波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージ傾霖痢術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

「料理って奥が深いわ・・・」〜自炊デビューした息子のひと言

2015-03-20 23:45:07 | アッピア亡き後の日常
☆アッピア夫です。今日は息子の学校の卒業式でした。今年は5年生として式に参加しましたが、来年は主役の最終学年。何とも感慨深いものです・・・

ところで、26日からの春休みを前に、今週の火曜日で給食はあえなく終了。毎回のことながら、給食がなくなるとお昼の用意・・・日によっては塾用の夜のお弁当と二つ分を用意しないといけないため、朝が忙しくなるのは当然のことながら、それぞれのメニューを考えたり、そのための食材も忘れずに買っておかないといけないなど、頭も忙しくなります。

去年の春休みは、まだアッピア亡き後の諸々の忙しさも続いていた中で、食事作りなどの疲れも出たのか、仕事でセミナーの講師をやっている最中に気が遠くなってぶっ倒れ、救急車で病院に担ぎ込まれる事態に・・・ブログでもコメントを頂いていましたし、多くの方から「数ヶ月経って少し落ち着いた頃にどっと疲れが出るから気をつけてね。」と言われていましたが、正にその通りとなりました。

火曜日の夜に、「明日のお昼は何を食べたい?」と訊いたところ、息子から「俺、自分で作ってみたい・・・作らせて!」との申し出あり。これまでは、火を使わせることに抵抗があり一人で料理はさせていなかったのですが、「お願いだからやらせて・・・」との強いダメ押しあり。結局、息子にとっては、生まれて初めての自炊に挑戦させることとなりました。火の取り扱いだけはうるさい位に約束をさせ、まずは一緒に作った事があるチャーハンから始めることに・・・

結局、この3日間で息子が自分で作ったのが次のメニュー

<水曜日>チャーハン
<木曜日>肉野菜炒め
<今日>回鍋肉

当然のことながらいずれも無難な炒め料理・・・肉野菜炒めと回鍋肉は全く初めてながら、アッピアが結婚前に使っていた「お料理一年生」「お料理二年生」の本を見ながら、調味はそれさえ加えればOKなもので初挑戦。いずれも本人としては満足のいく出来だったようで、ご満悦・・・私としては、作ったものは食べてなくなっているので、当然その出来の確認しようがないのですが・・・

☆「どう難しかった?」
★「全然・・・俺、料理の楽しさを知ったよ・・・」
☆(・・・ってまだ3回だし・・・)「料理ってやってみると結構楽しいだろ!」
★「俺、春休みのお昼は全部自分で作るよ。」
☆(おお、そう来たか・・・)「じゃあ来週のメニューを一緒に考えようか?」

それから、しばらく「あれを作りたい」「それはちょっと無理だよ」などの話が続き・・・

★「いやあ・・・料理って奥が深いわ!」・・・のひと言
☆(・・・って、だからまだ3回だって・・・)

最後に息子の本音がチラリ・・・

★「料理が出来る男ってもてるんでしょ?」
☆(やっぱりそこだったか・・・)「その通り!今時料理出来ない男は結婚も出来ないからね。」
★「じゃあこれから色々な料理に挑戦してかっこいい男になる。」

まあ目的が何であれ、息子が料理作りの戦力になってくれれば言うことはない。これからお手伝いをさせるためのキーワードは「もてる男」に決定・・・

2015年3月20日 アッピア夫


男二人を応援いただける方、応援クリックをお願いいたします。

にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
コメント (1)

「自由と放任」「個人主義と無関心」〜川崎の事件で考えさせられたこと

2015-03-14 01:48:41 | 最近考えること
☆アッピア夫です。地元の川崎で痛ましい殺害事件が起きましたが、自分自身も10代の子育ての真っただ中にあり、子育てと言う観点から色々と考えさせられました。

最近は、子育てだけではなく、職場、学校、地域、家庭など社会の様々な場所において、「自由」と「個人主義」が蔓延っていると感じますが、その反面、「過敏」「過干渉」なことも目にします。そう言う意味ではいびつに二極化していると言えるのでしょうか?

私が子供の頃は、多くの目で「監視」「干渉」されるのが当たり前の時代でした。生まれ育ったのが小さな田舎町ということもありますが、近所の人から郵便屋さん、新聞・牛乳配達の人(当時、牛乳は配達でした)、商店主、駅員さん、お巡りさんに至るまで、町の人は全員顔見知りと言う世界でしたので、何かあれば、正に池に石を投げた時の波紋のようにあっという間に広まります。

前回、学生の頃によく親が学校に呼び出されたことを書きましたが、決して不良だった訳ではなく、(少し)やんちゃだった程度なのですが、とにかく学校で何かしでかすとすぐに家に通報されました。呼び出されないまでも、学校から帰宅するのを、親が玄関で鬼の形相で待ち構えていることもしょっちゅうでした。

中学生となり彼女が出来始めた頃、こっそり一緒に下校したりなどすると、あっという間に話が駆け巡り、近所の情報通のおばちゃんなどからは「○○ちゃんもいい歳になったものねェ・・・」と意味深に言われ、帰宅すると「誰と帰って来たの?」と親からいきなり質問攻撃を受けるのが常でした。家にいても固定電話しかないので、女の子から電話でもかかって来ようものなら、親は耳が顔と同じ位の大きさになっていましたし、当然話の内容は筒抜け・・・町を歩けば人間監視カメラがうようよと言う状態でした。

昔はそう言う中で子供達が育ちましたので、今や絶滅危惧種になっている「ヤンキー」呼ばわりされた不良グループもいるにはいましたが、それ程大したものではなく、ちょっと格好つけてグレている風だけど、皆いいやつ・・・と言う感じでしたね。それが、今は至るところを監視カメラで監視しなければならず、見かけだけではごく普通の人と危険な人の区別もつかず、子育てを含めた家庭のあり方そのものが「自由」となり、社会全体が「個人主義」になりました。

「自由な子育て」と言うと聞こえが良く、「うちは子供の自由にさせています」「『自分で好きなように生きなさい』と言っています」・・・などと言うことが「理解のあるかっこいい親」と思われているように感じますが、本当にそうでしょうか?「自由」には「責任」が伴います。子供に自由を与える前に、まず或る程度の厳しさの中で責任感と自律心を育てるのが先ではないでしょうか?

最近の風潮として、「褒める子育て」が持て囃されていますが、「褒めるだけの子育て」と勘違いしてしまい、「叱る」ことをしない親が増えているということを耳にします。「叱られる」ことに耐性のない子供が大人になったらどうなるのか?ちょっと恐ろしさを感じます。

また、過干渉で、何でも先回りしてやってしまう親に育てられた子供は、転び方も知らず、親のいないところで突然転んだら手をつくことが分からずに顔面を強打するという笑えない話もあります。また、同じマンションに住む高校生位の女の子がいるのですが、その子は毎朝父親と一緒に家を出て、毎晩母親と一緒に帰宅します。この子の将来は一体どうなるのだろう?と本気で心配してしまいます。

まあそのような過干渉の問題はまた別としても、「自由」と言う名の「放任」と、「個人主義」と言う名の「無関心」により最悪の結果を招いたと言える今回の事件・・・家庭や地域のあまりにも希薄な人間関係と、幾多の兆候に気付いていたはずの誰一人として何の行動も起こさなかったという我関せずの世相・・・もっと地域で繋がりましょうよ。災害が起きてから地域の絆と言うのでは寂しすぎます。

2015年3月14日 アッピア夫


男二人を応援いただける方、応援クリックをお願いいたします。

にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
コメント (1)

「スクールウォーズ」〜荒れる息子の5年2組

2015-03-06 23:45:07 | アッピア亡き後の日常
☆アッピア夫です。校内暴力が吹き荒れた80年代には、それをテーマにした学園ドラマが流行りました。「3年B組金八先生」がその代表ですが、「スクールウォーズ」というドラマもありました。荒廃したある高校で、ラグビーの弱小チームが精神的に鍛えられて強くなって行くと言う物語・・・で、今回はそのドラマの話ではなく、トラブル続出で荒れている息子のクラスの話です。

息子のクラスは思春期や反抗期に突入している生徒が多いのか、同学年の中では一番トラブルの多いクラスとなり、昨年末頃より毎日のように喧嘩やトラブルが起きているということを息子から聞くようになりました。時には5年生の学年主任や他のクラスの先生、時には教頭先生までが入れ替わり立ち替わり関与し、毎日先生と生徒間で話し合いが持たれているようです。「よくもまあこれだけ毎日毎日トラブルが起こるもんだ・・・これじゃあ先生も大変だ・・・」と呆れつつ話を聞いていましたが、ある日家に帰ると、息子の顔に絆創膏が3つ・・・

☆「どうしたの?」
★「喧嘩を止めようとしたらいきなり顔を引っ掻かれた。」
☆「また?・・・」

息子は4年生の時にも、顔に絆創膏を4つも貼って学校から帰って来たことがあった。その時は、絆創膏の下には顔の肉にまで爪が深く喰い込んだ痛々しい傷跡が4つもくっきりと・・・喧嘩した相手に力いっぱい手でわしづかみにされたようでした。今回はその時ほど酷い怪我ではなかったものの、その夜に担任の先生から電話がありました。

T「顔に怪我をさせてしまい申し訳ありません。」
☆「いいえ、どうせ子供同志の喧嘩のことですので・・・」
T「息子さんから、最近の学校の様子を何か聞いていらっしゃいますか?」
☆「毎日のように喧嘩やトラブルが起きていることは聞いています。」
T「息子さん自身は、乱暴なことはしないのですが、友達から何かされると言い返す言葉がきつくて、喧嘩になることがあります。」

そうか・・・本人は「喧嘩を止めようとして」とは言っているものの、どうやら乱暴な相手に容赦ない言葉を浴びせ、それが原因で喧嘩の当事者の一人となっている様子。注意をしながらしばらく様子を見ていたものの、相変わらずの状態が続き、とうとう先生のことまで酷い言葉で批判し始めたため、昨夜はついに私も大噴火・・・

★「今日は、俺ともう一人が先生に呼ばれて話をした。」
☆「何で呼ばれたの?」
★「俺ともう一人が『先生チェンジ!』と叫んだから・・・」
☆「それは、『先生を替えろ』って言うことだよね?何でそんな酷いことを言った?」
★「先生が男子と女子を差別したりするから・・・」
☆「原因が何であれ、それは先生に対して言っていい言葉だと思うか?そうやって友達を挑発し、先生も挑発して、お前は何をいい気になってんだ!あと2週間もすればもう5年生も終わりだろ?そうやって毎日喧嘩や反抗しながら今のクラスを終わらせるのか?このまま行ったら、自分も先生も他の子も誰もいい気持ちで終えられないよ。皆の5年生の思い出が良くないものになったとしたら、お前のせいだぞ!」

昨夜は、久し振りに息子をこっぴどく叱ることとなった。月曜日に学年懇談会などがあり、クラスの終わりも近づいているため、ギリギリのところで何とかしないと・・・「明日先生に謝れ!月曜日に学年懇談会があるから、謝るなら明日しかない。お前にそれが出来ないなら、月曜日にお父さんが先生に頭を下げる。どうするかは自分で考えろ!」

今日、家に帰ると息子から「朝一番で先生に謝った」こと、先生から「謝ってくれて有難う!」と言われたことを聞いた。それをきっかけに息子と先生は色々な話をしたらしい。話の内容はあまり詳しくは聞かなかったが、何となくすっきりしたような息子の顔を見てひとまずはホッとした。

やれやれ・・・解ってはいるけれど、やはり思春期は面白いことばかりでは済まない。ついでに親や先生に相当迷惑をかけた自分の思春期の頃のことまで振り返ることになった・・・何度自分のせいで親が学校に呼びつけられたことか・・・「○○君が騒ぐと授業になりません」と親の前で先生にきつく言われたことは今でも忘れることが出来ない苦い思い出。そんな自分が今は息子に説教している・・・「やはり歴史は繰り返す」・・・まあそんな大袈裟な話でもないか?

2015年3月6日 アッピア夫


男二人を応援いただける方、応援クリックをお願いいたします。

にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
コメント (1)

「同じ気持ちを持ち続け、傍にいる」と言うこと〜『気持ちの共有』の続き

2015-02-27 23:34:05 | 家族として
☆アッピア夫です。主役の欠けた結婚記念日は、私は仕事、息子は塾で二人とも帰りが遅く、結局ケーキだけ食べて終わりました。前回、アッピアが求めていたと思われる『気持ちの共有』のことを書きましたが、これについてはまだまだ書き足りないことがありますので、今回は少しその続きを書きたいと思います。

まず、病気になってからのアッピアの気持ちと私の気持ちの変化ですが、初発と再発に分けると概ね以下のような過程を辿ったように思います。

<初発>【アッピア】否認→不安→もがき・苦しみ→抑うつ・不安定→受容→模索→再発の覚悟
       【私】不安→受容→模索→楽観

<再発>【アッピア】受容→不安→抑うつ・不安定→模索→抑うつ・不安定→模索→覚悟と挑戦
       【私】不安→受容→模索→覚悟

このように並べてみるとお互いの気持ちが微妙にずれて変化していくことが分かります。家族としての気持ちの変化はシンプルですが、アッピアの気持ちの変化は当然のごとく複雑です。敢えてこのように書いてみると、お互いの心の状態が微妙に異なる中で気持ちを共有していくことの難しさが見えてきますね。

最初に診断結果を告げられた日、病院から駅まで二人で歩きながら何も話せなかったことをよく覚えています。「これからどうなる?」「これから何をしなければならない?」「子供の世話は?」「もしアッピアがいなくなったら?」そう言ったことが頭の中でグルグルしていた時に、「何か話してよ・・・」と言うアッピアの言葉で、ハッと我に返りました。「考えることが多過ぎて、何を話していいのか分からない・・・」などと答えたように思いますが、後になって、あの時は『これからの不安なこと』で頭がいっぱいで、アッピアの気持ちに思いが至っていなかったことに気づきました。「あの時に何でもっとアッピアの気持ちに寄り添ってあげられなかったのだろう」と後悔したことを覚えています。

冷静に考えられるようになってやっと、「他のことは何とでもなる。それよりもアッピアのことを考えなければ・・・」と思えるようになるのですが、しばらくはアッピアが現状を受け入れていくまでのとても不安定な状態と向き合うことになります。前回書いたように、その中でアッピアから容赦のない難問を次から次へと突きつけられるのですが、彼女は、突然背負うことになった運命にもがき苦しみながら、「病気とどう向き合えばいいのか」「この運命をどう受け止めれば良いのか」「これから自分はどう生きていけば良いのか」ということの答えを探していて、私にも『同じ立場に立って考え、そして感じて欲しい』と言う思いだったのだと思います。

そして、再発を告げられた瞬間に診察室で倒れ込んだアッピアは、その後は気持ちの揺れを何度か繰り返しながらも、最後は覚悟を決め、「諦めずにより長く生きる」ことに挑戦していくことになります。ユメさんよりコメントを頂いたように、「真摯に病気に対峙していく」ことになる訳ですね。

これはあくまでも我が家の例であり、十人十色・・・十家族十色・・・家族も色々ですのでどの家庭も同じだとは思いませんが、私自身はアッピアと一緒に病気というものに向き合うことによって、『共感する』(同じ感情・気持ちを感じる)と言うことの先に、『気持ちを共有する』(同じ気持ちを持ち続け、傍にいる)と言う、家族としてとても大事なことがあるのだと考えるようになりました。

おさるさん、コメント有難うございます(この場でのリコメで失礼します)。ご自身の気持ちも手術を受けられたばかりの彼女の気持ちもよく分かります。宜しければこのブログ、特にアッピアが存命中に書いていたブログ(「8年前シリーズ」などが特に参考になるかと・・・)を彼女と読んでじっくり話をしてみてはどうでしょうか?人は本当に辛い状態にある時、いくら相手のことを思って励まそうとしても心に響かないと思います。まずは彼女の気持ちをじっくり聴いてあげて、彼女の気持ちを一緒に感じることから始めてみてはどうでしょうか。・・・と今は偉そうなことを言っている私も、当時は随分同じような経験をしたものです・・・

2015年2月27日 アッピア夫


男二人を応援いただける方、応援クリックをお願いいたします。

にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
コメント

「気持ちの共有」〜アッピアが家族に求めていたと思うこと

2015-02-21 00:16:22 | アッピアについて
☆アッピア夫です。2月24日に14年目の結婚記念日を迎えます。どう祝うかは、この週末に息子と相談したいと思いますが、この機会に、病気と向き合いながらアッピアとどう生活して来たのかを少し振り返ってみようと思います。

病気が発覚した直後のアッピアは、まるで反抗期で手がつけられない女子高生のようでした。すぐに対応しなければならない入院・手術のことや、その時はまだ生後半年だった息子のこともあり、親族で今後どうするかを話し合っていると、「何よ。まるで私をやっかいもののようにして!」と当たり散らしたかと思えば、突然ワーッと泣き出す・・・こちらもどう対応していいのか分かりませんでしたが、今考えると、突然降って湧いた過酷な運命を背負うには何の心の準備も出来ておらず、情緒不安定になるのも当然のことでした。

最初の手術も無事に終わり、「やっと気持ち的にも少し受け入れられて来たかな?」と思ったのもつかの間。手術後の治療に当たって別の医師の意見も訊きたいと、セカンドオピニオンの病院に向かう道すがら、見てはならない主治医から渡されたデータを覗き見したアッピアは、リンパ節に飛んでいる癌細胞の数の多さに動転。その日仕事でどうしても一緒に行けなかった私に、泣きながら電話をして来ました。「もう私は生きられない。ぜったいに無理。子供もまだ小さくこれからなのに・・・。いったいどうすればいいの?」

それから、アッピアが子供を抱っこしながら、一方で過酷な運命を背負うと言う日々が始まる訳ですが、再発が避けられないことを悟った彼女は、ありとあらゆる方法で、自分の気持ちの落とし所を探っていたように思います。それから1年後に再発転移するのですが、もうその時には私よりも彼女の方が落ち着いていて、「この人には勝てない」と思わされ、「この強さがあればきっと乗り越えられる」と確信させられました。

その後の揺れ動く気持ちや気持ちの変化などは本人もブログに書いていますが、家庭においては、様々な場面で「もしもこれが自分だったらどうする?」「私はこう思うけどあなたは?」と、常にこちらの考えを問いかけられました。私が自分の考えを言うと、「それは自分が病気じゃないからそう言えるんだよね。」「本当に自分が病気だったらどうするかを考えて!」・・・これは数学の微分積分よりも難しい・・・

難しい質問にこちらも真剣に考えざるを得ませんでしたが、なかなか彼女の納得する答えを出せなかったような気がします。今思うと、彼女が家族に一番望んでいたことは、「気持ちの共有」だったのでしょうね。

まだ物心がつくかどうかの幼稚園生の息子に、「お母さんはもう長く生きられないからね。いつかいなくなるんだよ。」と話すことが時々あり、「それは、幼い子供にとってはとても酷なことだから、絶対に言うな。」と話したことがありますが、彼女にしてみれば、家族であるからこそ相手が私であれ息子であれ、「自分の気持ちを聞いてもらいたい」「気持ちを共有したい」ということの表われだったのでしょうね。

アッピアが旅立ち、今冷静にその頃を振り返る中で思うのは、病気を抱える家族として大切なことは、『常に寄り添うこと』『話を聞いて共感すること』、そしてその上で最も大事なのは『気持ちを共有すること』なのではないかと思います。

『気持ちを共有する』・・・偉そうに書いてはいますが、実はそう簡単に出来るものではない難しいことであることも身にしみて感じています。完全に出来なかったとしても、「相手の気持ちを理解しよう」とすることは誰でも出来るし、そう思うよう努力することが大切なのでしょうね。

2015年2月21日 アッピア夫


男二人を応援いただける方、応援クリックをお願いいたします。

にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
コメント (2)