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三国史跡ハント・ファイナル~⑥河南省南陽『黄忠故里』編

2008年02月02日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
2月2日(土)1/2
今日は6:30の「バス」で「河南省南陽」に行きます。
「許昌」は『曹操』が都をおき、「洛陽」からもそう遠くないこともあって(…と言っても200Km以上あると思いますが)、「三国史跡」はとても多いんです(特に墓が多い)。
でも場所的に不便な所が多そうで、全てを回るには「2、3日」必要なので、中途半端に回るくらいなら昨日行った『春秋楼』と『覇陵橋公園』が主要なので、それだけで止めておく事にしました。
今日は4:45起床し、5:45チェックアウトしました。
前売りをやってなく、昨日「乗車券」が買えなかったんで、早目に「汽車站」に着くようにしたんです。

これは「許昌汽車站」内の壁画です。
「煮酒論英雄」の絵ですね。

6:25「バス」は発車しましたが、「南陽」に着いたのは11:25ですよ…
しかも「汽車站」じゃない所で降ろされてしまいました…
とりあえず「火車站(列車)」に行かねばならないので「路線バス」のバス停を探しに歩くことにしました。

何とか「バス停」を見つけ、11:45「南陽站」に着きました。
この「南陽」での目的地は2ヶ所です。
1つは『黄忠故里』…ここは「路線バス」と「タクシー」を乗り継がなければ行かれないようです。
もう1つは『武侯祠』で、それは市内にあるようなので容易に行けそうです。
まず『黄忠故里』から行くために、駅前から「5路バス」に乗り、終点まで行きます。
11:55「バス」は発車し、終点の「新店郷」に着いたのは13:05でした…
「新店郷」に着くと「輪タク」が屯してるんで、『黄忠故里』のメモを見せて値段交渉です。
「輪タク」にはメーターなんて付いてませんからね。
「史跡アタッカーさん(仮)」のレポートには、「新店郷」から「輪タク」で片道40分と書かれており、けっこう遠いのかも…
とりあえず「20元」で行ってくれるようで、13:10出発しました。

道中は「悪道」で普通に座ってられませんでしたよ…

11:30『黄忠故里』に着きました。
片道20分で着いたよ。
「運ちゃん」には、ここで待っててくれたら「往復40元+10元やるから」と待っててもらう事にしました。(授金之計)
でも、門に「鍵」が掛かってるよ…
「またかよ…どうすりゃいいんだ?」とオロオロしてたら、「運ちゃん」が来て「石」で門をゴンゴン叩き出しました。
すると中から「オジイちゃん(管理人?)」が出て来て、入ることが出来ました。

入ると、まず目に付くのが「季漢後将軍剛侯黄忠故里」の石碑です。
その後ろにあるのが『黄忠祠』ですが、ここは最後に見ることにしました。

この『黄忠故里』内の作りがどうなってるのか分からないので、入って左側の「祠」から順に見ていくことにしました。
これは「昭烈宝殿」です。
中には左から…

『馬超』『張飛』『諸葛亮』、

『劉備』『関羽』『趙雲』の塑像が並んでいます。

その隣りの「祠」は全然知らない神が祀られていました。

門から入って正面奥のこの「祠」も「三国志」関連ではありませんでした。

最後に『黄忠祠』に入りました。

中の『黄忠』の塑像です。

13:45『黄忠故里』を出ました。
見所は少ないものの、数少ない『黄忠』に関する史跡ですからね。
来てみて良かったです。
「四川省成都」の「黄忠祠」や「黄忠墓」は「文化大革命」で破壊されてしまってる今、是非この『黄忠故里』に墓を作ってあげてもらいたいものです。
無料で見学しましたが、墓を作るためには少し寄付と言うか「入場料」取ってもいいのかもね。
…でも誰がここに来るんだろ?
「三国志マニア」の日本人しか来ないことは予測出来るしね。
そして俺がこの『黄忠故里』が「河南省南陽」にあるのを知ったのは、旅に出るほんの2日前くらいなんです。
新たに見つけた「史跡アタッカーさん(仮)」のサイトで知って、元々行く予定だった『武侯祠』に加えて、この『黄忠故里』もハントしに来たワケなんです。

帰りも同じ「凸凹道」を通ります。
ケツが痛くなりましたよ…

14:05「新店郷」に戻りました。
ホント、田舎です…。
14:10「5路バス」は発車し、15:25「南陽站」に着きました。
次は『武侯祠』に行きます
この『武侯祠』ですが別名『臥龍崗』といい『三顧の礼』の舞台として「湖北省襄樊」と争っていたんです。
「出師表」に「南陽に耕す」とあったことから、「南陽」に『諸葛亮』がいたと主張しているんですが、それは「少数説」でして…。
「新野」にいた『劉備』が敵地である『魏』(南陽)まで入りこんで『三顧の礼』をやったとは考えにくいですからね。
やはり、当時「新野」に駐屯していた『劉備』は、その南側の「襄樊市古隆中」にいる『諸葛亮』に会いに行ったと考えるのが自然でしょうね。

『武侯祠』を続けてレポートすると中途半端に字数制限に掛かりそうなので、次のレポートで『武侯祠』を紹介するとしましょう。



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