休憩処 まっちゃの部屋(別館)

まっちゃの言葉と戯れる日々の徒然日記。

心の持ちよう

2016年05月15日 22時40分47秒 | 日記
「試練」だと思えば、重くなる。
 「期待」だと思えば、頑張れる。
 
 
これまでずっと、自分に期待してこなかった。
 
 
小さい時から、やってみたい!と思って母親に言うと
まず一言目が「うちにはお金がないからね」。
だから、早く学校を出て働きたかった。
 
 
仕事を探す段になって、
自分がやりたいと思っていたことってなくって、
会社勤めをしている人が周りにいなかったのでどうしてもイメージができず。
 
 
いざ働き始めたら、
思っていた以上にお金がなくて、
思っていた以上に自由がなくて・・・。
  
そして今にして思えば、「じっとしていることが苦手」。
朝9時から17時まで居なきゃいけないというのが、一番苦痛に感じていた。
なんで自分の好きな時間に好きなことができないのかな、って。
 
それだったら自由業になればいいんだろうけど。
これといってやりたいこともなくて。
でも会社を辞めたんだというと、
 「あなたにはこれが合ってると思うから、お願いね」
 「これ良いじゃない!やってみたら」
と話を持ってきてくださる方は常にいて、ありがたいなと思うと同時に、 
常に他人からの評価によって、
自分とはこういう人間なんだと定義づけしてきたように思う。
 
 
そんな中でも、たとえば誤字を発見したりとか、
何気ないおしゃべりの中で、インスピレーションを言葉にして伝えたりとか
本(設計図)の通りに作れるとか
そんなことに喜びを感じてきた。
 
でも「これが仕事です!」って誇れるような、
1つの大きなくくりではないことがどこかしらコンプレックスになっているんだろう。
そして、たぶん、これをやる以上どんなことでも(大嫌いな数字やら会計すらも含めて)
やりたい!という覚悟を持てるような“たのしいこと”を
見つけられずに来てしまったんだなあ、と思うのだ。
 
 
まあ、まとめると「自信がない」ってこと。
 
いま、変換で「自身がない」と出たのだけど、
日本語って面白いもので、
「自身(アイデンティティ)がないから、自信が持てない」
おお、つながってるな、と思ったりもして。
 
というわけで、昨日は思いかけず花束と、
そしてねぎらいの言葉をいただいて、
不覚にも目から水がにじみでてしまったのだけど、、、
 
タイミング的に自分にとって「重い・・・」と思う出来事がどわーっときて
かなり精神的に参っていたときで。
 
でも。
 
乗り越えられない試練を作らない、と
生まれる前に自分で決めているんだという話を思い出して、
そうなんだ、
「これが向いてるよ」「これやってみな」と言ってもらえるのは
自分がそういうふうに仕向けていることであって、
本当は、どういう結果になろうが、
自分がやる!と魂と肚の底で決めているのだから、と。
 
たぶん、表面的なこととしては、上のように決めているようでいて、
そしてまた、「もっと周りに相談しなよ」とか
「もっと自信を持とう」とか
そんな裏の目的ももって、乗り越えようと設定してきているのかもしれない。
 
なんにせよ、
任せていただけること、
仕事させていただけることに感謝して、
ひたすら、向き合う。
それしかないんだろうなあ。
 


感謝

2016年05月15日 00時53分00秒 | 日記
通称「三田」で
笑いざわめき
或いはぶつかり
傷つけられたと思い込み
その実は相手をより深く傷つけていたのだと
理解できるようになるまでの、
20年という歳月を、
確かに、私たちは生きてきたのだ。

話せば少しずつ蘇ってくるあの記憶、あの痛み。
そして、
今この場にいない人にも思いを馳せてー

思いかけず素敵なお花と、
たくさんの想いを、ありがとう。