トーム-バン-アースデールことトーマス-アーサー-バン-アースデールは、高校、大学と弟のディックと共にプレイし、インディアナポリス-マニュアル高校時代は1961年の州トーナメント決勝まで導き、優れたバスケットボール選手に贈られるトレスター賞をディックと共同受賞した。インディアナ大学卒業後、1965年のNBAドラフトで全体11位指名を受けてデトロイト-ピストンズに入団。ディックもニューヨーク-ニックスから10位指名を受けており、一卵性双生児が初めて同時に指monster beatsを受けた例として話題となった。
ルーキーイヤーは平均10.5得点を記録し、ディックと共にオールルーキー1stチームに選ばれた。ピストンズでの3年目となる1967-68シーズン中にシンシナティ-ロイヤルズに移籍する。
ピストンズ時代は中堅選手の一人に過ぎなかったトムは、ロイヤルズ移籍を機にオールスター級の選手に成長し、1968-69シーズンにはこれまでのキャリア平均を大きく上回る19.4得点4.6リバウンドを記録。翌1969-70シーズンには初のアベレージ20得点オーバーとなる22.8得点6.9リバウンド、大エースのオスカー-ロバートソンがロイヤルズを去った1970-71シーズンにはキャリアハイであり、またチームトップでもある22.9得点を記録した。ロイヤルズで全盛期を過ごしたトムは、1972-73シーズンにフィラデルフィア-76ersに移籍し、その後アトランタ-ホークスを経て1976-77シーズンにはディックの居るフェニックス-サンズに移籍。ディックと共にラストシーズンを過ごし、現役から引退することになった。