おとなりカフェ

『風立ちぬ』とユーミン


先日、娘と久しぶりに映画館に行きました。
ジブリものだけは、通常封切直後に二人で観ることがあたり前になっています。
今は、席をネット予約してから行くのでとてもラクになりました。
観たのは『風立ちぬ』。

一つの話がたまたまアニメだった、というもので、ジブリアニメだから子どもにもおもしろいだろうと思うと、確かにがっかりだったという親子がいても不思議ではありません。
また、戦争礼賛?という意見があるようですが、これもずいぶんと一面的な見方だなーと、そう発言する人たちの短絡さに、逆に、簡単に戦争に向かってしまう現代社会の一端を見るような気がしました。

私たち人間は、常に、人が織りなす日常の集合体によって社会が動き、国という枠組みのベクトルの方向や長さ、太さ、色合いも決まっていくもので、その連続性に変化があったと感じられる何かきっかけを得た時に、一つのかたまりを「時代」として理解しています。

時代のそうした音のしない大きな動きは、ある日目の前に現れた国家権力や政治家や、白馬の王子?が、さあこっちと言って扇動することはあっても、簡単に方針や方向をがらっと転換できるものではありません。

戦争に向かうストーリーは、国が勝手にすすめていると思っている人が少なくないかもしれませんが、元をたどれば、私たちの日常の中、心の中にあるのです。


『風立ちぬ』は、「美しい飛行機を作りたい」という純粋に夢を抱く少年が、関東大震災をくぐり抜け、やがてその時代に最も必要とされた飛行機―戦闘機―を作ることになった。
もし戦争のない時代であったなら、彼の作った飛行機は暗い影を引きずることなく、間違いなく偉業としてその後に伝えられたでしょう。

人はいつも、ある国のある時代の中で生きている。
どんな時代で生きることになったとしても、一人の人として、ベストを尽くし、「生きねば」。そんなメッセージを、宮崎監督はこの作品に込めたのだろうと思いました(下記『熱風』によれば、鈴木氏の意向が強くあったようですが)。

戦争礼賛など、とんでもない。

こうした誤解は、司馬遼太郎さんの小説にも常につきまとう。
日本人は、知恵を持って、国土を覆う素晴らしく豊かな自然と共存しながら暮らしてきた。
あんな馬鹿な戦争をどうしておこしてしまったのか。

その疑念や悔しさを明らかにし、日本人はこれからどうやって生きて行ったらいいか。
司馬さんにとって、歴史を検証し、そこに関わった日本人の足跡をたどる旅が、歴史小説や評論を書くことだったと思っています。

そして、どんな時代にあろうとも、その環境の中で一人の人としてベストを尽くして生きた人を描いています。
司馬さんは、個人的にも、素晴らしい日本人はちゃんといた、ということを確認しなくてはならなかったのだろうと思います。

それを当時の国家の在り様と結び付けて、戦争礼賛という読み方をする人がいるのも、無理ないかとは思いますが。


スタジオジブリの
『熱風』2013年7月号特集「憲法改正」(852KB)
これは8月20日18時までネットでダウンロードできます。
4人目の高畑勲さんの発信内容は特に、一読をすすめます。

今、韓国の間でも問題になっている歴史認識ですが、「最大の問題は、国民の無関心」。
「風立ちぬ」「憲法改正」をきっかけに、まずは自分のアタマで考えましょう。

『風立ちぬ』の最後はユーミンの「ひこうき雲」。
終わってもしばらくシーンとしていた映画館。
わが家は今、ちょっとユーミンにはまっています。

かたづけのBGMに、いいんです。なぜか。




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