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不易流『膠層』

2023-06-18 13:01:41 | 虚私
 コロイド状態とは結晶質へと変化する可能性がある物質に於ける動的な状態として定義しておこう。
つまりコロイド状態には「ENERGIA」を秘めている。新たに発見されたエネルギー状態への造語に、アリストテレスの影を認めるのは自由である。


 その含意は、結晶とか非晶質とか、そのような仮の姿や宿を問題とはしていないけれども、造語に頼って語り掛けなければならない自らの立場としては、その説明責任を果たす覚悟がいる。言うなれば比喩をもってその勤めを果たさんと、つまりリベラルアーツ、知覚問題である。

 グラファイトなどの実験等を通して結晶・非晶質にも通じていた彼がここでことさら峻別する事はない!方便として、クリスタロイドそしてコロイドと分離してみせたまでだ。

 事実その反響はアメリカの開業医ミッチェルからの第一報にはじまり、生理学者とか医化学者などから寄せられた事は彼にとっては本望ではなかったか。
 それが浸透問題へと及ぶにつれて確かな手応えを覚えていたに違いない。それがリービッヒやホフマンなどからの厳しくも優しい励ましは歴史的にも有難かったはず。とは言えその道筋が気体にも似たランダム・ウオークながらも、先人たちの叡智に頼りつつ時分を歩んできた。


小史
1859年  ベンジャミン・コリンズ・ブロディの論文「グラファイトの原子量について」 
        査読者はトーマス・グレーアム
1860年   第一回世界化学者会議 ブロディ参加。
カニッツァーロの小冊子 アボガドロの仮説とデュロン-プティの仮説を首尾一貫して用いて,物理学的データに矛盾しない原子量体系をつくりあげた.
1861年  “Liquid diffusion applied to analysis” コロイド概念を得る。
1863年  ”On the molecular mobility of gases” 満を持しての原子論を示唆。


 不可知論者ブロデイと共にあったグレーアム、あの論文はこの事実を下敷きとして読み解かれなくてはならない。実験哲学の書だけではすまない!物理・化学その境界を切り拓いたミクロコスモス。造語であるコロイド問題。つまり「COSMOSのai!」それが素朴な秩序を意味して要るわけではない。

そこからの彼は造幣局長官の重責を果たす中で、そこでの問題を終結させてゆく日々でもあったと、我々は知る。残された5年足らずにも論文を仕上げきった。振り返ればたった一本の「膠道」である。

 共にあったアンガー・スミスは、伝記作家としての役目も果たしてくれた。ギリシャ由来とかインドからの思想とかに言及しながら、それが五輪塔のような、五大の認識だと読み解ける。
つまりニュートニアンが受け継ぎ守ってきたその結果としてのパラダイム転換であった。万有引力ではない万有重力と言うべきか、


①疑問1;物体は距離をおいて光に作用し、その作用によって光の射線を曲げるのではないか。
②疑問5;物質と光は互いに作用し合うのではないか。
③疑問8;全ての不揮発性物質は、加熱させると光を放出して輝くのではないか。
⓸疑問30;粗大な物質と光は互いに転換できるのではないか
⑤Query 31 Queryのうちで最も長く最後にあるのが31である。ニュートニアンと言われる多くの人がこの問題を重要視した。その背景には『プリンキピア』の末尾での結語として書かれていたとされている。
 Dobbsにょれぽ,「ニュートンが錬金術から得ようと望んだのは,小宇宙において,物質を構成している活力のない諸粒子を組織付け活気づけるような,神の手による作用を,正確に知ることであった」のである。
つまり拡散・浸透等で語られるそれである。正に膠観である。


温故知新は対応原理である。
 父 ヴォルフガング・ヨーゼフ・パウリ(Wolfgang Josef Pauli、1869年=1955)オーストリアの医師、生化学者(コロイド化学、タンパク質化学)。彼はコロイド化学の基礎的な研究を行い、コロイドの理論を開発しました。
タンパク質の表面電荷がpH値に依存するという観察により、彼は電気泳動の基礎を提供し、カール ランドシュタイナー(ABO式血液型を発見)と一緒に電気泳動装置(タンパク質精製用の移送装置)の先駆けを開発しました。彼は、水和、膨潤、旋光性に対するタンパク質の電荷の影響を研究し、タンパク質に対する保護コロイドの効果と電離放射線の影響を研究しました。


その子、パウリと言えば排他律!? 誰もが知るその息子であり、誰もが知らない父である。
しかし親子して同じ道を棲み分けていた。古典的なコロイド化学であり、量子論的なコロイド化学の世界である。
 二元論的止揚からの「膠観」つまり相補償的なコロイド世界が彼を虜にしていた。


その息子の研究の足跡を参考に供する。1920-1938
① コロイドの純度問題 
② 電気傾瀉法によって、実質的には電解質を含まないコロイドを得た。
③ コロイド状イオウの化学的製法 非常に周到な研究により、イオウ粒子はチオ硫酸で安定化されていることを明らかにした。
⓸ 増感および安定化の現象 水酸化クロムの非常に純粋なゾルは振盪により容易に凝結する。

その彼は曰く「ハイゼンベルグは哲学的考察に欠けています!」と、ボーアに書き送る。その1年後「残念ながら私自身の哲学的立場は、全くもってはっきりしません。」とパウリへ書く。
 その彼は多くの哲学的な書を残してくれた事には注意する必要があろう。彼ら二人して「膠場」を建設したとさえ言いうる。量子化学の建設者である。

 アインシュタインの一般相対性理論が1916年に発表され、人々が競ってその解説を求めたとき、パウリは『数理科学百科事典』の一項目でそれに応えた時、21歳であった。 


①「結局、君は正しかった!この野郎!!」1932年1月22日 アインシュタイン⇒パウリ 
② 他 あの1905年、ブラウンもグレーアムも知らなかった、知らぬが仏!



参考文献など 
①「コロイド化学」B.ヤーケンソンス M.E.ストラマニス 玉虫文一監訳

② パウリは、原子核が出す放射線(ベータ線)のエネルギー分布を研究しているとき、エネルギーがどこかへ消えてしまうことをどう説明すべきか悩みました。そしてつじつまを合わせるために立てた仮説が、「電気を帯びていなくて、知らないうちにどこかへ飛び出してしまう、幽霊のような粒子がある」というもの。フェルミは、パウリの考えた粒子について研究し、ベータ崩壊の理論を構築していました。1932年に現在のニュートロン(中性子)が発見されていたので、幽霊粒子のほうを「ニュートリノ」と名づけ直しました。
 丁度、その頃のマヨラナは「物理学と社会科学における統計的法則の価値」等を書き上げていたらしい。けれども出版する事を躊躇していた。そこにもパラダイム転換があったものと理解される!














終活膠縁

2023-03-16 15:09:41 | 膠識
『あいまいなにほんのわたし』


大瀬の熟柿を頂いたその時分のその膠景が鮮やかに蘇ってきた。

峯下君が亡くなって久しい。
「せんねんの孤独」

われわれもまた、「御二人様の終膠活」その覚悟。

知っているかと思われたが未だに分からない、けれども戸惑ってなんかいない!

坊主でも、釣り糸を垂れて水面の風波を見つめていると、アースからの目線であることに気が付いて膠界していた。

砥部動物園でピースが生まれたその年に古里へ帰ってきてから間もなくしての事であった。

「相意膠」の揺らぎは多層構造だけではないと知ってはいる。
ノイズのごときなかでも、その膠点。

つまり視点のありようその導膠、つまり諦膠と言うべきか膠諦と言うべきか。

『時分の膠景』を求めゆく80億を超える膠民もまたゆく、
2060年問題とは錬金術師ニュートン。
そこの「疑問32」問題でもある。

その膠悌に流れる調べこそ「別れの曲」

祈念するべき新聞を読んで!







竹の秋

2022-05-17 13:11:13 | 膠識
   みかんやま ハチゼロニゼロ 竹の秋      虚私

 はじめもなくおわりもなくつみかさねるひび!

 三木清の言葉が思い出されたのはまたしても、クラスメートからの刺激であった。

 彼の生地で学び得たものの一つが『コロイドの発見」であった。

「しんじつの秋の日てれば専念にこころをこめて歩まざらめや」

 化学にうたれ、物理にうたれ更には熱力学にもうたれた。

グラハムの苦悩! “このおや”は母であり妹のマーガレットであった。“おやのこ”は父であった。

 若き学徒は貧窮に屈することはなかった。彼を語らせる論文は1831年とされる。

 その論文を確認するかのように翌年にLeslie(1766-1832)は、未完の著作を残して逝った。

 それからのグラハムはその教えを受け継いだかのように生涯その深化・拡散に邁進することとなる。

 その転機は30年後に訪れてきた。
そしてそこからの最期の日まで尽力したが未完であった。

 それが今なお新しい「プラズマコロイド」、熱力学と物理化学の「膠一対問題」である。

 つまり、そんな馬鹿な!と言われた、ビッグバン仮説に由来する宇宙問題であると同時にそれは生命の問題つまり細胞問題でもあると彼は既に喝破していた。

 そこにギュッと凝縮されたシンボル「膠象」をENERGIAと名づけてその実在をペクチンに託したのである。
その異化・同化にエネルギー保存則をも認めていたのであろう併せて「膠分子」にも気がついていた。

 彼の言うラジカルとは熱力学全盛の時代を止揚する画期的な発見であったとの意識がそこにはある。「しんかがく」・『隔壁 生膠学』と名づけておく。

 もっともその時代のラジカルには別の意味が付着してきたことには興味深い問題を孕んではいるが。






 
















自然は『膠然』である!

2021-06-01 10:28:03 | 虚私
自然とは『膠然』である!


 五月晴れとも言う梅雨晴れ間の朝は早い。日損村とか言われたとか聞くが五時前には既に青空が余を誘い出させる。
ご先祖様から引きづり出されたかのように臍が行く先を定めているらしい。それを背後からの力をいただくかのように、つまりジョガーが登り坂で肘鉄を食らわせてるかのように駆け上がる走りに似てくる。
 これがわたしの姿形、姿膠であるのではないか。

 お気いに入りのスポットの一つは”うみてらす”。
そこで案内される光景は、斎灘と伊予灘の狭間となる忽那諸島。寄せては返す「春の海」の調べの如きは心地よきものである。

 北条30番札所を教えてくれた女は、教えてくれ!とせがむので呟くように自然!
暫くしてから「わからない」との声を聞いたのかもしれないが。別れの挨拶も無く、一期一会であろうと思われた。
30番札所へ行っ手見た。其処からの眺めは彼女の大好きだと言う浜辺、粟井の浜辺であろうか。

 遍路さんとの出会いは何故かいつまでも記憶に新しいのは不思議である。
偶然の出会いではあるが、何故か必然であったかのように励ましを受けている。
 それが一通の手紙の交換であったりもする、その日付がそれを明瞭にしてくれたのは不思議な縁である。
出された日付は化学の日であった。それだけの事であったが。そこからの偶然が偶然を呼び出させたかのように、1111の日付で返書がきた。それらの数字がかもし出させる妙に心理を増殖させる。

 遍路さんは国道を避けて海辺の大好きなあの女のいるであろう斎灘コースをお勧めしておきたい。
振り返れば熟田津・一遍縁の浜辺や大山寺・円明寺を望む。行く先には「花へんろ」で知られる鹿島を目印に歩きたい。

 帰り道で昨日であった男とかち合わせた、朝日のつぶてを食らっていた彼には何も認識する事が出来なかったに違いない。なるほど彼は可愛い!と言われるようになったのだ。
小さな体で60キロを超えていたとは信じがたいが今では50キロくらいまで減量できたとか。整形外科医からの忠告を愚直に守っている性格だが、少し物足りなさを覚える。
パウリならば批判精神がないと書くところであろう。

 彼の出版されなかった「背景物理」は何時どの様な時分に架かれ、何時それを断念したのかを知りたいと思わぬでもないが、知りたかったのは「子の親」、つまり父としての責務を果たしていないかのような事を言われたりするのは不本意であろう。

 むしろ真逆であり立派に導いたと言うのが私の仮説である。それを裏付けてくれるのが「背景物理」には散見されていると、読む。
ここで注意を促しておきたいのは「物理化学」という用語は未だ定着していないと思われる事である。
アメリカに由来する『物理化学』には特に注意を払っておきたい。ここでは「光原子」説を思い出させるルイス、化学結合論の草分けでもある。

彼は幾つものノーベル賞を受賞していても驚かないけれども、結果として一個も受賞することもなく謎の死をもって語られているのは驚きである。

パウリの心理的な背景には「背景物理化学」と言うべき響きが、彼らしい趣と言うべきものであると理解されるであろうか。

更に言えばコロイド学者としての権威であった父を考慮するならば「背景コロイド化学」より簡潔に『背景膠学』と言われて良い。

 このような背景をもつ彼がで合った問題が、周波数とエネルギーであった。そしてその理解は中国やインドなど東洋世界へとつながりを得ながらなされた。

 ここでは心理学との自然な架橋を志しているのであるから、周波数と言うような選局をつまり個性を求めるのではなく、数多なる周波数を認識しつつ聞き流している現実は、むしろ「周波」の吟味でたりるのではなかろうか。

 繰り返し繰り返し単調に周回しているかのごとく思われるかもしれないが、私の散歩コースは数多に及ぶ。一つとして同じものはない。おなじ気分になる事も無いのは二重項ならぬ多重項と言われるスペクトル線で例えられはしないか。
 ここで簡単に表現を改めて見れば「膠周波」と言ってよかろう。

これで物理とか申す難しい学問を離れてその増殖を図れるであろうと、パウリに逆提案しておきたい。それが日常的な「膠景」なのだ。

 彼ならさほどの教養も無いと、一言あるだろうがそれは甘んじて受けたい。
つまりそれでも地球は回っている。あの頃から百年も過ぎたいま、それらは蓄積されて万人が共有して共存を模索できるまでに熟膠して参ったからだ!

最後に言っておきたい事がありはしないか?
 それが『相補償』。相補性原理ではなくむしろ補償性にこそ注視されるべきなのだ!相補的なつまり敵対的なものの調和を説くだけでは解決には程遠い。
然しながら自らの相、そこからの補償力に信を置く「膠揚」、それこそがグラハムの造語『ENERGIA』に発している、からだ。

「しんかがくの文法」

2021-03-22 11:23:14 | 膠識
 新型コロナ並びにトランピズムなどを想えば、心穏やかとは言われないだろうが、これらのような一過性の問題ではない「人新世」問題は既に時間との戦いに入っているらしい。

 「科学の文法」(科学概論)が思い出されてくる背景ともなった。

  進化論と共に歩み始める契機となった著者のその動機は、教科書問題であった。

第一版序 
 広く記されている力および物質に関する記述ぐらい言語道断に非論理的なものは想像するのも困難である。・・・かような教科書はほとんど教育的価値をもたぬという結論に達することを余儀なくされたのである。

第7章「物質」
① 「万物は運動する」- 但し概念においてのみ
⓽「完全な流体」「完全なジェリー」としてのエーテル
  実体として水とジェリーとは在る点では著しく一致していると共に、又在る点に於いては相違しているのである。

  一つの暗示として知覚的経験に目を転ずるならば、水はジェリーの根本成分であり、そして多少膠状の性質を加えたならば幾分抵抗あるジェリーになる程に硬くなり得るということが解かるのである。
 これはブラウン手法と言える。

  1845年ストークスによって提起された解決でありエーテルの膠質理論と呼ばれるものである。・・・端初原子の基礎として未だ研究を要するあるエーテル運動の体系と、果たしてどの程度調和し得るものであろうか。

  第1章へと戻ってみれば、過去40年間に人類社会の発達に於ける肝要な諸事実に関する渡したちの評価に、一の革命的変化が起ったので、・・・この新しい人生観に適応せしめることが必要になってきた。
  つまり19世紀中半からの科学革命が念頭にある。

  いま語られている地球問題は、2個や3個の地球では既に間に合わなくなっているともきく。
  SDGsの17の目標とか169もの標的などが産学とか官だけの問題で済むはずもない。

  膠智膠民、その心をもった『膠響子』からなる執拗低音、それはゼロの発見とも言うべき「空」膠観に重なってくる印度哲学。

  堀文子画(柳沢桂子文)「生きて死ぬ智慧」
・・・生命の根源に関心が集中しミジンコなど極微の生命宇宙を精力的に描くようになった。

  直ちに想起されてくるオストワルド親子のアメリカ大陸啓蒙活動時代。
1907年「コロイドの体系化について」は、息子の作品である。

  そこにみるBredig(1868-1944)の造語「ミクロ不均一系」

  われわれは直ちに思い出すであろう池田菊苗。立花太郎は池田菊苗とピアソンを結んで見せる。

  ところで調べを進めていくと・・・岡三郎氏が既に(夏目漱石)「文学論」の執筆にはピアソンの本が係っていたと推測していた。

  先生は更に彼らの哲学についても語っておられます。
エネルギー一元論。ではあるがオストワルドが語る世界観とは違った視座からのエネルギ~一元論である。

第8章 運動の法則
端折る事もできないから摘要の一部を転載しておく。

  私たちの取り扱わねばならぬ粒子は、エーテル単位、端初原子、原子、分子、及び微粒子である。・・・将来の進歩に対する希望は、エーテルの性質と、粗雑な「物質」の構成とのより明瞭な概念の中に掛かっている。

  カール・ピアソンならば、今何を誰との共同研究を希望するであろうか。更には教科書を執筆するのであろうか。

   



膠雲流態

2021-02-06 13:02:48 | 膠雲

        初春令月   気淑風和

予の「膠響誌」はデジタルである。


その年、天平二年末に山上憶良
   天離る鄙に五年住まひつつ都の風俗忘らえにけり

丁度、大宰府長官、大友旅人が大納言に進み都に帰ることになったそのころのこと。


その年の春であったか。
   憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も吾を待つらむそ


ところで作者不詳とも言われるが、多分大友旅人もしくは山上憶良と目される

   わが盛りいたく降ちぬ雲に飛ぶ薬はむともまた変若ちめやも




 誰しもが想いを馳せるであろう膠景、『膠雲流態』と言っておこう。

「信膠場」

2020-08-01 09:41:34 | 膠智膠民
 楕円は“アーウン”の大平正芳から生まれた出た政治哲学と言えよう。
その膠綜の革新性はホロニックと言う概念にある。

 清水博は生命が育まれていく「場」としての認識を素粒子論から得ていた。

アインシュタインとボーアの止揚が楕円であると膠創されたのであろう。

ニュートンそしてアインシュタインを検証した叔父クイリーノ(1891-1957)の仕事は、エットレー(1906-1959?)に影響を与えた。

 とろこでウィリアム・クリフォード(1845-1879)は粒子論の成果を踏まえて、つまり原子論・分子論を超えた代数幾何でありその哲学で語られている。更には、ご膠倫!をも残し若くして亡くなった。

 ポスト・コロナ時代の認識は、それらの実在を覚えさせずにはおかない。量子重力、異次元の世界は「並膠界」でもある!

 ご注意  プラグマティズムが語られる場において、しばしばクリフォードが登場してくるけれども有難迷惑な事だと誰しもが思い知る事となろう。
 造語scientistを拒んだトーマス・ハックスリーならばどのように毒づくであろうか?

黒猫

2020-05-08 06:58:18 | 膠智膠民
 準備運動を丹念に行うかのように長い時間が過ぎ去ったけれども、ようやく歩き・ジョギングが出来るまでになったと確信をした。
 その場での感慨は「膠然の気蜜若葉風」と表現されていた。

 浩然の気に導かれ、昂然と現れたのが黒であった。
そこで自己紹介として「我輩は猫である名前はまだない」と名乗られる。

 『己れあ車屋の黒よ』彼こそがそこでの主人公である。彼は同盟敬遠主義の的になっている居る奴だ。

 黒はこう締めくくった。
『うちの亭主なんか己の御蔭でもう壱円五十銭位儲けて居やがる癖に、碌なものを食わせた事もありゃしねえ。おい人間てものテイの善い泥棒だぜ』
さすが無学の黒も此位の理屈はわかると見えて頗る怒った容子で背中の毛を逆立てて居る。

 
 そもそもの始まりはロンドン大学からの速報に眼が留まったときであった。何かが出来る。
科学が始動し始めている時間だ!
如何程の時間が待たれているのかは誰にも解らない。

 思い出したのは「ふるさと 伊予・松山」である。
「物理化学」の聖地を名乗り出るには必要・十分条件があろうが、それを満たすのは松山を置いて他には無い。

 必要条件としての青地林宗・川本幸民。
十分条件として長州ファイブとして良く知られた伊等博文を起用した。更に言えば小川正孝など枚挙に暇が無いであろうからよす。

 そこに寺田寅彦がいれば、自然観を改めて解き直すであろうと想われる。
そう想いながら連ねて見れば、公然と言う言葉がこのように言い換えられて混迷を深めるのは自然観に拠るのであろうから天延・自然は『膠然』と置き換えておけばそれらの全てを包摂止揚出来るに違いない。

このような背景には日常の膠景が正しく認識されていない恨みが有るからであろう。それがよくであるのだろうとよく言われている。

 その頃パウリーユング等の専門外での融合現象は珍しくも無かったシンクロ現象。
同時代を生きたワンチームとも言えるマヨラナ達は、未完で終わったとは言えどもその足跡を偲ぶに値する。

その頃の世界的流行は戦争であったけれども、幸いにも現況は自然現象である。

 『膠然の気密』はそのような時分の精神を受け継いでもいる、今や科学ではない。
われわれの「膠導」を予言するはずのものとなってゆく「コロイドのai」、今ではAIと書き改められるべきかもしれない。

彼等からの宿題が、今試されている。


  黒猫や膠然気蜜若葉風   虚私



人「膠論」

2020-04-15 09:14:38 | 膠智膠民
雪山やレトロウィルス「人・膠論」     虚私


 「雪山や!」
「昨日、降ったんよ」
 
 同世代と思われる対話が聞こえてきた。石鎚等が雪化粧をしている。


 その時「雪山やレトロウィルス昆虫記」と記してはみたが、まてよ西田賢治の世界はもう少し深いに違いない。

 例えば「ジュエル・キャラクター」を「宝石」ではなく、「ジェリー」もしくは「ゲル」と表現することを好んでいる。

 その様な彼ならば『膠論』として概念の拡張・縮小は容易なことであるから、ここは「人・膠論」として置き替えても良いのではないか。

 さらに彼ならではの言葉が蠢いて来る!彼はこう言っている。
「出来るだけ多くの時間を人間が創らなかったモノに囲まれて生活をしていく事は大切な事です」とも。つまり頭で考えるのではなく、生きた化石のようなそこからの「しんかがく」を、膠古学的な理解を望んでのコスタリカではなかったか。

 ここに触発されたのがレトロウィルス問題なのだ。われわれは無意識であるが、われわれがミトコンドリアによって膠導を誘導されているかのようにウィルス由来のゲノムに誘導された膠導を選択しているのではないかと気づいてよいのだ。

 われわれとウィルスは融膠関係にあるのは確実視されている現在、その含意はウィルスではなく母胎となるわれわれが能動的なのだ!つまり膠分子であり、ATPなのだ。

 胎盤とウィルスとの関係はこうして理解できよう。「しんかがく」はウィルスと共にある、「人・膠論」問題なのだ。




散る桜

2020-04-08 06:55:28 | 膠智膠民
 散る桜駆けあがるこにみかん坂     虚私