『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

左(さ)

2017-04-01 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
左(さ)

〔現代仮名遣い〕さ


南北朝頃、筑前博多の刀工左衛門三郎慶源

(よしもと)に始まる左(さ)家。

 ↓
【左文字】

南北朝頃、筑前博多の刀工左衛門三郎慶源

(よしもと)に始まる左(さ)家の者が鍛えた

刀。銘に「左」の一字がある。今川治部大輔

義元の愛刀「左文字」は、おけはざま後信長

が佩いた。「永禄三年五月十九日 義元討捕 

則彼所持之刀 織田尾張守信長」と金象嵌の

ある左文字が、徳川家の寄進状とともに建勲

神社に現存。

1578年12月二度内応してきた安部二右衛門に、

    信長が下す。自分の腰からとり渡して

    いるので、おそらく「義元左文字」か?


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