『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

後藤高治(ごとうたかはる)

2017-03-13 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
後藤高治(ごとうたかはる)

〔現代仮名遣い〕ごとうたかはる


喜三郎。近江佐々木六角氏の将。のち信長

の臣。

1569年8~10月の伊勢攻略戦に参戦。

1570年9~12月の叡山の浅井・朝倉攻めの

    時、穴太の在所を守備。

1573年7月義昭真木嶋攻めに参戦。

1578年8月信長主催の安土の相撲に奉行と

    して参加。

1581年1月の馬場入りで、爆竹(さぎちゃう)

    の準備をつとめる。

1582年1月爆竹北方東一番を、土佐定久・多賀

    常則・後藤高治・山岡景宗・蒲生賦秀・

    佐々木京極高次・山崎秀家・小川祐忠

    が務める。


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