史跡ハンター 臥龍

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中国歴史紀行~河南省新郷市「同盟山武王廟」編

2011年08月03日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月3日(水)
今日の天気は悪くなさそうですね~

7:30ごろ食堂に朝食を食べに行きました。

ここはバイキング式じゃなかったです。

8:25チェックアウトし、昨日ネットでこのホテルの場所を確認したところ、近くに「関帝廟」があるみたいなので行ってみることにしました。

8:40「関帝廟」に着いたんだけど…開いてないし、門の前にお供え物などが置かれてるってことは開かずの廟なのかも知れないぞ。
仕方ないんで出るときに聞いた「汽車西站」に行くためにバス停まで戻りました。(バス停はホテル前なので)

その途中の風景を少し載せますね。(今までも史跡ハントばかりで、こういう中国の街中の風景って少なかったもんね…)

こういうオッちゃんって中国にはけっこういるんだけど、写真に収めたのは初めてだね。
水筆で黒いタイル?部分に字を書いてるんだよ、漢詩か何かかな?
でも、凄い達筆なんだよ~

9:00路バスに乗って、9:10「新郷(火車)站」に着きました。
站前にもバスが停まってたんで、ここが「汽車西站」と思って「獲嘉」行きのバスを探すも…無いじゃん。
近くに交番があったんで「公安(警察)」に「汽車西站」の場所を聞くことが出来ました。

9:20「汽車西站」に着いて、「獲嘉」行きの乗車券を買い、「獲嘉」が経由地になってるバスが目の前に停まってたんで、それに乗ったら、「違う、赤いバスだ」と言われて降りたんだけど…どこに「獲嘉」行きが停まってるんだ?
9:40…やっと「獲嘉」行きのバスを見つけました。
9:45バスは発車し、車掌に「同盟山に着いたら教えて」と言っておいたので、10:20途中下車しました。

通りから、この「武王」像が見えたので、すぐ入口は分かりました。

像からさらに奥に進むと…

この門があります。

多分、この先に廟があるはずだ…と歩いて行ってみることに。

ホント、ただの農村です。

途中から工事中になってた道路を歩いて行くと…ようやくそれらしき建物が見えてきました。

10分近く歩いて「同盟山 武王廟」に着きました~
この「同盟山」は「武王」が殷との最終決戦(牧野の戦い)の前に将兵を集めて必勝の誓いを立てて出陣に臨んだ地なのです。

中は工事中じゃなくて良かったわ~、しかも門票(チケット)要らないみたいだし。

山門にあった塑像は…誰だ?

「二門」をくぐると、

「武王大殿」があり、中には「武王」像がありました。
「武王」は、殷の最後の帝「帝辛(紂王)」を斃して「周」を建国しました。

左に「哪吨」と「?」、

右に「楊戬」と「雷震子」がいました。

これは「文臣殿」で、

中には左から「散宜生」「華公(姫高または畢公高:武王の異母弟)」「栄公(詳細分からず)」の塑像がありました。

これは「武臣殿」で、

中には左から「闳天(…って誰?)」「太顛(…も知らんよ)」「南公括(南宮括)」です。

これは「財神殿」で、中には…

「趙公明」「関羽」「比干」の塑像がありました。

これは「三霄殿」で、中には…

「三仙姑」の塑像がありました。

「碧霄」「云霄」「瓊霄」です。

これは「薬王殿」で…

中の塑像は医者?

これは「三清殿」で…


中にいるのは道教の始祖らです。

これは「文王太公殿」です。

中央の「姜太公」と…左隣にいるのは「孫悟空」?

他には「周公(姫旦)」「文王(姫昌)」「伯邑考」の塑像がありました。

「太公望」とは「姜子牙」が渭水で釣りをしていたところを「文王」が「これぞわが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」と言って召し抱えたという話に由来します。

そして「武王廟」を出ると、何か隣にもあるんで行ってみました。

「伐紂」と書かれていますね…

これは「周武王 飲馬池」だって。

枯れてるけど…

この拝殿?だかに行ってみると…

鍵が掛かっていて、せっかく「武王」と「太公望」の像があったのに、ガラス越しにしか写真が撮れませんでした…

裏にはこんな池がありました。

これは「福云洞」です。
11:05「武王廟」を出て、再びバス通りまで歩いて戻りました。

11:15ごろバス通り(国道?)に着きました。

そして11:20ごろ「獲嘉」行きのバスに途中乗車し、

11:35「獲嘉客運総站」に着きました。

ここで「鄭州」行きの乗車券を買うも出発時間が分からないんで、運転手?だかオッさんに聞くと11:45に出るらしいんです。
バスの中で待ってたら、その運チャンが「こっちに来い」と。
そして、普通の乗用車に俺ともう1人「鄭州」に行くらしい兄ちゃんが乗せられました。
客が少ないからこれで行くのか?と思ったら、すれ違って来た「鄭州」行きのバスに乗せ換えられました。
何かシステムがよく分からんけど…とりあえず、これならちゃんと「鄭州」まで行きそうだと思いきや、すぐ近くの屋台で運チャンと車掌は昼飯買い出すし、その後も客待ちで発車する気配も無い…
俺は逆側の席にいたんだけど、外で運チャンらがくつろいでる側の席に座ってた人が窓を叩いて「早く出せよ~」と訴えてようやく出たくらいだもんな…俺がそっち側の席に座ってたらもっと早くガンガン窓を蹴りつけてるはずだけどさ。
こんな「曹操」面のヤツにそんなことされたら、絶対すぐ出発するはずだよね。
でも、こんなことは中国の田舎町ではよくあること…彼らは乗客を早く目的地に送ることより、出来るだけ満員にして目的地まで行きたいんです。
13:50ようやく「鄭州汽車北站」に着き、14:00路線バスに乗って、14:35ごろ「鄭州站」に着きました。

まず、今晩の「鄭州→西安」の切符を買っておきました。
火車站は人民が多いし、路線も多いから切符を買うのが苦手でね…トラブるとイヤなんで、目的地(西安)・列車種(動車)・日時(今晩)を書いたメモ紙を渡して切符を買いました。
切符(19:20発)も無事に買え、火車站に荷物を預けて身軽にし、15:00史跡ハントに向かいました。
「滎陽」に出るためには火車站前のバスターミナルからバスが出ていないので、「汽車西站」まで出なければなりません。
バス路線も分からないし、何か火車站前でタクシーを拾うのがイヤで少し離れた所に行ったんだけど全然タクシーが拾えない…

やっと15:20タクシーに乗り、15:45「汽車西站」に着いたんだけど…こんな時間掛かったっけか?
俺は2007年12月2日にこの「汽車西站」から「上街」に出て「虎牢関」に行ってるんでさ。
で、「滎陽」までの乗車券を買い、15:55発の「上街」行きのバスに乗ったんだけど、どこで降りたらいいのか分からず終点の「上街」まで行っちゃった…

「上街」に着いたのは16:50…その目的地は門票(入場券)があるはずだから、着いても閉場しちゃってるかも知れないよ。
とりあえず站前に停まってたタクシーに「漢覇二王城に行きたい」と話しても、どこだか知らないみたい。
やっぱ「滎陽」で降りれてれば、もっと行き易かったと思うんだけど、汽車站なんてあったかなぁ?
けっこう離れた地(上街)まで来てしまった上にこの時間…「漢覇二王城」に行くのは諦めて「上街」から17:00発のバスに乗り「鄭州」に戻りました。

紀元前203年「項羽」と「劉邦」の軍隊が鴻溝という小さな川を挟んで対峙します。
対峙すること一年、決着がつかず和議が成立し、鴻溝以西を「劉邦」の地、鴻溝以東を「項羽」の地としました。
「項羽」は和約がなると囲みを解き兵を率いて東へ向かいましたが、「劉邦」は策士として名高い「張良」と「陳平」の進言を容れ、約を破りそのまま駒をとって返して「項羽」を追います。
こうして「劉邦」は「項羽」を「垓下(四面楚歌)」そして、烏江(項羽、最期の地)へと追いつめてゆくことになるのです。
…その両軍が対峙した地が「漢覇二王城」として観光地化?されてるんだけどね。
ここに行けなかったのは、今回の旅で一番悔いが残ってるよ…だって一応観光地化されてて近くまで行ったのに行かれなかったんだからね。
17:50「汽車西站」に戻り、タクシーを拾って市内の「商代遺址」を見て火車站に戻ろうと思ったんだけど、運チャンが「何てことは無い」って言うんで、そのまま火車站に行ってもらいました。
まぁ俺は「安陽」で「殷(商)」の遺址はいっぱい見て来たからね。
18:10「鄭州火車站」に着き、ファーストフード(Dicosだったかな?)で食べ物を買ったりしてました。
18:30預けていた荷物を受け取り、火車站内の待合室で食事しながら改札が始まるのを待ってました。

19:00に改札が始まり、

19:20発の「動車」に乗りました。
先日、事故があったのは「高鉄」と言うんだけど…「高鉄」を見たことが無いんで「動車」との違いがよく分からないんだけどね。
そして、22:05「西安北站」に着き、22:15タクシーに乗りました。

22:30「西安站」の東側で降ろされたんで、少し歩くハメに…

「歓迎来到古都西安」…俺が「西安」に来るのも3回目(観光では2回目)だね。

過去2回泊まったことがあるホテルが「西安站」近くなんで、ここまで来たんだけど…パスポートじゃダメだと。
今までは「居留証」があったからOKだったのかなぁ?
今回「西安」では今日を含め3~4泊するんでね…出来るだけホテル代は安く抑えたいのに外国人が泊まれるホテルだと4~500元以上しそうだもんな。
「西安站」付近のホテルを数軒当たるも、安いところはパスポートじゃダメ、パスポートでもOKなところは高い…もう今日は時間も遅いから高くても仕方がない、明日以降安いホテルを探して泊まろうと決めました。
そしたら呼び込みのオバちゃんが寄って来て、「80元の部屋がある。パスポートでもいい」って言うんで付いて行ってみました。
ホテルに着くまでもオバちゃんは「女の子要らない?」としつこいんだ、これが。
ホテルに着くと、そこはさっき俺が「パスポートじゃダメ」と断られたホテルじゃん…
その裏口からエレベーターで10階くらいまで上がって行くと、まぁ普通に部屋があり…
部屋はベッドとエアコンがあるだけのシンプルな部屋って…これ、従業員部屋か?
もう1部屋には住人(宿泊客?)がいて、トイレとシャワーは共同…やっぱ「押金(保証金)」取るみたいなんだけど、チェックアウトの時どうするんだよ…フロントなんて無いんだし、俺は携帯も持ってないんだから。
チェックアウトは時間を決めて、その時間に来てもらって「押金」を返金してもらうことになり、一晩なら…と金を払おうとしたら「180元」って「押金」込みの宿泊料かと思ったら、宿泊料だけで180元でさ…俺は80元って聞いてた(聞こえた)から付いて来たのに、この環境で180元は高すぎると破棄して部屋を出ました。
こうなりゃ、さっき値段聞いた700元くらいのホテルに泊まってやろうと思いつつも、まだ付近にホテルのネオンが見えるんで、それらを当たってみてからにしました。
そしたら…23:40ようやくパスポートでも大丈夫だというホテルにチェックイン出来ましたよ~
宿泊料は200元と別に高級ホテルでもないのに、パスポートでも可と不可の違いがよく分からん。

部屋は何か「VIPルーム?」みたい…初め、聞いた部屋番号がフロアの案内に書かれてないんで、またフロントまで聞きに行ったんだから。

中もムダに広い…さっき、宿泊しそうになった180元の1室とは大違いだぞ、プラス20元で。
はぁ~疲れたなぁ…でも、とりあえずホテル探せて良かったわ。
疲れたんで明日は「西安」市内観光をすることにします。



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