7月の舞台の稽古が始まった。
わたしとしては、意気込み満点の舞台です。
いや、いつもそうなはずなんですけれども、そうだったのだけれども、なんというか、芝居との向き合い方を、変えなければもう続けられないのではないのかと、思っている最中だった。
何がどうしてそうなった、というのはなく、単純に、このままでどうするのか、という問いが昨年、いままでよりも強く生まれた。
体力の問題は、大きい。消耗がやはり相当激しく、それに負けない身体を造り、心身や時間のコントロールをしまくっていたが、その、コントロール自体に疑問を感じるようになった。
無理してしんどくて、それでもやることなのだろうか。そりゃ、やりたい。やりたいけれども、なんだか全部が全部、中途半端に感じられてきた。
そう感じていたところで、職場の環境が激変し、仕事への執着が無くなってしまった。もうここじゃなくて、むしろここじゃない方がいい。
あと、短編小説を我ながら死ぬ気で書き、創作への考え方が大きく変わった。創ることへのこだわりと執念と、決意。ここまであっただろうか。なんかノリとテンションで乗り切ったこと、多かったんじゃないだろうか。
では、ここにきて、何をするのか。
そりゃ、芝居だ。こういう気持ちを持って、芝居を創らなければならない。たぶん、わたし、これまでと違う向き合い方をする。たぶん。
そこへ今回のこの舞台の話があり、嗚呼、と思った。
厄介な部類の演劇を創るチーム。
何をやっているのだろうとは、思う。だけど、やはり、芝居はわたしの人生の多くを占めており、それに対して手を抜くこともあったんだろうと、生活のあれがあるしこれがあるしと。
そう過去の自分を考えると、そっちの方が、何やってるんだと。ただやってるだけで、半端じゃないかと。
ひとつずつ、片付ける、というようなことは、したくないなと。しようとしてはないけれど、結果そうなったものは、ある。あるんだ。
いま、44歳。あと倍生きるかもしれないけれども、この先そうやって片付けるようなやり方は、やりたくねぇ。いや、そうやっていくものもあるだろうが、芝居だけは、それはいけない。そんなスタンスでやるのなら、やめちまった方がいい。こんなめんどくさいこと。
一緒に創る人にも、観る方も迷惑だし失礼だ。
だから、新たな意欲が溢れてくるうちは、やってもいい。と、思ったのです。
これも年とともになくなるだろう。残された時間が、生命としてではなく、芝居にアホになって向き合える時が、そんなに長く続かないのではないかと思う。
とかいって、あと20年くらいあったりすんだろうか。それは分からない。
先は何も分からない。
だけも、いまを大事にしたいと思ったこと、これほどあったかな。
いいんじゃない、そういうの。
傷つくことや不安になること孤独になることは増えそうだけれど、いいんじゃない。
わたし、変わったよ、少し。
変わった。
その変化がどう作用するかは、これから分かってくるんだろうけど。
悪くはならないはずだ。