波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージ傾霖痢術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

インフルエンザの親子リレー

2014-12-20 21:41:41 | アッピア亡き後の日常
☆アッピア夫です。2週間に亘りインフルエンザに振り回されました。

先週月曜日に息子がインフルエンザに罹り、金曜日に医師の許可が出てやっと学校に復帰しましたが、入れ替わりで、次の土曜日に私が発症し、昨日まで一週間出社停止状態。やっと今日回復し普段通りに戻りました。それにしてもこの2週間は体調的にきつかったし、異様に長かったです。

私は、インフルエンザに罹っても体質的にほとんど熱が出ないのですが、風邪とは違う独特のクラクラ感があるため、検査をする前に自分でインフルエンザだと判断出来るようになりました。

今回は、二人とも「ラピアクタ」と言う治療薬を点滴注射しました。前回罹った時は吸い薬の「リレンザ」だったのですが、こちらの方が早く治るとのことで、こちらをお願いしました。一時期色々と物議を醸した飲み薬の「タミフル」の何日分にも相当する位の効き目のようです。息子を病院に連れて行った時に、医師より「『吸う』のと、『飲む』のと、『注射』のどれがいい?」と言われ、これほど治療薬の選択が増えていることに驚きました。私と息子は、アッピアのお陰で、乳がんの抗がん剤などについては相当詳しくなりましたし、どんどん新しい薬が出てくることに感心していましたが、インフルエンザも然りですね。

因みに、私がインフルエンザに罹ったのは人生で2度目。息子が罹ったのは3度目です。・・・と言うことは、私は四半世紀に1回、息子は3年に一回のペースとなります。私が子供の頃はインフルエンザなんて耳にしなかったのに、なぜ最近はインフルエンザが毎年のように流行るようになったのでしょうか?また、なぜこれほど何度も罹るのでしょうか?

以前は、「インフルエンザは3タイプ(A型、B型、C型)があり、そのいずれにも罹ると予防注射を打たなくても罹ることはない」などとどこかで聞いたことがあったのですが、とんでもなく、インフルエンザウイルスは、遺伝子の配列を変えながらどんどん生き延びているため、毎年のように流行るし、罹ってしまって抗体が出来ても結局何度でも罹ってしまうようです。

インフルエンザウイルス手強し・・・ですね。毎年のように遺伝子配列を変化させながら生き延びていくなんて、人間はとても太刀打ちできないですよね。皆さんも手強いインフルエンザにはどうぞお気をつけください。私はしばらくインフルエンザの顔も見たくありません。

2014年12月20日 アッピア夫


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ガーデンデザイナー『ポール・スミザー氏』の考え方〜草花ばなしのついでに

2014-12-13 21:28:01 | ガーデニングについて
☆アッピア夫です。前回、草花好きだったアッピアの一面を書きましたが、今回はそれに関連して最近気になっているガーデンデザイナー『ポール・スミザー氏』のことを書きたいと思います。

ポール・スミザー氏は、八ヶ岳南麓に居住する44歳の英国人男性。英国人と言うとどうしても「イングリッシュ・ガーデン」が思い浮かびますが、彼は日本に25年住んでいる「日本らしい自然なガーデニング」の第一人者です・・・とまるでガーデニング通のように偉そうなことを書いていますが、前回書いた通り私のガーデニングセンスは本当に情けないものです。

なぜガーデニング通でもない私が彼のことを書こうと思ったかと言うと、先日私の大好きなNHK番組である「プロフェッショナル」に取り上げられていて、彼の考え方に共感を覚えたためです。

彼は、子供の頃から草花が大好きで、英国で園芸学とデザインを学んだ後来日しました。日本に自生する豊富な植物にすっかり魅せられた後は、日本に定住し、現在は全国の公園・庭園で、それぞれの土地の風土を活かしたナチュラルガーデン造りを手掛けています。そして、東京ガーデニングショーで最優秀賞を受賞するなど輝かしい活躍をしています。彼のガーデニングのおける基本姿勢は、「農薬や肥料を一切使わず、その場所に自生する植物それぞれの生きる力を最大限に活かす」と言うことです。

また、彼の植物に対しての考え方は、「手をかけ過ぎると植物は自立できない」、「その植物に向いた場所・・・例えば日なた、日蔭、木陰など・・・さえ合っていれば、どんな植物も強く生きる事ができる」です。・・・何とも深い言葉だと思いますね。

彼に興味を持った私は、早速10月に発刊されたばかりの『ポール・スミザーの気持ちがスーッとラクになる生きるヒント』と言う本を買って読んでみました。特別目新しいことを書いている訳ではありませんが、人の生き方と植物の生き方の共通性を説きながら、じわりじわりと「生きる」ということを考えさせてくれます。

その中から、気に行ったフレーズをいくつか拾い出してみました。
「幸せ探しの名人は、決まりきった暮らしの枠をはずせる人。何かが起きるのを待たずに、自分からアクションを起こす人。」
「日ざしを求めるまっすぐな気持ちは、何があっても変わらず、そしてまた上がっていくんです。心はいつも、てっぺんを目指して。」
「人間だって、どれほど苦境に立たされていても、抜け出すタイミングされ間違えなければ、その後はまた、ぐんぐん進めるはず。」
「みんなが飛びつく基準を捨て、自分の楽しさのアンテナに触れるものを大切に過ごす方がずっと幸せで、可能性が広がると思う。」
「大切なのは、その場所に相応しいオリジナルを作るということ。人と違う道を選ぶことは、踏み外すことじゃない。自分のやり方で生きた方が、ずっと豊かで幸せです。」
「人の心は、人の“本気”だけが動かせる。」
「植物はみんな両極面を持つ個性を抱えているのが多い。その個性が、あるときはプラスに働き、あるときはマイナスになる。何だか色んな面を併せ持つ人間と似ていませんか?」
「弱ってしまった自分を見捨てず、かと言って嘆くこともしない。そして、ただひたすら今できることだけに集中する。私はこの生き方に、植物の覚悟のようなものを感じます。」
「日常に遊び心を忍び込ませることができたら素敵だし、そんな余裕はきっと、自分のことも救ってくれる。」
「突飛な答えで誘導する必要はないし、突き放すこともない。ただ、黙って相手を信じ、そばにいてあげればいい。」
「苦しみを胸に抱える人はだんだんと『放っておいて欲しいのに、放っておかれることが悲しい』と言う気持ちになる。そうしたSOSに気づいたら、とにかく話を聞く事。同じ話に何度でも耳を傾けて、ただ寄り添うのです。」

来日後、周りに友人や相談相手が一人もいなかった彼は、鬱状態となりしばらく苦しんだようです。その間、ただひたすら好きな庭仕事に向き合う中で、やっと出口が見え、元の自分を取り戻すことが出来たと書いてありました。そう言う苦しみの中で、上記のような生き方・人間観を持つようになったようです。テレビで見る彼は、気負うところのない自然体な方で、ユーモアもある大変魅力的な方でした。

この本には、その中で取り上げられた植物の写真や、彼の手がけた公園や庭の写真などもあり、その飾り気のない自然な風景に惹かれました。今度は、彼の手がけた園芸の写真集でも買おうかと思っています。さらに、いつか彼の手がけた公園や庭を観に行く旅行もやってみたくなりました。

もしかしたら、ガーデニング好きな方にとっては、既に彼は有名な方なのかも知れませんが、ガーデニングがど素人の私としては、『ポール・スミザー』と言う方を知ることで、改めて人間の生き方を考えさせられ、ガーデニングに対しての見方も根底から変わり、大変有意義なことでした。これもアッピアが見えない世界から、私をガーデニング好きにすべく働きかけているのでしょうか?

2014年12月13日 アッピア夫

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アッピアがいなくなって我が家から消えたもの

2014-12-06 21:35:00 | アッピア亡き後の日常
☆アッピア夫です。アッピアがいなくなって我が家から消えたものがいくつかあります。
例えば草花、ラタトゥイユ、お好み焼き、UNO、夫婦喧嘩(これは当たり前か・・・)

≪ラタトゥイユ≫は、アッピアが好きでよく作ってくれました。よく似た「カポナータ」もですが・・・どちらも美味しかったです。私もいずれ作りたいと思っていますが、食材も多いし何となく面倒でまだ作っていません。アッピアのお陰でトマト料理が好きになりましたし、今でもよく作ります。

≪お好み焼き≫は、私が関西出身ということもあり子供の頃から大好きです。休みの日にはよく作りました。しかし二人だけになった今は、下準備をしてホットプレートで焼いて食べ終わるまで何かと時間がかかるため、これも何となく面倒で作らなくなりました。

≪UNO≫は、寝る前に三人でよくやっていましたが、これも二人だとやる気がしなくなりました。

≪夫婦喧嘩≫は、今となっては良い思い出です。議論好きのアッピアと私は日常的によく議論をしました。建設的な議論で終わればいいのですが、白熱すると喧嘩に発展しました。お互いに言いたいことを言い、どちらも引かない性格なのでなかなか落とし所が見えません。そんな二人に助け舟を出してくれるのが息子でした。しばらく黙って二人のやり取りを聞いていた息子は、「ちょっといい?今の話だけど、僕はお○○さんの方が正しいと思う。」と突然判決を下します。勝った方は「そうだろ!そうだろ!」と上機嫌。負けた方は「くそっ!」・・・これが日常だったから息子は弁護士になろうと思ったのでしょうか?私は「リーガルハイ」の影響だと思っているのですが・・・

≪草花≫については語り始めるときりがないので、取り敢えず最後にしました。アッピアは本当に草花が好きでした。アッピアが亡くなった後、ベランダや家の中に10鉢程あった草花は1鉢消え、2鉢消え・・・1年経った今は残念ながらほとんど消え去りました。唯一残っているのが「パキラ」ですが、今は葉を落としているため幹のみで、しかも触ると幹が朽ちかけているのか、フニャフニャします。「もしかしたら春になっても葉が出てこないのでは・・・」と、本気で心配しています。

草花が大好きだったアッピアのお陰で、毎年よく草花観賞に連れて行かれました。<2月>の梅から始まり、<3月〜4月>は桜、<5月>はチューリップ、つつじ、<6月〜7月>は新緑、あじさい、バラ、<秋>は紅葉・・・。草花鑑賞は毎年恒例のレジャーでした。マンションに入居当時、突然ベランダガーデニングに目覚めたアッピアは、すぐ近くに花屋さんがあったこともあり、毎日のように新しい草花を買って来て、ベランダガーデニングがいつの間にかジャングルガーデニングになっていました。「これじゃあ洗濯物も干せないじゃん!」と言う私に、アッピアは平然と「洗濯物より草花の方が大事だから・・・」と言いました。いつか鉢の数を数えたら70鉢近くもありました。「この人はいったいどこまでやるのだろう・・・」何でもやり始めたら気が済むまで止めない、いかにもアッピアらしい出来事です。

「そう言えばパキラに水をやらないと・・・」と今思い立ちました。これを書き終えたら水をやります。パキラだけは何としてでも守らないと・・・どうか男どもの不精をお許しください。

P.S.「まめたぬさん、全ての更新にコメントをいただき有難うございます。」1年振りの更新を始めてから、たくさんの方々からコメントや励ましを頂き、本当に感謝しております。なかなか皆様にリコメ出来ませんが、息子と一緒にしっかり読ませていただいております。どうかこれからも二人を見守りながらお付き合いください。

2014年12月6日 アッピア夫


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葬送までの7日間〜byアッピア夫

2014-11-29 23:07:27 | アッピアについて
☆アッピア夫です。今回は、アッピアが永眠してから葬儀までのことを書こうと思います。

アッピアが永眠したのが11月18日、葬儀が11月24日でしたので、18日も含めて1週間あったことになります。昔は葬儀までたいてい3日前後だったように思いますが、高齢化の影響で今は火葬場が混んでいるので、葬儀のタイミングが長くなるようです。当時はかなり時間があるなと思いましたが、今思うとちょうど良い時間でしたね。葬儀まで2〜3日しかなければ、気持ちの整理をする間もなく葬儀を迎えることになりますが、お陰で充分な時間があったことに感謝しています。また、週末に葬儀が出来たことも助かりました。

<11月18日>
アッピアの永眠後、家族三人で病院の霊安室でお迎えの車を待っていました。当然のことながら、アッピアは眠りについていますので、私と息子が霊安室で待機していたことになります。霊安室は、二人とも初めて経験する場所でしたが、まるで教会にでも居るような静かで厳かな空間でしたね。1時間ほど居たでしょうか。場所柄大きな声で話すのも憚られ、二人で静かにアッピアの思い出話をしていましたが、今思い返しても、まるで家族三人でくつろいでいるような、不思議に落ち着いた時間でした。

その後、お迎えが到着し、助さん格さんを始め、病院でお世話になった方々が集まって見送ってくれました。その時に助さんから、『内緒にしていたもののブログをずっと見ていたこと』と、これから忙しくなるこちらのことを気遣っていただき『報告のコメントを書いても良いか』などの話がありました。最後に息子を抱きしめ、「お母さんとの約束を守って立派な大人になるんだよ」と泣きながら話す助さんの姿に、私も涙ボロボロでした。

一旦自宅に戻り遅めのお昼を摂った後、打合せのために葬儀場に行きました。息子はさすがに朝も早く、色々なことがあったので疲れたのでしょう、『自宅で留守番したい』とのことでしたので、息子だけ残して行きました。そして、ちょうど打合せを始めようとしていたところに、「一人になったら急に悲しくなってきた」と大泣きしながら息子から電話が入りました。『意外に落ち着いていて大したものだなあ』と思っていましたが、そこはさすがに小学生・・・大人と同じように気持ちの整理をするのはまだ難しいですよね。

<11月19日〜11月22日>
葬儀まではご多分に漏れず目まぐるしい日が続きました。息子には「2〜3日学校を休んでもいいんだよ」と言っていたのですが、「学校に行っている方が、気が紛れるから・・・」と次の日から学校に行きました。担任の先生もまさかもう学校に出てくるとは思ってなかったので、ビックリしたようですが・・・。息子なりに気持ちを整理しようと頑張っているんだなと感心していましたが、さすがに夜になると急に寂しさが襲って来るようで、19日と20日の夜は大泣きしました。何とか息子も気持ちの整理が出来るかと、この4日間は息子が学校から帰って来るのを待って、毎日葬儀場に眠るアッピアに会いに行きました。今から思うと、この4日間アッピアに会いに行ったことは、息子だけではなく私も含めて、気持ちを整理するために必要なことだったなと思っています。

息子は、安置室でアッピアに会うと、必ず「お母さんと二人だけにして」と言い出しました。その間、私は安置室の外に出て待っていましたが、何やら小声でボソボソとアッピアに話しているのが聞こえてきました。しばらくすると扉が開き、「お父さんも二人だけで話しなよ」と言って二人にしてくれました。息子が何を話していたのかは訊いていませんし、息子も私に訊くことはなかったものの、今思うに、この4日間のそれぞれのアッピアとのやりとりが、二人が別れの覚悟をするための大事な儀式でした。

<11月23日>
この日はお通夜でしたが、たくさんの方に来ていただき、つくづく様々な人との関わりの中で生きているんだなと認識させられました。『アッピアのように早く旅立ってしまう人もいるし、長く関係を続けていく人もいるけれど、それが誰であれ永遠に変わらぬ関係を続けていくのは無理なこと・・・諸行無常。だから、今の関係を大事にしよう。』そう言った当たり前のことを考えながら、お通夜に来ていただいた方々に頭を下げていたことを思い出します。

<11月24日>
アッピアの告別式の日ですが、この日のことは一年前のブログに書いた通りです。この日が終わるまでは本当に大変な毎日でしたが、親しい方々に見守られながらアッピアを送り出し、永遠の別れの儀式をすることは、家族がきっちり気持ちを整理して、新しい生活に向かっていくために本当に大事なことでしたね。また、その夜にブログに初投稿したことも、気持ちを整える助けになりました。息子は、告別式が始まる前にアッピアの祭壇を写真撮影したり、告別式でもほとんど泣かなかったので、すっかり気持ちの整理が出来ているなと思いましたが、さすがにアッピアが火葬に送られる時にはダメで、泣きながら私にしがみついて来たことを思い出します。

以上、葬儀までのことを思い出しながら書いてみました。月曜日から師走ですね。『祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり』・・・何となく切ないけれど、平家物語の始まりのこの言葉が大好きです。特に年末が近くなると、なぜかこの言葉が頭に浮かんで来ます。さて、一年前のことを振り返るのはこれ位にして、また色々なことを書いていきます。(今日は息子の投稿はありません。さすがにもう寝ていますので・・・)私も寝ます。おやすみなさい。

2014年11月29日 アッピア夫


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アッピアの最期を思い起こして〜byアッピア夫&アッピア息子

2014-11-23 22:50:28 | アッピアについて
☆アッピアの夫です。1年ぶりの更新にたくさんの方に訪れていただき、また温かいコメントをいただき本当に有難うございます。思いもよらない反響に驚くと同時に、アッピアがいかに皆様に愛されていたか、また今でも愛されているかと言うことを感じ、強く心を動かされました。

色々と考えた末、このブログを私がアッピアから引き継いで更新を続けて行くことが、アッピア本人、またアッピアがお世話になった皆様への恩返しになるのではと思い、これからは週に一度程度の無理のない範囲で更新をしていくことに決めました。(リコメは難しいと思いますが、しっかりと読ませていただいております。)

私が皆様のお役に立てるとすれば、やはりアッピアと生活を共にし、いかに病気と向き合ってきたのか、何を話し、何を感じ、何を考えてきたのか、アッピアが逝った後何を思うのか・・・そう言ったことを自然体で綴って行ければと思います。その中で息子とのドタバタライフなどもお伝えして行きます。

さて、今回はアッピアの最期において、お伝えしきれなかったことを書こうと思います。義弟の書いてくれたアッピアの病院での様子の通り、アッピアは視力を失っても本当に前向きに過ごしていました。視力を失ってから行動範囲が極端に狭くなっていましたので、私が病院に行くと廊下を散歩(?)に連れ出されました。当然、私が介助しながらそろりそろり手探りで10分程歩いては戻ってくる程度なのですが、それでも動ける喜びを感じているようでした。

亡くなる三日前の金曜日に病院に行くと、「もっと来られないの?もっと来て欲しいんだよね!」「解った。来週からもう少し時間を取るようにするよ。」と言う話をしました。当時はちょうど沿仕事が忙しい時で、週に1〜2日何とか早く切り上げて夕方に病院に入っても、家では息子が一人で留守番をしているので、それ程長くは居られませんでした。次の土曜日に息子と病院に行くと、「昨日、私何か変なこと言った?」「いや、別に変なことは言ってないよ」「何か変なことを言ったような気がするんだよね」という会話をしました。やはり記憶力が落ちている様子でした。週末は苦しい治療もないし、なかなか会えない息子とも会えることが嬉しいのでしょう・・・とても死期が近づいているとは思えない程、楽しそうに話をしていたことを思い出します。その日の多分最後に交わしたのが、前にも書いた「ブログの代筆と更新してくれる?」の会話です。アッピアは視力がないためそう言っていたのですが、私は今でもその言葉が忘れられず、言外に「私がいなくなってもだよ!」という意味が含まれていたようにも思えます。それが今回、更新を引き継ぐことを決めた一つの理由でもあります。

その次の日曜日はアッピアが亡くなる前日ですが、ずっと眠ったままで会話は全く出来ませんでした。夜に眠っていないので薬で眠っていることを看護師から聴き、「もしかしたら厳しいのかな」と感じつつ、アッピアが眠っている横で、息子と二人ずっとクロスワードパズルをやっていました。アッピアとは何の話も出来ませんでしたが、本当に久し振りの家族三人での穏やかなひとときでした。その日の夕方にドクターに呼ばれ、急変する可能性を告げられました。そして、次の月曜日の朝3時位に病院から電話が入り駆けつけた時にはもう息を引き取った直後でした。

結局、最期に「有難う」も言うことも出来ずアッピアは旅立ちましたが、良く一人旅に出ていたこともあり、今でも『一人旅に出たっきりまだ帰って来ない』ような感じですし、多分本人もそういう感覚かも知れません。今頃お墓で「あれ!こんなところに旅行に来たんだっけ?」と言っているかも知れませんね。最期に言えなかった言葉をこの場所を借りて・・・「今までどうも有難う!ブログ引き継ぐことを決めたよ!」


★アッピアの息子です。今日は、亡くなる2日前の土曜日、アッピアと話していたことをお伝えしようと思います。10月25日のmusic stationで、嵐が、『P・A・R・A・D・O・X』という新曲を歌っていました。当時、アッピアは嵐に夢中でした。土曜日に、アッピアに新曲のことを教えたら、アッピアは『帰ったら聴きたい!』と言っていました。しかし、その願いは叶わぬものとなりました。僕は、命日にアッピアケータイにその曲を落とし、アッピアの仏壇の前で流しました。アッピアは、天の下で楽しく曲を聴いている事でしょう。こらからも嵐を応援します。

2014年11月23日 アッピア夫&アッピア息子

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