佐久間信盛(さくまのぶもり)[4/6]
〔現代仮名遣い〕さくまのぶもり
1580年3月北条氏政が本能寺の信長へ、
鷹13足・馬5疋進上。取次ぎは滝川
一益。お礼の品々を氏政の使い笠原
康明、氏照の使い間宮綱信・原和泉守
が進上。取次ぎは佐久間信盛。
1580年3月北条氏政の使いが上洛し本能寺で
土産を進上したとき、使いは二位法印・
滝川左近・佐久間信盛がつとめ、関東
衆は「関東八州を信長の分国に」と申上
する。本願寺顕如光佐・北の方・家老
衆が下問した所、下間頼総・平井越後・
矢木駿河・井上・藤井藤左衛門らが
評定を行い、勅定を受けることを決める。
顕如光佐は、7月20日までに大坂を退出
する旨告げ、下間仲之・下間頼兼・下間
頼竜・北の方・門跡の連名で誓紙を提出。
信長方青山虎が検使をつとめる。
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〔現代仮名遣い〕さくまのぶもり
1580年3月北条氏政が本能寺の信長へ、
鷹13足・馬5疋進上。取次ぎは滝川
一益。お礼の品々を氏政の使い笠原
康明、氏照の使い間宮綱信・原和泉守
が進上。取次ぎは佐久間信盛。
1580年3月北条氏政の使いが上洛し本能寺で
土産を進上したとき、使いは二位法印・
滝川左近・佐久間信盛がつとめ、関東
衆は「関東八州を信長の分国に」と申上
する。本願寺顕如光佐・北の方・家老
衆が下問した所、下間頼総・平井越後・
矢木駿河・井上・藤井藤左衛門らが
評定を行い、勅定を受けることを決める。
顕如光佐は、7月20日までに大坂を退出
する旨告げ、下間仲之・下間頼兼・下間
頼竜・北の方・門跡の連名で誓紙を提出。
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