secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

マイ・ボディーガード

2009-02-01 08:09:58 | 映画(ま)
評価点:54点/2004年/アメリカ

監督:トニー・スコット

全体的に噛みあっていない。

金持ちの誘拐が多発するメキシコで、元軍人のクリーシー(デンゼル・ワシントン)は、ボディーガードとして雇われる。
雇った相手は自動車会社を経営するメキシコ人、娘ピタ・ラモス(ダコタ・ファニング)。
クリーシーは、酒に溺れる生活だったが、ピタと交流するうちに、人間的な生き方を取り戻していく。
しかし、ピタがさらわれてしまい、クリーシーは「死の芸術家」と化して、事を真相を追究する。

小さな大女優・ダコタ・ファニングと、近年ますます磨きがかかったオスカー男優デンゼル・ワシントンとが競演した映画。
一説によれば、アメリカでは「演技でデンゼルを喰った!」と評判だったらしい。
ダコタ・ファンの僕としては、観に行かざるをえまい。
だが、正直、不満が残る映画になってしまった。
 
▼以下はネタバレあり▼

この映画最大の問題は、中心の軸がよくわからないことだ。
もっと端的に言えば、この映画のジャンルを問うとき、頭を傾げてしまうのである。
例えば、人間ドラマとしてこの映画をとらえてみた場合、どうしても冒頭が不十分ということになる。

デンゼル・ワシントンのクリーシーは、酒びたりの生活で、「死人も守れやしない」という元軍人である。
そして聖書を読みながら、「神は俺たちを許してくれるだろうか」と自問自答する。
その生活から救い出すものとして、ピタがいる。
しかし、なぜ酒びたりになったのか、という問いが全く解決できないのである。
確かに軍人が16年間も人を殺し続ければ、おかしくなるものだろう。
だが、それが実際何が彼をそこまで追い込んだのか、という点が掴めない。
だから、ピタが彼を変えたとしても、なぜ変えられたのか、よくわからないのである。

そうなると、後半の復讐劇にも全く感情移入できない。
なぜそこまでピタを誘拐した犯人達を殺していくのか、という点が掴めないのだ。
後半の指きりやC4爆弾の拷問についていくことができない。
単なる弱いものいじめ、自分がピタを守れなかった腹いせに見えてしまう。

予告編で「レオン」などと同列に扱っているが、そこまでの内的葛藤が描ききれていない。
だから、人間ドラマとして〈読む〉ことが不可能になってしまう。

では、アクション映画としてなら見られるのか。
それも無理そうだ。
アクション映画の醍醐味は、危険な場所、相手、状況に挑んでいくから楽しいのだ。
コラテラル・ダメージ」にしても、「ダイハード」にしても、どんなアクション映画でも、肝になるのはそこだ。
しかし、この映画はそれがない。
後半、クリーシーは、敵と戦う。
だが、それは無抵抗で非力な「弱いものいじめ」にすぎないのだ。

なるほど、敵の実態がつかみにくい「エルマンダー」を相手にしている。
ところが相手は無抵抗であり、全く手ごわくない。
簡単に爆死して、簡単に指を切られてしまう。
それではギリギリのシチュエーションを楽しむ、といった面白さはあり得ない。
敵があまりにも弱者なのだ。
「俺はプロだ」と吐く彼らは、誘拐のプロであって戦闘のプロではないのだ。
彼等の強みは、唯一、実態がつかみにくく、あらゆる職業に紛れ込んでいる集団ということだけだ。
この特性によって、この映画はサスペンスという観方に可能性を見出す。

では「マイ・ボディーガード」は犯人探しのサスペンス映画なのか。
それも三流以下だとしか言えない。
この映画のサスペンス性は、犯人がそれぞれの役割だけを担い、誰が首謀者か、よくわからないということだ。
それによって、主犯格にたどりつくまでに真相が徐々にわかってくる、という面白さがうまれるのである。

その意味では、娘と妻をとりまく人間が全て犯行に一口噛んでいた、という真相は、衝撃的で面白い。
シナリオや演出しだいでは、十分見所となり、作品の軸になりうるものである。
サスペンスとして三流以下である理由は、その点で失敗しているからである。

まず、サスペンスとして設定がいただけない。
母親(妻)は、金髪で白人。
父親(夫)は、メキシカンで黒髪。
この二人からどうやってすれば、ピタのような子が生まれるのだろうか。
彼ら三人が親子であることがわかった冒頭で、僕は必死に連れ子なのか、不倫相手の子なのかという設定を探したものだ。
この時点で、かなりの違和感がある。
この父親が、いい父親であるはずがない、とそう思わせてしまうほどの、違和感なのである。

これでは当然、父親は犯人(の一味)かもしれない、誘拐は狂言かもしれない、と思うのが普通だ。
しきりに会社が危ない、ということを口にする父親は、疑うには十分すぎる。
だから、わかりやすすぎて、サスペンスとして成り立っていない。

それだけではない。
クリーシーが撃たれて昏睡状態になる前までに、伏線があまりに少ないために、謎解きが謎解きとして成立していない。
問題設定がされる前に(謎として提示される前に)、問題が解決してしまうのである。
そして決定的なのが、冒頭の弁護士と父親のやりとりが、物語を無駄に混乱させるためだけの伏線となってしまっている点である。
弁護士と父親がグルであれば、
「この前の被害者は、耳を切られて発見されたんです」
「娘にボディーガードを付けていないのは近所であなたのところだけです」
「これで奥さんも安心するでしょう」
といった会話をする必然性がなくなってしまう。

なぜなら、二人は狂言で誘拐の話を進めていたのだ。
誘拐を成功させるために、誘拐事件に遭っても娘を守れない人間を雇いたかった。
だから飲んだくれのクリーシーを雇ったのだ。
クリーシーならボディーガードをつけていた、という保険が下りる。
だから、その保険によって、身代金が払える(四分の一ずつ金を分けられる)、という算段だったはずだ。

それなのに、冒頭での会話は、娘のため、妻のため、ということになっている。
これでは二人の関係をいたずらに混乱させるための不自然な伏線となってしまう。
裏のプロットに整合性がなくなってしまうのである。
サスペンスとして、破綻してしまうことになる。

サスペンスとして必須であるはずの論理性や整合性が破綻する。
そのしわ寄せがすべて、「エルマンダー」という組織や、メキシコの治安の悪さという設定に放り込まれている。
なぜ、誘拐したのか → メキシコが貧しいから
なぜあれだけ大掛かりな犯行ができたのか → そういう街だから
父親はなぜ娘を危険な目にあわせたのか → メキシコ人だから
映画の肝となる部分が、全てメキシコという街のせいにされている。

原作「燃える男」は元々イタリアの話であったそうだ(未読)。
それをメキシコという、脚本家にとって都合のよい設定ができる街にしてしまったため、「なぜ?」という問いの逃げ口上となっている。
それなのに、メキシコという街や、「エルマンダー」という組織の設定が曖昧だから、サスペンスとして破綻してしまったのだ。

後半の展開で一番つらかったのは、ピタが生きているかどうか、ずっと不明である点だ。
この点については、作品の軸が人間ドラマであっても、アクションであっても、サスペンスであっても、失敗している点だ。
撃たれて目覚めたクリーシーは、相棒のレイバーン(クリストファー・ウォーケン:「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」他)に、身代金受け渡しに失敗し、ピタが死んだと聞かされる。
そこからクリーシーは、復讐に走るのである。
だが、クリーシーは、身代金の話も、ピタの安否も、具体的に誰にも真相を確認せずに、復讐し始める。

その点が、どうしても解せない。
復讐をはじめる人間が、ナンバープレートだけをてがかりに、犯人を追い始めるだろうか。
普通、身代金の受け渡しの失敗についてや、安否状況について、調べ直すだろう。

また、ピタの安否を敢えて隠した理由はどこにあるのだろう。
あの状況で、ピタが生きていることは、ハリウッド映画を観たことのある人なら、誰もがわかる“お約束”である。
それを敢えて隠して、「実は生きていました」という演出をする理由があるのだろうか。
わかりきっていることを感動的な演出で明かされても、観客はクリーシーに感情移入して同じように感動することはできない。
それならば、はじめから生きているという前提で話を進めたほうが、クリーシーの焦りや苛立ちがよく分かったはずだ。

感動させたかったのなら、ピタが確実に死んだという証拠を、クリーシーと観客にみせるべきである。
例えば、丸焼けの子どもの死体が見つかったとか、安否確認ができないような、それでいて死んだと想定させるに十分な証拠を、見せておくべきだった。
そうでなければ、ただでさえ感情移入できないクリーシーの行動動機が、さらに不透明になる。
映画で一番盛り上がるシーンで、同じように盛り上がれないのは、映画として観客は相当つらい。

そして、オチ。
救い出せた、というカタルシスよりも、無敵の主人公が死んでしまうという疑問のほうが大きい。
それまで復讐の鬼と化して、やりたい放題だったのが、急に大人しくなって敵の言うことを聞いてしまう。
「最後」の「最期」まで、クリーシーというキャラクターが掴めないまま終わる。
「レオン」のような切なさを出したかったのだろうが、映画館を出たときの満足感は、比べ物にならないほど、物足りない。

脚本や演出を少しひねればかなり面白くなったろうに、もったいない。

(2005/1/24執筆)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 既存の価値概念の崩壊。 | トップ | ターミナル »

コメントを投稿

映画(ま)」カテゴリの最新記事