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男たちの大和~帝国海軍・軍港「呉」編(後編)

2015年11月01日 | 幕末~明治史跡めぐり
11月1日(日)
次は9:00開館の「大和ミュージアム」に行くよ~

コレは呉中央桟橋ターミナルです。

後で行く「海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)」です。

呉中央桟橋ターミナルの隣りが「大和ミュージアム」だよ(入館¥500也)

1F「大和ひろば」に展示されている全長26.3mある10分の1サイズの戦艦「大和」だよ

戦艦「大和」と…

「長官艇」の模型です…艦隊司令長官が旗艦から上陸するときなどに専用で運用されていたそうです。

コレは石坂浩二サンが「鑑定団」で自ら購入して寄贈した…

戦艦「長門」軍艦旗だよ 3.6m×5.4mだって~


まず、大型資料展示室に入りました。

コレは特殊潜航艇「海龍」(後期量産型)です。

「海龍」は飛行機のように翼を使って自由に潜航・浮上する事を目指して呉海軍工廠などで潜航実験や研究・開発が行われた小型潜水艦です。

コレは「九三式魚雷・二式魚雷」

「九三式魚雷」内部。

コレは特攻兵器「回天」十型(試作型)です…人間魚雷とも言われ、平均年齢21歳の100名以上の尊い命が失われました。
こんなのに人が入って海中から敵艦に特攻するんだよ…信じられんわ。

コレは「零式艦上戦闘機六二型」です。

映画「永遠の〇」では「零式艦上戦闘機二一型」の原寸大模型が制作されたんだよ。

俺は過去にはワシントンのスミソニアン博物館でもゼロ戦は観てるんだけど…ソコには「晴嵐」もあったのに当時そんな詳しく知らなかったから観てない(観てても覚えてない)んだよね。

コレはドラマで使われたセットみたい。

戦艦「大和」などで使用された46センチ主砲弾や、戦艦「陸奥」などで使用された41センチ主砲弾をはじめとした各種砲弾や火薬缶などが展示されています。

次は「呉の歴史」展示室に行ってみます。

東郷平八郎の鉄瓶や懐中時計がありました。

大正時代の資料です。

戦艦「金剛」と、金剛搭載のヤーロー式ボイラーです。

戦艦「長門」模型。

航空母艦「赤城」模型。

一等巡洋艦「最上」模型。

現在は航空自衛隊ってのがあるけど、戦時中、航空機ってのは全部海軍所有だったのかな?

零式水上偵察機。

艦上爆撃機「彗星」。

伊号第16潜水艦模型(左上)、伊号第37潜水艦模型(右上)、伊号第52潜水艦模型(左下)、伊号第400潜水艦模型(右下)

「蒼き鋼のアルペジオ」でもお馴染みの「伊400潜」型だよ~

特殊攻撃機「晴嵐」を3機搭載し“海底空母”と呼ばれました。

徳之島沖に沈んでいる大和…

戦艦「日向」軍艦旗です。

東洋一の軍港・日本一の工廠となった「呉」は、横須賀の俺からすると追い抜かれた嫉妬心のようなモノがあるんだけど…呉軍港空襲では「榛名」「日向」「伊勢」などが沈没されてるよ。
横須賀は現在、米海軍横須賀基地が置かれていて旧鎮守府庁舎が在日米海軍司令部庁舎になってるだけに…そんな爆撃せずに残しといてくれたのかなぁ?

探照灯(反射鏡)と、現存する「大和」の設計図面です。

ミュージアムショップで買い物して9:50ごろ「大和ミュージアム」を出ました。
これなら「アレイからすこじま公園」に行ってから、9:30ごろ「大和ミュージアム」に入っても遅くはなかったなぁ。

ミュージアム前で呉の観光課?がアンケートやってて、景品がもらえるみたいなんで参加しました。

ミュージアム前のレンガパークに展示されている…戦艦「陸奥」艦尾旗竿と主錨です。

フェアリーダーって何?

41Cm主砲身(四番砲塔左砲)です。

戦艦「陸奥」の引き上げ品、殉職将兵の遺影や遺品の多くは山口県周防大島町の「陸奥記念館」に展示されています。

スクリュープロペラです。

主舵です。
戦艦「陸奥」は1921年10月24日に竣工した戦艦「長門」型2番艦で横須賀海軍工廠で建造されましたが、主砲身など主要な部材は呉で建造され運搬されました。
1943年6月8日正午過ぎ、山口県柱島泊地にて三番砲塔(主砲火薬庫)付近が突如爆発事故を起こし沈没…乗員1,121名の方が死亡しています。
来年には横須賀に現在「船の科学館」に展示されている41Cm主砲身が譲渡されて来るよ

「海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)」は次の「呉地方総監部 第1庁舎(旧鎮守府庁舎)」見学の後に行くからね~

さぁ、またさっきの地方総監部前まで行くよ。

ココが一般的にはゲートなんじゃない? でも集合場所は上の地方総監部前です。

10:15ココで家から持って来ていた体力回復アイテム?を使用…寝不足な上にまだ飲まず食わずだからね。
もう既に見学希望者(要事前予約)も集まっていて、10:20ごろから受付が始まったよ。

さっきは門越しだったけど、中に入って写真を撮りまくれます。

職員の方が説明してくれます…現庁舎は二代目で1907年竣工だよ。

明治19年(1886年)「海軍条例」が制定され、全国の海岸・海面を5海軍区に分かち、各軍港に鎮守府を設けることにしました。

第一海軍区鎮守府の「横須賀」に続き、第二海軍区鎮守府を「呉」に設定し1889年に開庁…同年「佐世保」、1901年には「舞鶴」に開庁しています。
ただ、当初予定されていた「室蘭」への設置は1903年に取り止めとなっています。
海上自衛隊では、かつての海軍区・鎮守府に相当するものとして地方隊・地方総監部(現在は横須賀・舞鶴・大湊・佐世保・呉地方隊)が置かれています。

こっちの建物も庁舎なのかな?

これらも築100年以上経っているのかね?

レンガ造りなのが味があるんだわ。

庁舎裏(海側)の大階段です…呉鎮守府ができた当初、明治天皇がおこしになることが決まり…海側から船に乗って来られるということで、急遽作られた階段です。
でも上陸して、階段前で馬車が停まるはずが…工事用に作られた脇の細道を登って来てしまい、この大階段は実際に使われることが無かったそうです。

この呉地方総監部(旧呉鎮守府)の建物は、陸側・海側両方が表となるようにデザインされているんだよ。

10:40ごろ…もう解散のようです。
…庁舎の周り1周して終わり?中も見学できないの?
見学時間10:30~11:30ってなってたんで1時間取っておいたのにコレだけかよ…意外すぎてガッカリ感も無かったわ。
ちなみに「艦艇一般公開」もあったんだけど、時間も無いし…地元・横須賀で護衛艦とかよく観てるから申し込まなかったんだよ。
11:30に鎮守府見学が終わってから「海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)」に行く予定だったけど、50分早く終わっちゃったからね…行けないと思ってた「入船山記念館」に先に行ってみることにしたよ。


10:45「入船山記念館」に着きました。

「旧東郷家住宅離れ」です…東郷平八郎が呉鎮守府参謀長(階級は海軍大佐)として呉に在任中に住んだ家の離れ座敷で、昭和55年に移築されました。

「旧呉海軍工廠塔時計」は大正10年に呉海軍工廠造機部庁舎屋上に設置されていたモノです。

番兵塔とガイドさんの控室?

これより先は有料ゾーンです。

コレは「旧高烏砲台火薬庫」で…明治35年に陸軍が音戸の瀬戸に近い休山に建設した高烏砲台の跡地から昭和42年に移築して復元したモノです。
総石造りの火薬庫は全国的にも珍しいんだって…今は資料館かな?

中の展示品です…手榴弾もあるね。

銃弾や薬莢です。

コレは郷土館です…ココで「入船山記念館」の入館券(¥250→俺は大和ミュージアムの半券持ってたんで¥200也)を買いました。

2階は展示室です。

旧呉鎮守府司令長官官舎及び長官関係の資料が展示してあります。

コレが「旧呉鎮守府司令長官官舎」ね…鎮守府開庁の翌年に建てられましたが、明治38年(1905年)の芸予地震で崩壊してしまいました。
その後、建て替えられましたが…平成7年に明治38年の資料をもとに建築当初の姿に復元されています。

和館部から入って内部(洋館部も)が見学できます。

コレは「大和」…?

品のある椅子だね。

壁面や天井の壁紙には「金唐紙」が各所に見られます。

応接所です。

食堂です。

客室です。

和室です。

コレは地元・横須賀の「旧横須賀鎮守府司令長官官舎」だよ…毎年、桜の季節に一般公開されます。

旧海軍燃料タンク基地にあった水畜式油槽鉄蓋です。

屋根に使われている天然スレート(粘板岩)の魚鱗葺きです。

明治17年に建てられた石燈籠が移築されています。
11:15「入船山記念館」を出ました…

あと約1時間あるけど…やっぱり「アレイからすこじま公園」は諦めて「海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)」に向かいました。

また「大和ミュージアム」前を通り…

11:35「海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)」に着きました。

近くに停まってた車は「艦これ」?(あんま「艦これ」は詳しくないので)

先に近くのお土産屋に入ったんで、11:40「海上自衛隊呉資料館」に入りました。(¥無料)

実物の潜水艦を陸上展示した日本唯一の資料館だよ

コレはペルシャ湾で掃討した機雷だって。

ロシア製機雷とイタリア製機雷です。

掃海艇の活躍を展示しています。

コレは水面に浮上した機雷を銃撃で処分する機関砲です。

コイツは?

潜水艦の活躍を展示しています。

これはヘリ?

展示用潜水艦「あきしお」に入りました。
昭和60年に進水した「ゆうしお」型潜水艦「あきしお」は様々な任務を遂行し、平成16年3月に除籍…同年18年9月に国内最大の起重機船(クレーン船)で陸揚げされ、呉資料館に展示されました。

2004年(平成16年)3月3日に潜水艦「あきしお」は除籍になりました…最後に電機担当者が電源を切った時間、午後1時45分18秒で時計は止まり、艦もその一生を終えました。

トイレとシャワーです。

ハッチだね。

操舵室?と潜望鏡です。

レーダーだって。

艦橋の説明です。

第2次世界大戦中に日本海軍の潜水艦(伊400型)が装備していた双眼鏡です。

第2次世界大戦中に米海軍の潜水艦が装備していた双眼鏡です。

12:00「海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)」を出ました…潜水艦の腹?なんてフツー見れないよね。

まだ30分くらい時間はあるけど…「ヤマトギャラリー零」は行かず、駅に向かったよ。

12:33「呉」発の呉線に乗ったよ…呉駅の着メロは「宇宙戦艦ヤマト」なんだよ。

駅には早く着いてたんで昨晩宿泊?した「大和温泉物語」が入ってるビルの中の100円ショップに行って買ってたパンとオニギリを車内で食ったよ。

13:15「広島」に着きました…コレ、RedWing号だって カープカラー?でカッコいいね

広島に着く前に「マツダスタジアム」見えたよ~
俺の今季の優勝予想「カープ」だったんだけどな~

今回、旅程に組み込めなかったけど呉港や広島港からフェリーで渡れる江田島には「旧海軍兵学校」があります。
9月19日に地元・横須賀(田浦)の「海上自衛隊第2術科学校」に行って来たけど、この江田島に「海上自衛隊第1術科学校」があるんだよ。(俺も今回の史跡ハントのためにガイドブック見て知ったけど)
今回は時間が無いから行けないけど、海上自衛隊第1術科学校は元「海軍兵学校」で明治21年に東京築地から移転してきたんだって…主に砲術、掃海、航海、通信などを訓練しています。
ちなみに術科学校は第1~第4まであるよ…第3術科学校は下総航空基地にあり、航空機の整備、基地運用、施設工事に関する術科教育を行っています。
第4術科学校は舞鶴にあり、経理、調達、保管、補給、給養及び業務管理に関する教育訓練を行っています。
横須賀の第2術科学校では機関、電機、工作、情報、外国語等に必要な知識及び技能を修得させるための教育訓練を行っています。

この「広島」から向かったトコが今回の旅の《シークレット》だよ さて、どこに行くのやら…お楽しみに~



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