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三国「蜀」終焉の旅⑥~陝西省勉県『武侯墓』編

2007年10月02日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
10月2日(火)1/2
さて、この旅も中盤に入りました。
そして今日の目的地は初日の『成都武侯祠』と同じく、この旅で最も重要な地である「陝西省勉県」の『武侯墓』『武侯祠』です
昨日「ホテル」に連れて来てくれた「ニーちゃん(タクシー運転手)」と6:30に待ち合わせる約束をしたので、5:00「起床」しました。
6:00ごろ一度「フロント」に降りて、昨日も夜「フロント」に確認した「上西汽車站」が何時に始業するか聞きに行きました。
高い「ホテル」に泊まったんだから、いろいろ利用しないとさ。
そしたら「フロント」の「オネーちゃん」は椅子を並べて寝てました。
起こして「汽車站」に電話してもらうも、まだ始業前みたい…。
これじゃ、6:30に出るのは無理だな…。
じゃあ「アイツ(ニーちゃん)」はどうしようかなぁ。
本当に来る気あるんだろうか…
とりあえず昨日「携帯番号」教えてもらっていたから電話しました。
「6時半に出れないから来なくていいよ」と。
俺も「自分の伝えたいこと」くらいは「中国語」で何とか話せるんだけどな…。
「聞き取り」が全然出来ないよ。(それでも少しは進歩してるけどさ)

とりあえず、6:50チェックアウトしました。
これが今迄で最高値の「ホテル」…

「タクシー」で、7:00「上西汽車站」に着きました。
「汽車站」の近くには「火車站」もありました。
当初一度「漢中」に出てから「勉県」に行かなきゃならないかな…と思っていましたが「漢中」行きが「勉県」も通るようで、うまく「勉県」まで買えました。
…ですが出発は8:20です…
またロビーでボォ~っと待ち、8:20「漢中」行きの「バス」は出発しました。
これは途中下車になるんだろうと思ったので、「運転手」に「私は中国人ではありませんから、勉県に着いたら教えてください」と「中国語」で書いたメモを見せておきました。

途中は、こんな山の中を走り続けます。
そして「勉県」の高速出口付近で大渋滞です。
ほとんど全員が「漢中」に行く人民なので、「どうして勉県で(高速を)降りるんだ?」と渋滞のせいもあって車内の人民たちが文句を言い出しました。
普通の人民なら高速出口前の分岐点で降ろされちゃうんだろうけど、行きに見せておいたメモが効きました。
「運転手」は「中国語話せない外国人が勉県で降りるんだけど、こんな所で降ろせないだろ」と車内の人民たちに説明してくれていました。

渋滞の原因はトラックの荷重検問みたいだったので、うまくすり抜けて、11:50「勉県」に入りました。
すると、ある広場に『諸葛亮』像を発見
運良く「バス」もこの広場近辺で停まって降ろしてくれました。

どうやら、ここは『三国広場』というらしいです。
「史跡アタッカーさん(仮)」も紹介していないので、きっと彼の訪問以後に造られた広場なんでしょう。
この『諸葛亮』像、なかなか「目つき」がいいと言うか、今までいろいろ見てきた『諸葛亮』像の中でも、かなり好きかも。
12:15『三国広場』を出ました。
「バス」が高速を降りたとき見えたのが『定軍山』の標識だったので、『武侯墓』から行くことにします。
「輪タク」を拾って行くも、近くで「この先を真っ直ぐ行けば武侯墓だ」と降ろされてしまいました。

入口まで10分以上歩いたかな?
最初、値切ったから入口まで行ってくれなかったんだ、と思いましたが、この入口に着くまで車は渋滞してたからね。
まぁとにかく、12:40『武侯墓』到着です

入場券30元を買って中に入りましたが、また並ばずに券を買う人民がいます。
怒ってるのは俺だけで、他の人民は何も言わない…
これじゃ、どんなに都市が発展しても、住む人民の文化(常識)レベルが上がらなきゃ、真の国の発展にはなりませんよ…。

これは何の壁だろう?

『武侯墓』に入りまーす。

「大殿」に入るとあるのが…

『諸葛亮』の塑像です。

左右にいた2人は誰だろう…

ジオラマで「北伐」を紹介していました。
これは、このすぐ近くの『定軍山』での戦いです。

そして、これが『諸葛亮孔明』の墓碑です。
『漢丞相諸葛忠武侯之墓(左)』と『漢諸葛武侯之墓(右)』と彫られています。

その後ろにあるのが墓陵です。
『諸葛亮』は「漢中」の『定軍山』に「魏」が見えるように葬られたといいます。
そして「遺言」により質素な墓とされました。

この建物の中には…

『諸葛亮』の「位牌」でしょうか?

ちょっと上の方にある「亭」を覗いてみると…
『漢丞相諸葛忠武侯之真墓』と彫られています。
これが本物の「墓石」なんでしょうか

また別の場所ですが「青年諸葛亮像」なんてのもありました。

14:20ごろ『武侯墓』を出て、「お土産屋」を物色します。
『諸葛亮』グッズを買い込みました。
その最中「日本語」で「高けーよ」とか言ってたら、横から「あぁ、日本語だ」と。
日本語を勉強中という男性に思い切り聞かれていました。
写真(右)は「お土産屋」の前の駐車場にあった『諸葛亮像』ですが、今まで見た『諸葛亮像』の中で一番カッコ悪いぞ。

駐車場付近の壁画にも「三国志」の名シーンが。
「桃園豪傑三結義」

「虎牢三英戦呂布」

「甘露寺劉備招親」

14:30『武侯墓』をあとにしました。
近くの風景です…って思いっ切り田舎やね。

恐らく、この山の辺りが『定軍山』なんだと思います…
さて次は『武侯祠』と『馬超祠』に向かいます。
続きはまた後の更新にてレポートします。



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