波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージ傾霖痢術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

アッピアの命日に寄せて〜byアッピア夫&アッピア息子

2014-11-18 22:05:21 | ごあいさつ
☆アッピアの夫です。1年ぶりに帰って来ました。長らくご無沙汰いたしました。

今日がアッピアの命日ですので、さすがにこの日に更新をしないと皆様から見放されるのでないかと思い、更新いたしました。因みに「波乱万丈!男二人のドタバタライフ」は残念ながらまだ実現できておりません。もう少し落ち着いたら・・・と思っているのですが、「落ち着いたらドタバタとは違うやろ!」と一人つっこみを入れております。

早いもので、あれから1年が経ちました。私と息子の1年前のブログには、本当にたくさんの温かい励ましのコメントをいただき、どうも有難うございました。また、更新がないにも関わらず、今でもたくさんの方に訪れていただき、またコメントもいただけることに、言いようのない幸せを感じております。皆様からのコメントは何度も何度も読ませていただき、強く心を打たれました。「アッピア魂」「アッピア精神」・・・皆様に名付けていただいたアッピアの残してくれたものを大事にしていかなければと、私自身も時々訪れては気持ちを新たにしております。

ご報告ですが、11月2日に私の故郷である和歌山にあるお墓にアッピアを納骨すると共に、一周忌法要を行って来ました。私が生まれ育ったのが、和歌山県は高野山の麓にある田舎町で、家のすぐ近くに小高い山そのものが公園になっているところがあります。子供のころは暗くなるまで毎日のように遊んでいたところで、その一番高いところに実父の墓があり、アッピアもそこに眠りにつきました。実は、その墓地のすぐ隣に新しい小学校が出来ていて、今までは学校の名前を気にしたこともなかったのですが、納骨の際に見に行ってみると、何とずいぶん前に別の場所から姿を消していた自分の母校でした。自分の母校が思いもよらぬ場所に復活していたことに感激すると共に、何か深い縁のようなものを感じました。

アッピアは、私の父が他界した後何度かこの場所を訪れています。「私、こんな田舎で眠るのは嫌だな。もっと賑やかな所がいいな!」というようなことを言っていたのを思い出しますが、今はその田舎の緑豊かな静かな場所、そして昼間は子供たちの元気な声が聞こえる場所でゆっくりしながら、「田舎もまんざら悪くはないな!」と言ってくれているような気がします。

納骨の際に少し不思議なことがあったのですが、お坊さんが読経して骨を納めたとたんに、突然息子の具合が悪くなり、お墓の前に横たわるような状態になりました。お坊さんが帰る頃には少し回復しかけていたのですが、まだ顔面は蒼白でした。「まあゆっくり歩いて山を下りようか」とお墓を離れかけていたところに、先に出たお坊さんの車が戻って来ました。「何か忘れ物でもしたかな?」と思っていると、車を降りたお坊さんは「僕ちょっとおいで」と息子をもう一度お墓の前に連れて行き、念仏を唱えながら、息子の背中をポンポンと叩いていました。ほんの数分のことでしたが、「もう大丈夫ですよ」と言いながらお坊さんは帰って行きました。その後すぐに、息子は何事もなかったかのように元気になりました。もしかしたら、あれは縁も所縁もない場所に置いて行かれるアッピアの寂しさ紛れのいたずらだったのでしょうか。

不思議ついでにもう一つ。アッピアが旅立った後の正月のことですが、例年のごとく私の実家がある大阪で過ごしました。元旦に目を覚ました私が初夢でアッピアの夢を見たことを息子に話すと、「俺も見た」と息子が言い、具体的な内容まで話してくれました。私自身は夢の内容をはっきりと覚えていなかったため同じ内容の夢かどうかまでは判りませんが、二人とも初夢がアッピアだったことは間違いないようです。単なる偶然かも知れませんが、アッピアも毎年大阪で正月を迎えることを楽しみにしていたので、一緒に正月を迎えに来たのかも知れませんね。

心理学に「シンクロニシティ」と言う概念があります。「意味ある偶然の一致」や「エネルギーの共鳴現象」とも言われるもので、その人のことを考えていると偶然目の前に現れるとか、まるで導かれるように大切な失くし物が出てくるというようなことですが、そういった概念が本当にあるのかどうかは判りませんし、偶然の出来事に意味を持たせるのはあまり好きではないのですが、このような出来事を通して「姿は見えないけど、アッピアは傍にいるんだな!」と私達家族が思えたらそれでいいのかな、と思っています。

私も父親と母親の二役にもすっかり慣れ、息子の塾の弁当作りなどもそれなりに楽しんでいます。「お父さんって意外と料理がうまいね」と息子に言われ悦に入っていたりすると、「それだったらもっと手伝ってくれたら良かったのに!」と言うアッピアの声が聞こえるような気がします。息子も塾が始まって以来、予定のない日がないと言う位忙しい毎日ですが、学校や塾や習い事の合間には、誰にも邪魔されないつかの間の自由な時間を満喫しているようです。

最近、息子と良く言っているのが、「やっぱりお線香の香りって落ち着くね!」です。息子が学校で嫌なことがあってブツブツ言っていたり、不安に思うことがあったりすると、「じゃあお母さんにお線香でもあげて来な!」・・・この儀式で息子はすっかり落ち着きます。私もお線香をあげることで気持ちが和らぎます。アッピアはしっかり二人の気持ちの支えとなっていますのでご安心ください。

今日の命日は、アッピアの大好物だったモンブランを買って帰り息子と二人で食べました。特に特別なことはない一日ではありますが、「またこれから1年頑張ろう!」そういう気持ちになることがいいのでしょうね。

一周忌も終わって一区切りついたこともあり、また時間を見つけて時々更新しに来ようと思います。アッピアが残してくれたこの温かい交流の場をずっと守っていくためにも・・・
皆様も、これからも時々こちらを訪れていただき、末長く交流していけたら嬉しいです。これから寒さが深まって行きます。お身体を大事にしながら、それぞれの冬を楽しみましょう。我々も去年は冬を楽しむどころではなかったので、今年はしっかり楽しみたいと思います。


★アッピアの息子です。皆様お久しぶりです。

最近、仕事と家事の両立で弱みの現れたお父さんにつけこんでいます。
『お父さん、パソコン使わせて。』とぼくが言います。すると、返事が返って来ません。
次に、僕が『マッサージするから』といいます。そうすると、お父さんは喜んでパソコンの座を僕に譲ります。そんな感じで、毎日過ごしております。

ところで、今年の夏休みに、アッピアのケータイを譲り受けました。音楽、写真など、自由に使えるケータイは、今や僕の命と言っても過言…ですが、アッピアから貰ったケータイはとても性能が良いと感じています。

また登場するかも知れませんが、小学生の世間話に付き合って下さい。

2014年11月18日 アッピア夫&アッピア息子


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応援いただいた皆様への感謝と「アッピアへの感謝状」byアッピア夫&アッピア息子

2013-11-24 18:46:30 | ごあいさつ
☆アッピアの夫です。初めて登場いたします。(しかもこれが最後かも知れません)

これまで応援していただいた皆様に、本日アッピアの葬儀が無事に終わったことのご報告と、感謝を申し上げたく、更新をいたしました。

義弟の話によると、アッピアはブログの更新を断ったようですが、さすがに視力がない中での更新はきついと思ったのでしょう。息子と病院に行くと、「ねえ、お願いがあるんだけど・・・ ブログの代筆と更新をしてくれる?」と聞かれました。「もちろん、いいよ。」と答えたところ、息子が「俺がやる。俺にやらして。」と言い、それを聞いたアッピアは嬉しそうにウンウンとうなづいていました。(今から思うと、家族3人で交わした最後の会話だったかも・・・)

これまでアッピアを応援し続けて頂いた皆様、本人の最後の更新後、励ましや応援のコメントを寄せていただいた皆様、アッピアの闘病に看護師として、また友人としてずっと彼女のそばに寄り添っていただき、多忙な私の代わりにアッピアの訃報コメントをしていただいた助さん、アッピアの遠慮のない議論に忍耐強く付き合い、常に一緒に最善策を考えて頂いた格さん、本当にどうも有難うございました。

アッピアが乳がんを発病してからちょうどまる10年。この10年間は、本人も家族としても決して辛い10年ではありませんでした。この10年は皆様もご存じの通り、病気と闘いながらも、子育てを楽しみ、色々なところに遊びに行き、旅行にも何度も出かけ、子供と一緒に幼稚園生活や小学校生活、ボーイスカウト活動など、生活を楽しんできました。

この10年、毎週のように通院し、何度も入院し、手術も3度行いました。その中で、皆様からのコメント通り、彼女は決してあきらめず、常に最新の薬や治療を勉強し、医師とは対等の立場で議論し、患者会やセミナーなどにもどんどん出かけて情報収集し、そして患者仲間との交流を楽しんでいました。

彼女と生活を共にし、一緒に子育てをしながら、「人間はいかに生きるのか」ということを身を持って教えられたように思います。
そんな彼女の生き方をずっと見てきた息子も、これからの人生を素晴らしいものとするべく生きていってくれることと思います。

親交のあった方々に訃報の連絡をする中で、本当に多くの励ましをいただきました。その中で私の心に一番響いた言葉を紹介いたします。
ボーイスカウト仲間であり、彼女のブログへも頻繁にコメントをいただいていた方からの言葉です。

「○○さんも色々とお疲れ様でした。これからも大変なこといっぱいあると思いますが、○○ちゃんが天国で見張っていると思いますので、頑張ってね!」

私の心に響いたのは、「見張っている」という言葉です。アッピアはこれから私と息子を見守ってくれるだけではなく、良い意味で見張ってくれてもいるんですよね。

「ちゃんと栄養のある食事つくってる?」「そろそろ掃除しないとほこりが溜まってるよ!」「バスタオルはせめて週に2回位は洗濯してね!」・・・

ちょっと怠けていると、そういう言葉が聞こえそうです。この言葉で、「見守ってくれていると甘えている場合ではない。」と、自分に気合いのスイッチが入りました。

最後に、本日の葬儀の出棺時の挨拶を皆様にもお伝えし、感謝の言葉に代えさせて頂きます。

『本日は、ご多忙の中、また遠いところを妻、○○のためにご会葬いただきまして、どうもありがとうございました。

奇しくも○○が乳がんを発病したのが、10年前の同じ11月でした。その後、ちょうどまる10年間病気と闘ってきたことになります。
何度も再発・転移を繰り返す中で、○○は「とにかくあきらめない」「何か対策があるはず」「常に最善の策を考える」という姿勢で臨み、彼女にとっては病気との闘いは仕事そのものでした。

○○のもう一つの目標は、1年でも2年でも長く息子の成長に関わることでした。
当初の目標は息子と幼稚園生活を楽しむこと、その次の目標が小学校生活を楽しむことでした。

その目標も達成し、現在息子は10才、小学校4年生となり、ずいぶん手がかからないようになりました。ここまで息子を成長させてくれたことに心から感謝しています。

息子には、「家のお母さんはいなくなったけど、君の周りにはお母さん代わりの人がたくさんいるよ」と話しています。
これからも○○の代わりに息子の成長を見守って頂けると有難いです。

最後に、○○らしいエピソードをご紹介いたします。

○○が息を引き取った2〜3日後に、南伊豆の弓が浜にあるホテルより、「大人2名と子供1名で(昨日の)23日に宿泊の予約が入っていますので、確認のご連絡をしました」と電話がありました。
私も息子もそのことは全く知らされておらず、ビックリしたのですが、○○は退院をしたら家族3人でゆっくり遊びに行こうと密かに計画をしていたようです。

それは今や実現不可能となってしまいましたが、何か楽しみを用意しておいて、それを目標に頑張ると言う生き方を貫いてきた「○○らしいな」と思いました。

これからは、○○が身を持って教えてくれた「決してあきらめない」生き方と行動力を私と息子の2人でしっかり受け継いでいきたいと思います。

これからも母親代わりとして私達のことを見守り、時々○○のことを思い出して頂けたら幸いです。

本日は本当にどうも有難うございました。』


ブログは残しておきますが、さすがに父子二人の生活を続けていく上で、ブログを更新していく余裕がありませんので、ひとまずこの更新にて最後とさせていただきたいと思います。

いずれ、「波乱万丈 男二人のドタバタライフ!」というタイトルで、日本ブログ村に登場するかも知れませんので、その時はよろしくお願いいたします。

最後にどなたかがコメントにも書いて頂いていましたが、下記にアクセスしていただければアッピアの生の声が下記で聞けますので、アッピアに会いたい方は是非アクセスしてみてください。
今となっては、私と息子にとっても貴重な記録となりました。

http://www.dipex-j.org/bc/30/14/606.html

http://www.dipex-j.org/bc/30/14/607.html

http://www.dipex-j.org/bc/30/14/608.html

http://www.dipex-j.org/bc/30/14/609.html

http://www.dipex-j.org/bc/30/14/610.html

http://www.dipex-j.org/bc/30/14/611.html

http://www.dipex-j.org/bc/30/14/612.html

http://www.dipex-j.org/bc/30/14/613.html

http://www.dipex-j.org/bc/30/14/614.html

http://www.dipex-j.org/bc/30/14/615.html

http://www.dipex-j.org/bc/30/14/616.html

http://www.dipex-j.org/bc/30/14/617.html

http://www.dipex-j.org/bc/30/14/618.html

http://www.dipex-j.org/bc/30/14/619.html

http://www.dipex-j.org/bc/30/14/620.html


本当に長い間アッピアを応援していただき、感謝しております。
また、同じ病気と闘っている皆さんも生活を大切に、皆様がそれぞれ皆様らしい生き方をしていただけることを願っております。


★アッピアの息子です。

おかげ様で、アッピアにとってこのブログは、本人の生きる希望にもなっていたようです。
家庭での、アッピアの様子をお伝えします。

お母さんは、左腕が蜂窩織炎で腫れているにも関わらず、「右手が意志を持ったぞ〜」と、普通の母親にも負けないぐらい、僕の相手をしてくれました。

そんなお母さんも、今年4月に入院し力も弱まった中で、今年の8月に僕との一泊旅行を考え、実現してくれました。他にも、僕が小1の遠足の後、「江の島楽しかったよ!」と言ったら、江の島にも連れて行ってくれるなど、本当に旅行が大好きで、優しく、明るく、面白く、勉強やピアノも熱心に教えてくれる、ウルトラスーパーハイパーママでした。

5か所以上転移したにも関わらず、10年間も頑張ってくれたのは、ギネスだと思います。

ここまで頑張ってくれたお母さんの分も、人生を満喫して、僕の夢[弁護士]をかなえようと思います。
この乳がんブログで、応援コメント、アッピアのことを自分のブログにまで書いてくれた皆さん、本当にありがとうございました。


☆★最後に二人より、このブログを借りてアッピアに感謝状を送ります。

【感謝状】
アッピア殿

あなたは、10年に亘り病気と闘い、子育てをし、生活を楽しみ、家族二人と多くの患者仲間に生きる道標として、多大な貢献をされました。
一緒にアッピアと楽しく過ごしてきた家族として、アッピア夫とアッピア息子より、ここに感謝をいたします。これからも家族二人のこと、患者の仲間達のことを見守って、勇気を与えてください。

2013年11月24日 アッピア夫・アッピア息子より

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アッピアを応援し続けてくださった皆様へ

2013-11-21 22:56:25 | ごあいさつ
はじめまして。
アッピアの実弟です。
これまで,姉のアッピアを励まし,勇気付け,見守って頂いた皆様に深く感謝しています。

姉の最後の入院の様子をお伝えしたくて,義兄の了解を得て書き込みさせて頂きます。
最初にお伝えしたいのは,アッピアは最後まであきらめず治療をやり抜いたという事です。
助さんがおっしゃられていた様に,120%の力で病気と向き合っていたと思います。
当然120%の力を出すためには,家族のサポートがあるからこそ出来た訳で,
今は義兄と甥っ子にも感謝の気持ちでいっぱいです。

常に一緒に居たわけではないので情報は断片的ですが記憶に残っている事を
時系列でまとめてみます。

10月19〜末(母談)
19日に入院し,精密検査を繰り返して数日後には髄膜転移がわかりました。
その頃はすでに両目の視力をほとんど失っており,
介添えがないとベットから下りることも難しくなっていました。
すぐに放射線治療が始まりましたが,同時に吐き気やだるさ,
食欲不振等の副作用と戦う日々も始まったのです。
それでも弱音を吐く事はなく,視力が戻る事を信じて放射線治療と向き合いました。
しかし,治療の効果が劇的に現われるような事は無く,
早く効果が出るといいのにと話していました。

11月1日
夕方に病院に着くと,吐き気が酷く苦しんでいる姿に直撃しました。
食事は1人で摂れないので,可能な限り母が病院を訪ねて介添えをしていました。
その際,母お手製の野菜スープを持参し食べさせていました。
本人はそのスープを食べると元気が出るようでした。
(その後も母は1日おきに野菜スープを運び続けました)
気持ちが悪くても,栄養を摂らないと体力が落ちると言って頑張って食べていました。
病院から自宅に電話し,息子と会話している時はさすがに楽しそうで
一緒に点字を覚えよう,お母さんに教えてねと頼んでいました。
この人の向上心には本当に頭が下がります。
前日の日本シリーズのTV中継は音だけで楽しんだそうですが,
テレビの解説は画面を観ている事が前提の解説なので,
状況が判りにくいとラジオの差し入れを要求されました。
またブログの書き込みが増えている事も伝えました。
コメントを言ってくれれば,私が更新しても良いと持ちかけましたが
復活してから自分で更新する!
と力強い反応だったのでその意思を尊重しました。

11月2日
私の家族と母で病院を訪れました。来てくれた事をとても喜んでくれて
プチパーティーだと言って私の娘にお気に入りのゼリーを振る舞い
自分でもおいしそうに食べていました。
前日要求されたラジオを早速持って行くと,これで別の世界が広がるぞ!と喜んで
早速日本シリーズ第6戦の中継を聞き始めました。
土日は放射線治療が無く,副作用から解放されるので調子は良さそうでした。
目が見えないながらも介添え付きでベットから下りて椅子に座りながらストレッチをするなど
行動は相変わらず前向きです。

11月5〜10日前後(母談)
放射線治療が続くも,副作用だけが目立ち視力の回復や症状の改善は
見られなかったようです。
いつもの野菜スープを食べると元気が出るようでした。
この頃は,治療の効果が見られない事に母も参っていたようで,
先が見えないとぼやいていました。

11月14日(母談)
記憶力が下がったのではないか?と。。。(私は少し前から気付いていましたが)
まず,時間感覚が曖昧になる事です。視力を失った事も大きいですが
今,朝なのか昼なのか夜なのかがわからなくなります。
なので,良く時間を聞くようになりました。
昼の2時だよ!と答えても,5分後に今何時?と・・・
また,話が長くなると途中で何を話しているかがわからなくなり,
ちょっと休憩!と言って話を止めてしまいます。
夕飯はいつもの様にお手製の野菜スープを鳥の唐揚げと一緒においしいと言って食べました。

11月15日(夫談)
急に体力が落ち,ベットから下りるのがやっとです。
トイレに自力で行く事も出来ず。
この辺りから症状が一気に悪い方に進みます。

11月16日(母談)
ベットから下りる事が出来ず,カテーテルが付けられました。
会話もあまり成り立たず,母が病室に居る事も分かっていなかったかもしれないとの事。
本人はベットから下りて椅子に座る事を懇願しているようですが,
それさえ上手く伝えられない状況です。
食事も摂ることができず,心配が深まる。

11月17日(夫談)
薬で半分眠らされている状態。
主治医から,状況が急変する事があり得る事を伝えられ,家族に連絡取れるように
しておく事を告げられる。
苦しそうな感じはない。

11月18日
呼吸が安定しなくなったと,午前3時過ぎに病院から一報あり。
その一報を受けて,病院に駆けつけるも間に合わず午前4時05分に永眠しました。


振り返ると,11月14日からの症状悪化のスピードが速かったと感じます。
というよりも,視覚異常が出てからの進行スピードがすごく速かったのでしょうか。
あまりの急展開についていけない自分が居ましたが,
最後まで波乱万丈の転移ライフだったと思います。

書き慣れていないので,単なる長文でまとまりがない文章ですが
少しでもアッピアの最後をお伝え出来ればと思い書き綴りました。

最後になりましたが,皆さんから頂いた励ましのお言葉にどんなに勇気付けられ
パワーを頂いていたことか,アッピア自身も感謝しておりました。
本当にありがとうございました。


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急展開、今日から入院

2013-10-18 23:36:22 | 診察
病状悪化です。

木曜日にレントゲン撮ったら、肺転移悪化、胸水増加。

息苦しさ感もかなりあり、主治医からはその日の入院を勧められた。

とりあえずその日は帰り、金曜日に準備をし、土曜日(日付上今日)入院します。

精密検査、症状緩和、治療仕切り直し、酸素の使い方、などが入院の目的です。


長い文書けません。とりあえず頑張ってきます。必ずや復活するつもりです。

いっしょにがんばりましょう。



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なかなか復活できない

2013-10-15 16:09:11 | 症状
3連休が終わったと思ったら次は大型台風の到来ですね、週2ぐらいの割合で
日本のどこかはかすめているのでは?本当に台風銀座の日本。

先週木曜日の右目のMRIで一通りの検査は終わりのはず。もう検査は勘弁です。
検査が終わるたびにダウンして、ベッドで休んで帰る、のパターンなんだもの。
検査疲れが続いているので、先週も今週もタキソールはお休みさせてもらっている。
私の体調は3連休も低空飛行でした。特に金曜、土曜はほとんど横になっているしかなく、
日曜、月曜はまだ少しは動けました。

ところで、右目の見え方は日によって違うということがわかってきました。
このままいくと失明では?とか最近少し見えやすくなった?もしかして治って行くのか?
など恐怖とぬか喜びを繰り返していたが、要は安定していない。
見えずらさは日によって違うのです。ますますもって謎です。

吐き気はおそらく胃酸過多によるものだろうけど、食事して2〜3時間してから
ムカムカが始まるのです。
あと、お風呂もだめ。身体を温めて血行がよくなると胃酸も増えちゃうのかな?
だからアロマキャンドルの半身浴もできなくなったし、寒くてもささっとシャワー浴びて
出てこないといけない。これから寒くなる季節なのに、またひとつ大きな楽しみ奪われてしまったよ。
胃酸過多をはやく完治させればいいことなんだけどね。

夜は寝る前にマイスリー5mgを飲んでいますが、3時か4時ごろ息苦しさで起きることが多くなり、
またマイスリー5mgを追加してなるべく息苦しさを感じる時間帯を少なくしようとしています。

私は3連休も完全引きこもり。すぐに元気になった息子は、昨日父さんと映画「そして父になる」を
見に行ってきました。いいなあ、私も行きたかったのにー。帰ってからも2人で感想を言い合っている。
考えさせる見ごたえのある映画のようです。

3連休の夜は、息子が学校からもらってきたピストン式のスポンジ銃で、的当てゲームをやりました。
息子が喜々として変な的を作っていました。私もこの身体と体調で、マジになって狙いましたよ。
スポンジが発射する時は、支えている手が動かないように、息止めたり、末期癌にしてこの集中力!

外出してウインドーショッピングしたりカフェに入ったりしたいなあ。もっと元気になりたい






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