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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ある愛の風景(V)

2010-04-06 20:03:10 | 映画(あ)
評価点:88点/2004年/デンマーク

監督:スサンネ・ビア

普通の人々の、愛の普遍。

ミカエル(ウルリッヒ・トムセン)はデンマーク軍の兵士としてアフガニスタンに派兵される。
それまで反発していた弟のヤニック(ニコライ・リー・コス)は、彼の出発を知り、久しぶりに家族の元へ帰った。
数日後、ミカエルの妻子は、夫がヘリコプターごと撃墜されたことを知らされる。
動揺を隠せない妻のサラ(コニー・ニールセン)は、ヤニックに励まされながら、なんとか立ち直り始める。
一方、アフガニスタンで捕虜となったミカエルは、帰国できることを願いながら、苦しい日々を送るが…。

僕がお世話になっている美容室で結成された「M4」会(映画を愛する会)で、2000年代ベスト10を検討しているときに、猛烈に勧められた一本である。
普段利用しているGEOには置いていないので、機会を見つけられずにいたが、「マイブラザー」という作品でリメイクされることを知り、TSUTAYAで借りることを決心した。

劇場で「マイブラザー」の予告編を観てしまったので、大筋のストーリーは知っていた。
六月公開なので、そろそろ多くの劇場でも予告編が流されることだろう。
僕はこの予告編がなかったらもう少し先に見ることになっていただろうが、是非早く観てもらいたい。
たぶん、この映画はリメイクよりも、デンマーク映画として観た方がおもしろい。
なぜなら、豪華キャストのハリウッドリメイクよりも、この映画のテーマは、もっと素朴な人間性を描こうとしているからだ。

M4会で言われたことは、「すごい映画だけれども、これは真実を描いていると思う」ということだった。
愛の真実を描いた作品。
そんな映画はそう多くはない。
余計な刷り込みをされる前に、是非、DVDを観てほしい。

ちなみに、原題はデンマーク語で「ブラザー」にあたる言葉のようだ。
確かに「ある愛の風景」では的を射ているようで、ようわからんタイトルではある。

▼以下はネタバレあり▼

この映画がすごいと思えるのは、誰一人特殊な人間がいないことだ。
もっと言えば、どこにでもいる人間を真摯に描こうとしたところに、この映画の普遍性と特殊性がある。

DVDを再生して20分で泣いた。
大げさなのかもしれないが、20分でミカエルの死が告げられる。
ストーリーは知っていたので、ミカエルが死んでいないことは知っていたが、それでも泣いた。
20分間で、十分にこの映画が描こうとしている人間像を捉えることができたということの何よりの証拠だ。

ミカエルは優等生だった。
それは父親からも誇りに思ってもらえるような、典型的な長男だった。
兵士はふつう、落ちこぼれにはなれない。
兵士は、その国で最も優秀な人間がなるものだ。
ミカエルもまた同じだった。

弟はその出来過ぎる兄をみて育ち、自分の出来なさに嫌気がさしていた。
嫌気がさして、銀行強盗を試みて、実刑を食らった。
おそらく彼には家族で居場所がなく、自分をもてあましていたのだろう。
兄はそんな弟を見捨てることなく、ヤニックの代わりに被害者に頭を下げていた。
兄はやはり、どこまでも出来過ぎたのだ。

父親は弟を愛せなかったのではない。
父親は出来過ぎる兄に対して、弟をもてあましていた。
だが、愛していなかったのではない。
それは兄の死が告げられた後の彼の言動で十分に読み取れる。

そう、彼らはごく一般的などこにでもいる人間たちだった。
普通に暮らし、普通に失敗し、普通に愛のある家庭を築いていた。
特殊だったのは、ミカエルの身に起きた出来事だけだった。

普通の感性を持つミカエルにとって、仲間を殴り殺すことがどれほどの意味を持っていたのだろうか。
僕にはわからない。

ミカエルは、自分の変化に十分に気づいていた。
そして、どうすればいいか迷っていた。
妻子にさえ話さないのは、話せないからだ。
ラストの妻の「話して、出ないともう二度と会いには来ない」という詰問に対して、「勘弁してくれ」という台詞は秀逸だった。
まさに彼には重すぎたし、妻子ある人間を殺すことは、自分を殺すと同義だったのだ。

それでも彼は優しかった。
僕はこの映画で何度か泣いたが、一つはミカエルが殺した仲間の妻子に会いに行くシークエンスだ。
本来なら会いに行く必要は全くなかった。
だが、彼は会わずにはいられなかったのだ。
自分の罪を誰にも話すことができず、でも、それを背負いきることもできずに、殺した無線技師の兵士の遺族へ会いに行く。
それは、彼の優しさの何よりの証拠だった。

だから戦争はいけないのだ、とか、だからアフガニスタン攻撃は間違っていたのだ、とかいった批判はこの映画には無意味だ。
もちろん、アフガニスタン人への描き方が甘いだの、不自然だの、ステレオタイプだのいう指摘もこの映画には無力だ。
そういう指摘は、ついしたくなる。
だが、全くナンセンスだ。
なぜなら、この映画はどの時代でも、どの国でも、どんな家庭にも当てはまる普遍性を描いているのだから。

ヤニックが未亡人となったサラに惹かれるのも、また、それでも一線を保ち続けるのも、きわめて自然だ。
下手な脚本家なら、本当にサラとヤニックを結びつけてしまうだろう。
だが、愛の真実は、そんなことはできないはずだ。
ヤニックは兄を亡くすことで、より兄への敬愛を強めていた。
また、夫の死を、サラは誰かのぬくもりというよりも、周りの支えによって乗り越えようとしていた。
それもまた、愛の真実であり、愛の普遍だ。

もう一つ。
この映画の真の功労者は、二人の娘だ。
特に姉の子役は抜群である。
この映画は言葉ではなく、表情で語らなければならないカットが多い。
ある意味では役者泣かせの映画だが、それでも彼女たちは完全に演じきった。
何もないのに、涙が一筋流れる。
その不自然さを、自然に演じた彼女たちは、本当にすばらしい。

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