まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

貧乏な人の定義

2015年03月14日 | 日記

このところ、雑草は元気満々、いろいろやる事は増えているのですが、雨が続くので、畑はぬかるんで作業ができません。

Webで散策の素材等を見ている中で、気分転換に検索したキーワードで、たまたまなのですが、「これは、上手い事をいう」と感心した『貧乏な人の定義』を見つけました。

「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
この言葉です。

これは、2012年7月に開かれたリオ会議(環境の未来を決める会議)で、ウルグアイ第40代大統領ホセ・ムヒカ氏が行ったスピーチの一節です。
氏は大統領公邸には住まず、個人資産もほとんど持たない。
給与の90%近くを社会福祉基金に寄付し、家とトラクターだけで、実際に月1000ドル程度、日本円で十数万円位での生活をされている“世界で最も貧しい大統領”といわれている人だそうです。

スピーチの全文は、翻訳されたもので、本当のニュアンスは私には分かりませんが、実のある素晴らしいスピーチだと感じました。

「毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。

私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。」(「」内引用)

消費することに追われて働くのが人の幸せなのですか?と投げかけているこの一文も共感しました。

消費を前提とした生活スタイルと人の幸せへの疑問や為政者の姿勢を、庶民目線の血の通った言葉で話しています。

たまたま(相当の努力はしたのでしょうが、結果は多くの場合たまたまです)いい調子に伸びてきた、日本を含む極東アジアの人々が肝に銘ずべき話だと思います。

ここ何日か、災害や戦争の事を書きましたが、『無限の欲があり、いくらあっても満足しない心』というのは、発展の原動力でもありますが、間違いなく争い事の真因です。
人は、難しい!
だから、客観的に社会を導く政治家が必要ということですね。
(案外、主観的な政治屋さんが多いような・・・、気がします(^ム^)ね)

日本にも、老子の一節から、『足るを知る者は富む』(満足することを知っている者は、たとえ貧しくとも精神的には豊かで、幸福である)ということわざがありますが、これも同じ主旨かと思います。

スピーチの全文には、他人も面白い話があります。
関心のある方は、『貧乏 ウルグアイ』で検索するか、こちら(youtubeの動画)をご覧ください。

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