまいました、しかし好きな絵の世界にと画商をはじめて苦労しています。
お久しぶりですね。
おげんきでしたか?
またよろしくお願いいたします。
この世界恐慌さながらの時代、
画商は大変でしょうね。
画家の方が個展をなさっておっしゃってました。
今年は全然だめですって。
ちょっと我慢しないといけないですね。
シオン様、
まだまだ寒いです。
どうか御体ご自愛くださいね。
いらしてくださって、ありがとう
励みになります。
私の前に、散輪坊さんがいらっしゃいました^^
絵を描かれる方だったのですね
また、ゆっくり伺いますね
自作の写真は?
ま こんな密林の奥ふかくまで 来てくださってありがとう^^
いいえ 絵は見るだけですよ^^
あなたはお描きになるの?