心向くまま徒然徘徊紀

思うままに思い、思うままに徘徊し追憶・追記を重ねていきたい。

現代日本人の文化と歴史の観方・考え方とは?

2015-01-19 21:50:26 | 政治哲学

 

 (1) 政権党に媚びたグローバル人とは?

 

現代の日本の国民生活の実態を見るとき

昨今の保守的な人々による

国内の貧困家庭に対する見方に

明らかな誤りがあるように見えるのは

私だけだろうか?

 

底辺にたいする見方までが

グローバル化して

偏見にみちているからである。

 

 

まるで、

現代の国民にお前たちは贅沢だ。

貧困家庭は弥生時代や縄文時代に戻れ!

といっているようなものだ。

 

 (2) 最低の文化的生活を否定し、

  持てるものを

    批判できないグローバル人

 

それでいて、

今の保守政権党は大企業から

数10億という政治献金を凝りもせず獲得し、

 

おまけに

国庫から

献金撤回前提の多額の政治資金を

当たり前のように得ているから不思議だ。

このような2重基準も公然の秘密になっている。

 

民主党政権時代に

たった2万円の政治献金を

”日本人の顔をした外国人”から得た。

というだけで、

声高に鬼の首を取るように

追及されていた民主党議員がいた。

 

1~2万円のカンパなど

今の政権党にとっては

はした金に過ぎないはずだ。

 

パーティー券を売れば

一枚1~2万円なのではないだろうか?

一回政治パーティを開けば

100~200万円はあっという間だ。

 

 あれは一体なんだったのだろう?

 

資金集めは一回のパーティーで

何百万円はあっという間に集まるというのに!

 

また、

儲かっているグローバル大企業には

累積する定率大減税が

今後も数年がかりで

実施されるというから驚きだ!

グローバル企業の大半の労働者は

日本国内の労働者ではないのだから

国内の税金や年金、保険料の対象ではないことは

自明のことだ。

 

なのに減税の対象とは理解できない。

 

一つ重要なことは

戦中、戦後にかけて

まだ未開の地であったような国々と比較して

日本はまだ豊かである

というような論法がある。

日本の貧困層は贅沢だといういうのだ。

 

だから、

貧乏人は

世界の底辺の国々の生活を見て

満足して生きて行けというのか?

 

「安心の年金」、

「安心の雇用」、

「安心の子育て」

 

これは戦後の日本人が

戦後血眼になって働いて

獲得してきた”既得権”、

現代日本人の最低の文化、文明だ、

ということを全否定する思想に他ならない。

 

実際それは

失われてしまいそうになっている。

 

戦前、戦後、

世界には先進国といわれる国々と

後進国といわれている国々が

歴然として存在していた。

 

また、

国家という体を成していない

民族、人種が数多くあったのは

まぎれもない事実であった。

 

どことは敢えて言わないが

第二次大戦中は人食い人種がいる

というような公然の秘密もあったそうである。

 

これは

南方のジャングル地帯の前線基地に

転戦した父の話にも有った。

 

それらを、

日本の歴史で例えるならば

また、

2000年の歴史の中で例えるならば

 

現代を

日本の縄文時代や弥生時代と比べ、

日本の現代人は”その時代の人々を

侮辱している”と云うようなものである。

 

  その時代の人々が、

大家族で”最低の文化もない”中で

慈しみ合い心豊かな生活をしていたからだ!と。

 

だから、

現代の貧困層は

その時代を見ならって満足しろ!”

というようなものである。

 

このようなことを平気でいう

自称”文明人”がいるから笑うしかない。

こんな「歴史音痴」「地理音痴」の人々が

日本の支配的知識人というのだから情けない話だ。

 

グローバルで文化の遅れた人々を

「ユニセフ」など

国連機関を通じて援助することを

私はいささかも否定するものではない。

 

 問題はその資金をどこからねん出して

海外にいい顔をしているのか?

ということである。

 

日本人の誇りとは何か?

愛国心とは何かもう一度

問い返してほしいものだ。

 

日本の現代人とは

日本は100%教育を受けていて

文盲率はほぼ0%だといわれている。

 

問題は

それが現代に生かされていず、

それが中卒、高卒、大卒・大学院卒と

一定の比率で区別されて分布している。

 

それも大半が高卒・大卒で占めている。

 

有能な科学者、技術者は

職を求めて

韓国や中国、台湾に脱出して

やっと職を得て、外国で活躍しているという。

 

これは国内でリストラされた若者たちである。

 

「人は石垣」、

国の根本資源であることが

忘れ去られているのだ。

 

「明治維新の文明開化」運動、

自由主義運動が

いかなるものであったか

もう一度振り返ってみる必要が

あるのではないかと思う。

 

グローバル化も

度を過ぎれば

「亡国」「売国」運動に変身するだろう。

 

 

 


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