解釈という物は人それぞれの捉え方がある。
例えば楽曲の歌詞に関してならば、
そこに大きな開きは少ないかもしれないけれど、
ある事象に関して言うならば、
立場によってまったく異なる解釈をする場合もあるだろう。
昨日放送された『WOWOW氷室京介スペシャル-part3』での映像を観てそれを強く思い、
自分が解釈した内容に恥じて、
そして氷室の言葉(解釈)に納得をした。
そう、
「天からのタオル」と言った話である。
あの日のあの雷を、
俺達オーディエンスは様々な解釈で受け入れたかもしれないだろう。
ある人はまだ辞めるなという天からの言葉だと言い、
またある人は、リベンジに向けての贈り物だったとも言い、
そしてまたある人は、
ファイナルを演出した驚愕のシーンだったとはしゃいだ…。
しかし、全ての解釈を覆したのは、
当事者、氷室京介の一言、
「(あの雷は)天からのタオル」という言葉だったのではないだろうか。
『なんで投げるんだよと思いましたけど。馬鹿野郎やっと温まってるんだろ』
と、ライヴから3日後のインタビューで嘆いた氷室。
ボクシングの試合なんかで、打たれても打たれてもダウンしないやつの為に、
セコンドにいる人間がタオルを投げ入れて、
敗北と引き換えに試合を強制的に止め、仲間を守るという行為。
氷室自ら、あの雷を天からのタオルだと言えたのは、
それほどまでに骨を折った苦しさ、、痛みの中で歌っていたということであり、
そして、それでも諦めなかったということ、、歌い続けたという自負があるからなのだ。
もし、あの雷、、、それによる中断が無ければ、
或いはその後に、『ANGEL』で終わりではなく、
『SUMMER GAME』等を含む数曲を歌っていたかもしれない。
それは氷室自身も語っていたように、
『ANGEL』を歌うのならば、
もう一回マイクを持って『SUMMER GAME』も歌いたくなると言う、
ボーカリストとしての欲求がそうさせたかもしれないということでもある。
それでも もし、あれ以上のパフォーマンスをしていたのならば、
その折れた骨が肺に刺さることだってあるかも知れないし、
骨の破片が臓器の細胞に食い込んで感染症を起こしていたかもしれない。
ならばステージでそのまま倒れていた可能性だって否めなかった…。
それほどのまでの苦境の中で歌いあげ、
それを悟られぬよう、オーディエンスの前でパフォーマンスをしたのが、
結果的に俺達には別な解釈をさせたとも言えるのだ。
そう、裏を返せば、
そこにプロフェッショナル氷室京介がいたからこその勝負心が、
それぞれの思いにも繋がったのだと言えるのではないだろうか。
「氷室京介よ。よく頑張った、、しかし、もう止めた方がいい」
と投げ入れられた天からのタオル。
それでも氷室京介が敗北者とならないのは、
己の傷口を拭き取って尚、
鮮血色に染まるシャツを羽織りながらも尚、
そのステージに立ち続けた不屈の男であったからなのではないだろうか。
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