やすら木

朗読・オーディオブック制作「やすら木」のページです。
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安曇野市中央図書館・大人のための朗読会

2018-06-30 14:23:55 | Weblog

安曇野市中央図書館・音訳ボランティアによる大人のための朗読会のお知らせです。

*日時:2018年7月7日(土)1時30分

*場所:安曇野市中央図書館みらい

*演目:星の王子さま  サン・テグジュペリ

    眠れなくなる宇宙といのちの話 佐藤 勝彦

    金色の翼 なかにし礼

    七夕のお話  作者不詳

    銀河鉄道の夜(輪読) 宮沢 賢治

*入場無料予約不要

 

私は「金色の翼」と「銀河鉄道の夜」の最後の部分を読みます。

「ねえ子どもたち、きみたちは知っているかい。きみたちの背中には金色の翼がついているんだよ」というフレーズで始まる「金色の翼」は「神の愛」もしくは「天賦の才」と読み替えることもできると思います。それは必ずしも今の社会では価値が高いと認められず、お金にも換算できないかもしれません。でも、子供のときに金色の翼をみつけ、生涯大切にすれば心豊かに生きられるのではないかと考え、子供たちへの大切なメッセージとして多くの人に知って欲しくて、苦手なライブで詩に挑戦することにしました。

 詩は表現が難しいです。

 暑さに負けそうですが、当日心を空にして言霊が降りてくることを祈ります。


松枯れ・行政の無責任

2018-06-27 11:16:59 | Weblog

  

 ここ数年我が家も含め近隣の松枯れが急速に増え、倒木の危険があるので敷地の松を全量伐採した。建物を避けながらクレーンを使う難しい作業が数日かかったので、高級車ではないもののほぼ車1台分の費用だ。雨の日もあったが、業者の方には丁寧な仕事をしていただいて感謝している。

 この周辺の松は戦後に植林された後、手入れもされず放置されたため、良い状態ではなかったにもかかわらず、建物を建築した当時の穂高町役場の指導基準では、景観保全を理由に極力伐採しないこととなっていた。森林に関して無知であった私たちはその基準を守ったが、守らない人もいた。

 その後の町村合併で町は安曇野市に変わった。近年松枯れが進行し、当時の指導基準は森林についての無知に基づくものであったが、市はその責任をとることなく、道路上への倒木などの責任をすべて所有者に転嫁している。つまり正直者が馬鹿をみたのである。加えて市は松枯れ対策と称し補助金を関連業者などにばらまく口実にさえしている。

 腹立たしいことこの上ないが悪いことばかりでもない。樹勢のある切り株から木の香りが庭に満ち、その脇に樅の木の芽がでていた。おそらく、数十年前、罪深くも肥料枯れさせてしまった木の根が生きていて再び地上に現れたと思われる。山椒の若芽もみつけた。陽射しを遮っていた松が消え、これからは伸び伸び育つだろう。運気上昇の兆しと思いたい。

 植物は土の中でひっそりと息づき、日が当たればいつか命を吹き返す。人の世界もそうであると信じ、希望という種をまく努力を続けていく他はないのかもしれない。

写真は樅の木の芽と松の年輪。木によって表情はいろいろですね。


大阪北部地震・京都来訪顛末

2018-06-25 13:44:53 | エッセイ・コラム


家人が京都に急用ができたので、おまけで同行し、枚方の旧友に会うことに。支度をしていたら緊急地震速報が。友人は無事だったが新幹線が止まった。とりあえず名古屋まで行って様子をみることにしたが、予想通りの大混乱。
家人が駅員から「**番線からでる新幹線が一番早く京都まで行く」という情報を得たので、そのホームで待つ。2本の回送を見送り次の列車も名古屋止まり回送のアナウンス。
 やはり情報が錯綜していたのかもと諦めかけたが、滑り込んできた列車の窓に降りる気配のない人が見えたので、とりあえず乗り込んだら、やはりこれが一番早く動くとのこと。
 待つこと1時間、動き始めて10分走り30分止まりを繰り返し、2時間半かけて京都に到着。改札に走ったが自動改札のドアに阻まれる。名古屋で改札できなかったためと思われるが、精算窓口は長蛇の列なので改札を強行突破。
 とりあえずデパートの地下でお世話になった人へお礼の品を送付しホテルへ到着。家人は出かけ、私は友人に連絡を取る。やれやれとお礼を送った人にはがきを書いていたら、さっき送り状に自宅の住所をかいたような嫌な記憶がよみがえる。確認するとやはりそうだった。自分にご褒美してどうする、と慌てて売り場に電話してなんとか事なきを得たが、すっかり疲れた。

 夜中に余震が数回あったが大きな揺れはなく、翌朝は近くの楽美術館へ行き、楽焼きと能面の展示をゆっくりと観た。残念ながら茶の湯の心得はないが、香が焚かれた館内にいると心が落ち着いてくる。
 そしてひさしぶりに再会した友人と昼食。お世話になったお母様のお見舞いとも思っていたが、屋根瓦が落ち、家の中も散乱しているということなので、今回は取りやめにした。
 その後、一人で近くの京都国立博物館へ。初めて入ってみたが、地震のためかとてもすいている。仏像が建ち並ぶ様子は壮観ではあるけれど罰当たりながら、なんとなく展示即売会のような雰囲気を感じてしまった。
 
 雨も降ってきたので早々に駅に向かい、デパートの地下食料品売り場へ。昨日利尻の昆布があまりに安かったのでゆっくり食品をみることにしたのだ。
 何もここで昆布を買わなくてもいいかと昆布はやめたが売り場の人たちの声はまるでギリシャ神話で船乗りを難破させるセイレーンという魔女たちのようだ。「京都限定、夏限定」常套句とわかっていてもすすめ上手な京言葉に珍しさも手伝ってつい手がでてしまう。今度来るときは耳栓をつけ、クレジットカードを置いてこよう。
 帰りの電車で京都の味は昆布の味なのだなあとつらつら思い、たくさん消費するから安くて良い昆布があるのかもと気づき、昆布も買えば良かったと思っていたら「そうですやろー」とセイレーンの声が。