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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

CUBE(V)

2009-03-04 22:52:59 | 映画(か)
評価点:79点/1997年/カナダ

監督:ヴィンチェンゾ・ナタリ

これぞ究極の資本主義社会をうつすシュールレアリスム。

ある日突然、目が覚める四方を壁で囲まれた部屋にいた。
男女6人はやがてその立方体の正体をつかみ、脱出を試みる。

言わずとしれたホラー映画の傑作だ。
今で言うところの「SAW」のような位置づけだろうか。
「SAW」のほうがストーリー展開がある分、この「CUBE」のほうが怖い。
もう10年も経ってしまっているために、忘れ去られた感があるが、まだまだ十分おもしろい。

まだ観ていない人はぜひ観るべきだと思う。
あまりすっきしりしないかもしれないが、それがいいのだ、と思える映画。

▼以下はネタバレあり▼

理由もなく放り込まれたCUBEという箱の中の恐怖を、描いた本作は、巧みな設定と展開によって成り立っている。

まず六人の設定。
警察官、CUBE設計者、医者、数学専攻の学生、自閉症患者、脱獄常習犯、という合理的な役割をになっている。
警察官が集団を統率し、医者が集団と彼との潤滑油の役割を果たし、CUBE設計者が必要な情報だけをもってその意図を伝える。
学生はその法則に気づき、自閉症患者はもう1つの天才的な能力を発揮する。
脱獄犯は「脱出する」という意思を集団にもたらす。

彼らは一見バランスよい性格を持ったもの同士が、集められているかのように見える。
しかし、彼らに要求されているのは、その「能力」だけであり、「人材」という意味合い以外に、「選択」の理由はないのである。

その集団もやがて崩壊するように、プログラムされているかのように、次第に亀裂が生まれる。
本当に恐ろしいのは、生きるために人を裏切り、集団内で有利に立とうとする人間模様だ。
その過程が無理なく展開して異常な空間を作り出していく。
問題作であろうが、それでもこの説得力ある世界観は、ひとつの社会模様を表しているようにさえ思える。

バランスよい人物設定もそうだが、「CUBEというわけの分からないシステムから、理由も分からず脱出しなければならない」という目的が、すでに現代社会を暗示している。
つまり、高度資本主義社会という「誰が作ったかわからない」システムの中で、
「作り上げたからには利用するしかない」という、
「だれのでもない意志」によって決定されたことを、
「必死になって」戦わなくてはいけない状況、
こんな矛盾ともいえる巨大な社会意思を見事に再現している。

結局、この社会で生きていくとは、すでに決定された物事に対してそれをただ辿っていくことに他ならないのだ。
ただあまりにそのシステムが完璧に、また一人歩きしているために、その中にいる人々は分からない。
また高度に複雑化したシステムは、誰が作ったものでもなく、誰もが参加し、誰もが携わってきたという責任のよりどころのないものなのだ。
それがいつのまにか出来上がり、いつのまにか「使用」されているのだ。

恐ろしく計算された世界で人は争いあい、死んでいく。
だからそこから脱出することは「不可能」なのだ。
映画の結末で、脱出できたのは、競争とは無縁の自閉症患者だけだ。
完璧に作られた世界では、誰も逃れることなどできない。
勝ち負けの決定を強要されている状況だが、実は誰も勝者のいない不毛な競争を強いられているにすぎないのだ。
登場人物たちの誰もが、この理不尽なゲームに対して、脱出の放棄を掲げないのは、「映画」という枠のある世界だからではない。
資本主義という競争の枠内で常に生きてきた現代人だからだ。
逃れられない理不尽なゲームに、「乗る」ことしか許されていない現代人だからである。
その中で仲間であるはずの人間を裏切り、陥れあうのは無理のないことなのだ。

この映画のうまさは、そうした現代社会を見事に具現化したことだ。
この映画が誰に対しても降りかかるような、特殊な同化効果を促すのはそうした構造に支えられているからだ。
完璧さの基、肥大化しすぎた社会、これほど恐ろしいCUBEはない。

(2003/10/8執筆)

今思えば、安部公房のシュールさに似ているかもしれない、と思う。
ぜんぜん手法は違うけれども、すごく鋭い視座を持つあたりが、そして、ただ単なる物語としておもしろいという点が共通点だろうか。

安部公房も是非、読んでください。

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